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あやみ、囲われる 9

お楽しみいただけますように!

「やぁ。こんにちは」

「は、はい……こん……にちは……?」


 佐倉は奇麗な所作でお水を飲み、紳士はにこにこと笑い、マダムは紳士の目の前にお水を置いた。

 状況を飲み込めないでいるのは、相変わらず私だけだった。

 アルバイト先に来ていた、ポケットチーフのお忘れ物をして、屋形船の手配で大変な思いをした、謎の小箱のお客様。

 その人が佐倉の上司とは、一体どういうことなのか?


「ケーキ、頼んでくれた?」


 紳士は佐倉の横に座って、おしぼりで手を拭きながら、わくわくした様子で訊ねている。

 二人のやり取りを緊張しながら見守っていると、紳士と目が合った。

 紳士が穏やかに微笑む。

 空気が変わったのは、その瞬間だ。

 ゆるく口角を上げたまま、紳士はコホンと咳ばらいをして、居住まいを正した。

 そして無駄のない、けれどゆったりとしたした仕草でジャケットの内側に手を入れ、黒い革の名刺入れを取り出した。


「虎澤百貨店外商部の、及川と申します」


 差し出された一片の名刺。相変わらず状況は飲み込めていないのに、言葉は自然に、口をついて出た。同時に、両手も。


「頂戴いたします」


 絹のような手触りのそれを受け取って、私は顔を上げる。

 佐倉の上司である彼は、虎澤百貨店の外商部というところで、部長職についているらしい。

 と、いうことは、佐倉も虎澤百貨店の外商部で働いているということになるわけだけれど……。


「単刀直入に言います。椿さん。僕たちと一緒に、虎澤百貨店の外商部で働いてみませんか」

「外商部……ですか」


 及川部長の声は、不思議だった。

 今さっきまで状況を整理しきれず緊張していた心が、いつの間にか凪ぎのように落ち着いている。


「すみません。私、外商部がどういうお仕事をする部署なのか、曖昧にしか知らないんですけど」


 包み隠さずに言うと、及川部長はゆったりと頷いた。


「うんうん。じゃあまずは、百貨店の外商とはいかなる仕事なのか、の説明から始めた方が良いのかな」

「はい」

「佐倉君。説明して」

「……っ、俺がですか」


 気を抜いていたらしい佐倉の、手に持ったグラスの水が波打った。


「同じ年齢の君の言葉で説明した方が、椿さんもわかりやすいと思うんだよねぇ」


 佐倉は背すじを伸ばして口もとに手を当て、考える素振りを見せる。

 そこにまた、トレーを持ったマダムがやってきて、私たちの目の前にそれぞれソーサーとコーヒーを置き、それから砂糖のポットとミルクを置いていった。

 コーヒーの深い香りが広がる中、佐倉が静かに話し始める。


「──外商とは、法人や個人のお客様に、店舗に限らない場所で商品を売る仕事のことをいいます。たとえば、お客様のご自宅など」


 私は佐倉の説明に、ふむふむと頷いた。

 モノを買うといえばお店に買いに行くか、ネットかフリマアプリを使う私にとって、それはやっぱり遠い概念ではある。


 けれど、これまでの人生で何となく聞いたことのある「外商」の情報と、佐倉の説明は、頭の中ですっきりリンクする。


「外商は昔から色んな店で行われていて、古いものでは江戸時代にまでさかのぼります。現代では、高額のお買い物をされる方がメインの客層であるという性質上、誰もが知っているというわけではありませんが、実際に利用している人も、知識として知っている人も多くいますし、海外のハイブランドにも外商のサービスがあります」


 佐倉は手元のカップに、ポットから薄茶色の角砂糖を三つと、ミルクを多めに入れて、スプーンで混ぜ溶かしながら、話を続ける。


「これはあくまで噂ですが……入手することが困難で有名なブランドEのバッグBを初めて購入する場合、転売防止のため、そのブランドの外商担当者と懇意にならないと、購入の目途が立たないと言われているそうです」

「す、すごい話ですね……」


 知らない世界線の話に、目を丸くする思いだった。感心しながら話の続きを待っていると、「すみません、話が逸れました」と言って、佐倉は咳ばらいをした。


「話を虎澤百貨店のことに戻します。当店の外商部は、一定以上の金額のお買い物をされたお客様に担当者をつけさせていただき、店舗でのお買い物をアテンドするほか、お宅に伺って商品をお見せしたり、外出先に品物をお届けしたり、といったサービスを提供しています。たとえば時計、万年筆のインク。高級レストランのお弁当100個など」

「外出先にも……」


 話を聞いていて思い出したのは、私のアルバイト先のカフェ、ジャルダンドゥティガにお客様として来ていた及川部長が言っていた「今日は小箱を運ぶ仕事です」という言葉だった。

 あの時の及川部長は、お客様のところへ商品をお届けする途中だったということだろうか。

 必要になった商品を、必要な場所へ、担当者が届けてくれる。その人からすればありがたいだろうし、すごく便利なサービスだ。


 けれど、思ったこともある。それは、外商のサービスは便利な半面、お店としては、すごくコストがかかるのではないだろうか、ということだった。 

 佐倉は私の疑問を察したように、口を開く。




次回もお楽しみいただけますように。

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