プロローグ【其は闇に潜む者】
人気のない深夜の歩道。
その歩道を男はただ、ひたすらに其れから逃げる為に走っていた。
異形なる其れ──人ならざる生物は猫がネズミをいたぶるようにゆっくり歩いている。異形の其れは男が逃げる道が行き止まりである事を知っている。
意識して行動なのかは定かではないが、少なくとも其れには必死に自分から逃げる男を──獲物を捕らえるだけの準備が出来ていた。
案の定、男が行き止まりである事に気付いて周囲を見渡してから逃げ道がない事を悟り、壁をガリガリと引っ掻きながらよじ登ろうとも足掻く。
しかし、その壁をよじ登るには壁が高過ぎであり、壁を引っ掻く男の爪が剥がれ、血が行く手を阻む壁に痕をつけるのみであった。
其れが更に前に踏み出す。最早、獲物に為す術はない。
不意に空気が変わった。其れの本能が何かを警戒したと言って良い。
何かまでは解らないが、この場から離れなくてはならない。
そんな焦りに近い何かを感じた其れが正体を理解する前に男に変化があった。
否、正確には男に変化があったのではない。男の行く手を阻む壁にである。その壁がけたたましい音を立てて内側から弾け飛び、砕けた壁の向こうから何かが出てくる。
それは漆黒の悪魔であった。
文字通り、悪魔である。頭部から生えた一対の角と翼、アスファルトの床を砕く先端がハンマー状の尻尾。悪魔は口から青白い炎を吐きながら、金色に輝く瞳で其れを見据えている。
悪魔が雄叫びを上げたのは次の瞬間である。
その雄叫びは歓喜だったのか、それとも別の感情からなのかまでを其れが理解出来たかは定かではない。少なくとも至近距離でそれを聞いた男が其れの前まで吹き飛ぶほどの衝撃波を含む圧倒的な暴力の塊だと言うのは理解出来た。
吹き飛んだ男は目や耳から血を流し、ぐったりとしている。
悪魔は雄叫びを上げ、ゆっくりと拳を振るう姿勢になる。無論、其れに届く距離ではない。しかし、其れは自身の確実な死を悟ってしまった。
其れは後ろを向いて逃げようとするが間に合わかった。悪魔が振るう拳の衝撃波。ただ、それだけで其れの身体は見えない力で爆散する。
圧倒的な力による破滅の風。それは周囲の建物をも破壊し、悪魔は勝利の雄叫びを上げる。
自身の勝利を確信したような勝ち誇った叫びである。
そして、悪魔は──。
『次のニュースです。先日、新・イバラギニュータウンで研究中の新種の生物の創造に成功したと発表されましたが本日未明に研究所を脱走し、研究所所属の男性が重傷を負わせてしまいました。警備隊が突入後にやむなく発砲処分をしたとの事です。
近隣の住民からは研究反対の非難も多く、反対派の近隣住民によるデモ行進なども行われている模様です。では、次のニュースです』
世界は何一つ変わらない。緩やかにだが、確実に人間達は破滅に向かっているとも知りもせず、ただ己が道を進み続ける。
だからこそ、悪魔は気付かれない。悪魔など所詮、ファンタジーなのだ。
そう信じるからこそ、悪魔は人間の群れに身を潜めるのであった。