結婚相手に激推しされていると判明したので、今後の夫婦生活は明るいのです
数ヶ月前に婚約の解消を経験したばかりの私は、今日から別の男性の妻になる。
お相手は、私と同格の貴族のメルヴィン様。でも、そんなことはどうでもいい。だって私は、この結婚に何の期待もしていないんだから。
「ようこそおいでくださいました、マリエール様」
馬車から降りると、玄関で待っていた使用人たちが出迎えてくれる。
今日からここが私の暮らす家か、と、目の前の大きな建物を私は何の感慨もなく見つめた。
婚約を破棄されてからずっとこうだ。何にも興味が湧かないというか、無関心になってしまった。
私は元婚約者のことがそれなりに好きだった。それに、信頼もしていた。なのに彼は、別の女性と駆け落ちしてしまったんだ。
きっと私に魅力がなかったからこうなったんだろう。私は人に愛される価値なんかないのかもしれない。
そんな後ろ向きな考え方が、私から覇気を奪い取っていたのだった。
「メルヴィン様はお部屋でお待ちですよ」
私を案内しながら、使用人は上機嫌で話をしていた。
「あの方は、それはそれはマリエール様のご到着を楽しみになさっていて……。今日は日の出前から起きて、ソワソワしていましたわ。マリエール様は愛されていらっしゃいますね」
そうかしら? と私は心の中で返した。
だって私、メルヴィン様との面識なんて、あってないようなものなんだもの。あの人、王宮とかで私と鉢合わせても、すぐにどこかに逃げちゃうし……。
多分、苦手意識を持たれているんだろう。そうなった心当たりは全くないけれど。
そんな人がどうして私と結婚しようと思ったのか、全くの謎だ。家の人に強制でもされたのかしら?
婚約者に逃げられた私を励まそうと、お父様は次の結婚相手を探すために方々の貴族家に手紙を出した。そこにメルヴィン様の実家も含まれていたわけなんだけど……。まさか承諾の返事が返ってくるなんて想定外だった。
でも、メルヴィン様が私をあんまり好いていないっていうのは間違いないと思う。だって結婚の手続きだって事務的な書類を書いただけで、式すら挙げていないんだから。嫌いな女のためにそこまでできるか、ってことに違いない。
「メルヴィン様、マリエール様がお着きですよ」
ある一室の前で使用人が立ち止まり、ドアをノックする。中から「ひぇっ!」と聞こえてきた。
……今のって悲鳴?
「あの……やっぱり顔見せはもう少し時間を置いてからの方が……」
苦手っていうより、怖がられてるのかしら? やっぱり心当たりは全然ないけど、そうだとしたら気の毒だし、ちょっと心の準備をする時間をあげた方がいいかもしれない。
私はそう思ったんだけど、使用人は「大丈夫ですよ」と苦笑いだ。
「ほら、メルヴィン様。天使様のご到着ですよ。……開けますからね」
天使様? と思う間もなく扉が開け放たれ、使用人に手を取られながら私は中に入った。
そして、そこに広がっていた光景に口を開ける。
まず目に飛び込んできたのは、壁に飾られた等身大の私の絵画だ。
それから、窓枠にずらりと並ぶ私の人形。天井を飾る私の絵。カーテンの近くに張られた横断幕には、『マリエールの輝きは永久不滅!』と書かれていた。
