プロローグ
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お楽しみいただけますように。
駐車スペースに車を停め、ドアを開けて古いコンクリートの地面に降り立つと、冷たいけれど穏やかな潮風が頬に当たった。
白いうみねこが旋回する空は、雲一つない秋晴れ。海は優しく凪ぎ、太陽を照らしている。
潮風のにおいが懐かしい。なんだか、胸が切なくなるような思いがした。
私は両手を少しだけ広げ、足を前へと踏み出す。もっと、この空気を感じたいと思ったのだ。
ここ小樽南防波堤には、百年以上の歴史がある。
と、いうことは。
この場所は百年以上、波や海風、雨、雪に晒されていたわけで、ところどころが削られて、穴が開いている。
つまり、足元が悪い。
はいていたパンプスのヒール部分が穴にはまり込み、私はあっという間にバランスを崩した。
「……!!」
「椿あやみ、気を付けろ」
転びかけた私の腕を、強い力で引き上げ支えたのは、同僚の佐倉伶だった。
「ご、ごめん。ありがとう」
振り向くと、ブルーグレーのスーツに身を包んだ、すらりと背の高い青年が立っている。
たいていの女性がうっとりしてしまうような、気品のある、美しい顔だち。
佐倉は整った眉をひそめながら、私を見下ろした。
「仕事中は常に自他の安全に配慮すべきだ。椿は注意散漫が過ぎる」
要するに、「ぼーっとするな」ということだ。
「はい。すみません……」
「行くぞ」
そう言って、佐倉がこちらに手を差し出してきたので、私はびっくりして顔を上げた。
どうやら防波堤まで、私が転ばないよう、佐倉が手を引いてくれるらしい。
真面目で厳しいけれど、優しさもある。
そんな一面が垣間見える時、私はいつも、隠しきれない「育ちの良さ」を佐倉に感じるのだった。
佐倉に手を引かれて歩く。
ちらりと足元の海面に目をやると、数匹の細い魚が群れになって泳いでいるのが見えた。
「カタクチイワシだな」
「うん」
今日は天気が良いうえ、風が強くないから、海は波が立っていない凪の状態だ。
だから透明度が高くなくても、水の中がよく見える。
コンクリートの海水に浸かった部分に、緑色や赤色の海藻が生えていて、私はそこにいがぐり状の黒いものを発見した。
「あ……」
ウニだ──佐倉に教えてあげようと思って顔を上げると、心が湧きたつような美しい秋晴れの空と、佐倉の後ろ姿が目に入った。
私たちを包み込む明るい陽の光と、佐倉の背中。
それを見て、ここに来るまでに関わった人たちのことを思い出し、私は開きかけた口を閉じた。
それぞれの人に、一言では語り切れない想いがあった。
その人がその人生を歩んでいるがゆえの、その人だけの事情があった。
これから会う人もまた、抱えていた事情がある。きっと、想いもある。
だから佐倉にウニのことを教えるのは、また後で良い。
そう思い直して、私は前へと顔を向け、背筋を伸ばした。
引き続き、お楽しみいただけますように。