「マ、マ、マ、マリぴゃだー!」
大声にハッとなる。異様な様相を呈する室内に気を取られていて、部屋の隅の方にメルヴィン様がいるのに気が付かなかった。
この変な部屋にふさわしく、彼の出で立ちもちょっとおかしい。だって、懐から私の姿を模した小さなぬいぐるみを覗かせながら、私の刺繍が施された抱き枕をがっちり抱きしめていたんだから。
いつの間にか使用人は去ってしまい、この奇妙な部屋には私たちだけが取り残された。
何が起きているのかまるで分からずに、私はメルヴィン様に歩み寄る。
「あの……?」
「うわあぁ! 喋った! 喋るマリぴゃだ!」
メルヴィン様は真っ赤になって抱き枕に顔を埋めた。よく見れば、首から提げたタオルに『マリぴゃ命』と縫い取られている。
……って言うか、『マリぴゃ』って何? 特に『ぴゃ』の部分。『くん』とか『ちゃん』なら分かるけど……。
「メルヴィン様?」
私はオロオロするメルヴィン様の肩に触れた。メルヴィン様が「ひええっ」と叫ぶ。
「マリぴゃが僕に触ってる! もうこの肩、一生洗えない!」
「触ってるって……。私たち、夫婦でしょう」
先ほどからの奇行の数々に、もはや私は心の声を隠すどころではなかった。呆れたように言うと、メルヴィン様は「夫婦!」と飛び上がった。
「ああ、そうだった! 夫婦! マリぴゃと僕は夫婦!」
メルヴィン様は床をのたうち回る。
「け、結婚しちゃった~! マリぴゃと! 大天使マリぴゃと! ……奥さん!? マリぴゃが僕の奥さん!? あわわわ……」
もう何が何だかさっぱりだ。転がるメルヴィン様を放置して、私は壁際のソファーに座った。偶然かもしれないけど、私の好きなスミレ色の布が張られている。
それから十分ほどして、やっとメルヴィン様はまともに話ができる状態になったらしい。おずおずと「隣、いい?」と聞いてくる。
「どうぞ」
「うひぃ! ありがと!」
メルヴィン様は雪の日の子犬みたいにはしゃいだ声を出した。あまりの無邪気さに、私は思わず笑ってしまう。
「ああ……大天使マリぴゃの笑顔だ……」
メルヴィン様は私に向かって手を合わせ始めた。……何で拝まれてるの?
疑問に思いつつも、そういえば、笑ったのなんてすごく久しぶりだったかも、と思い至る。傷心の日々は、私から笑顔さえ奪っていたんだ。
「……メルヴィン様、色々と聞きたいことがあるのですが」
「大丈夫、何でも質問して!」
メルヴィン様は胸を拳で叩いた。
「マリぴゃのことなら、好きな食べ物から身長、体重、小さな癖まで何でも知ってるよ!」
「いえ、私のことじゃないです」
何でそんなことを把握してるんですか? という質問は、またの機会にしておこう。
「この部屋は……一体何なのでしょう?」
どこを見回しても私だらけ。よく見たら本棚にも『マリエールの天使な日々』という本が置いてある。
「それ、いいでしょ? 吟遊詩人に詠んでもらった詩を集めた詩集だよ。もちろん、中身はマリぴゃ賛歌ばっかり!」
それから……と言いながら、メルヴィン様は他の本も取り出した。
「じゃん! こっちは僕が書きました!」
……マリぴゃとヌメヌメ触手ちゃん? 表紙には恍惚とした顔の半裸の私が……。こ、これ、何て言うかムフフな内容の本だったりする……?
「読む?」
「……結構です」
私は丁重にお断りした。すると、メルヴィン様は今度は壁の絵画を指差す。
「あれは有名な画家に描いてもらったんだよ。で、あっちのぬいぐるみは、僕の友だちが作ってくれたんだ! この抱き枕も特注品だし! 隣の部屋には祭壇もあるよ! あっ、そうだ! 詩集の製作に協力してくれた吟遊詩人が、歌も作ってくれたんだ! マリぴゃ~マリぴゃ~ぽきゃぽきゃ~」
そんなに色んな人を巻き込んで、このマリぴゃルームを作ったの? 何を考えているんだろう、この人。
「……メルヴィン様は私のこと、お嫌いだったのでは? ばったり顔を合わせても、すぐに逃げていくし……」
「嫌い? そんなまさか! マリぴゃがあんまりにも天使だから、思わず避けちゃっただけだよ!」
謎の歌を止め、メルヴィン様は抱き枕を握りしめる。
「だって、尊すぎて直視できないよ! 溶けちゃう!」
「溶けませんよ……」
「溶けるよ!」
メルヴィン様はブンブンと首を振った。
「初めて会った時から、マリぴゃは天使だってずっと思ってたよ! だからマリぴゃの素晴らしさを家でも味わうために、部屋を改造したんだ!」
「一目惚れってことですか……? 私、そんなに美人じゃないですけど……」
「マリぴゃは綺麗だよ! 常人には理解不能な魅力の持ち主! 何て言ったって天使だからね!」
常人には理解不能なのはあなたの方では? 私は『マリぴゃ』だらけの部屋を見ながら困惑する。
「そんな大天使から結婚してくださいって打診が来たんだよ!? 恐れ多い! けど、受けるしかない!」
「でも、式を挙げようとは……」
「だから尊すぎて溶けちゃうんだって! ウエディングドレスを着たマリぴゃなんか見たら、一発で昇天だよ! ……大丈夫! この本棚の中には、僕とマリぴゃが結婚式を挙げるストーリーの本もあるから! 花嫁姿のマリぴゃは脳内で補完済み!」
メルヴィン様はよく分からない理屈を自慢げに披露する。そして、「実はね……」と続けた。
「その結婚式本は、婚約破棄されたマリぴゃを慰めるために作ったんだ。名付けて、『影からマリぴゃを応援しよう作戦』! でも本が完成した直後に、マリぴゃの実家から結婚しないかって手紙が届いて……」
メルヴィン様の妄想が現実になってしまったわけだ。
私は「うわっ! マリぴゃと喋ってる!」と今さらながらに驚きだしたメルヴィン様を不思議な気持ちで見つめる。
変わった人だ。ものすごく。
どうやら私は、とんでもない人の妻になってしまったらしい。
でも、それと同時に、この人のことをもっと知りたいと思ってしまっている自分がいる。
何かに強く興味を抱くなんて、婚約を解消されてから初めてのことだ。
私は自分には何の魅力もないと感じていた。でも、こんなにも私を愛してくれている人がいるんだ。だったら、もう少しだけ自信を持ってもいいのかもしれない。
そんな風に思ったら、不意に目の前が明るくなった気がする。
私は笑いながらメルヴィン様の手を取った。
「これからよろしくお願いしますね」
「マリぴゃ……」
メルヴィン様は感動したように震え出す。
「こちらこそよろしくね!」
そう言って笑うメルヴィン様の方が、私にはよっぽど天使みたいに見えたのだった。
****
――それから三ヶ月後。
「メルちゃま~! ついに完成しましたよ!」
メルヴィン様の私室を訪れた私は、持っていた紙の束を夫の前に並べた。
「『触手×メルちゃま』の挿絵付き小説! 私の力作です!」
「すごいや、マリぴゃ!」
メルヴィン様は紙束をパラパラとめくりながら顔を輝かせる。
「わあ~このシーン、いいなあ。僕のアレに触手がソレして、ナニがどうなって……。わわ! この挿絵、すごくリアル! 触手のベットリとした粘液が、今にもページから溢れ出てきそうだよ!」
褒めてくれるメルヴィン様の言葉を、私は誇らしい思いで聞いている。コツコツと製作してきたかいがあったというものだ。
「メルちゃまはどうなんです? 『マリぴゃとヌメヌメ触手ちゃん2』の進み具合は?」
「順調だよ。それに、マリぴゃの書いた『触手×メルちゃま』を読んだら、新しいアイデアも湧いてきたし!」
メルヴィン様は近くの紙にメモを取り始めた。
「マリぴゃの原稿は、職人さんのところへ持って行こうね。で、本にしてもらおう!」
「ええ、私の部屋の本棚に置いておくつもりです!」
私の部屋には、メルヴィン様の肖像画やフィギュアが大量に飾られていた。そこに新しいコレクションが加わるのだと思うと、心が弾んでくる。
「表紙はどうしようか? 後はタイトルも」
「表紙に関しては、アイデアが二つほどあるんです。一つ目は、触手がメルちゃまの服を……」
私たちの楽しい会話は続く。
メルヴィン様と夫婦でいる限り、この素晴らしい時間がずっと続いてくのかと思うと、これ以上ないくらいに幸福だった。