冷遇してくる公爵令息とその婚約者による仁義なき攻防
侯爵令嬢キサラは婚約者からの呼び出しを受けて、公爵家の応接室を訪れていた。
公爵令息ロステオがキサラの婚約者だ。公爵家側から婚約の打診が行われ、侯爵家側には特に反対する理由が無かったので、そのまま二人の婚約は結ばれた。ロステオはキサラより一つ年下であり、周囲には氷の公爵令息と呼ばれている。涼しげな美貌をもち、得意魔法が氷魔法とくれば、然もありなんだ。
なかなか姿を見せないロステオをキサラが気長に待っていると、ロステオは自分でキサラを呼び出しておきながら、双子の妹のラタン同伴で応接室に現れた。ロステオはキサラと二人きりになりたくなかったらしい。
「お義姉様、待たせてごめんね」
ラタンが明るく笑った一方で、ロステオは仏頂面を保って一言も発さないままだ。ロステオに似て、ラタンも大変見目麗しい。外見はよく似ているが、中身は全く似ていないのが、この公爵家の双子である。
「兄様も何か言いなよ」
ラタンに肘で小突かれながら、ロステオはキサラの正面に腰かけようとして、急に横にスライドした。結局ロステオが座ったのは、キサラの斜め前だ。
「彼女に言うことなど何もない」
ロステオがキサラに冷たく当たるのは、いつものことだった。会ってもろくに話さず、誕生日には安物の宝石を贈り、夜会ではキサラを一人放置した挙げ句さっさと先に帰らせる。他にもロステオがキサラに行った仕打ちは酷いものばかり。
ロステオは何かとキサラを冷遇してくるが、近頃のキサラは微笑ましいものを見るように、にこにこしているだけだ。だが今日はロステオの一言で、キサラの中でぷちっと何かが切れた。
「ロステオ様、私もう我慢の限界です。何もかもはっきり申し上げます」
キサラの艶めかしい声が場を支配する。スタイル抜群のキサラが腕と脚を組むと、もはやロステオはキサラを直視できない。
「私に冷たく当たるのは、それはもう構いません。それがロステオ様という人物なのですから、私はそれを受け入ています。その代わり、今から私が話すことを一言一句聞き漏らさないで、しっかり聞いてくださいね」
キサラはロステオの無言を同意と受け取った。
「出会ったあの日は、あんなに饒舌に話してくれましたのに、すっかり無口になられて。私と婚約するために、両親を必死で説得したと聞いていますよ」
「あんなに必死な兄様を見たのは、初めてだったなあ」
「そこまでして私と婚約したわりに、婚約してからまだ一度も、私の名前を呼んでくださいませんね。でも時々『キキキキキキ』と妙な声で笑う魔物のように、ロステオ様はなられていますよね。私の名前を呼ぼうとしたのに失敗して、そんなことになっているのは分かっていますよ。私の名前を呼ぶのが恥ずかしいからですよね。誤魔化しようもどうしようもないから、私を一方的に怒って放置して逃げ帰るまでがワンセット。デートで私が置いて行かれて、一人で帰ることになったのは数知れず」
「兄様、こじらせすぎ」
ラタンが一言で的確に言い表した。
「先日、誕生日プレゼントをロステオ様から頂きましたが、『君にはこれで十分だ』と安物の宝石を渡されました。それも直接ではなく使用人経由で。でもロステオ様は本当は、特注したネックレスを私に贈るつもりだったのですよね」
「そうそう」
ラタンが相槌を打つ。
「特注して出来上がったものを受け取ったまでは良かったものの、いざ私に渡そうとすると、あまりの気合の入りようが恥ずかしすぎて即断念。ロステオ様が恥ずかしさをギリ許容できたのが、あの安物だったと聞いていますよ。安物だとしても、ロステオ様からの贈り物は大事にしていますから、安心してください」
「あの特注品びっくりするほどすっごくダサかったから、お義姉様にプレゼントしなくて正解だったよ。恥ずかしさの上塗りにならなくて良かったね」
二人の話を聞いても、ロステオは沈黙を保っていた。顔を伏せたロステオはカタカタと震えている。
「この前の夜会では、恥ずかしさを意地で乗り越えて入場したまでは順調でしたね。でも入場後に私が横にいることに耐えられず、私を一人置いて行きましたね。『君なんかと一緒に居られるか』と言って。予め参加者を牽制しておいたので、安心して私を影から見守っていたら、予想外に隣国からの来賓が私に近付いたので、慌てて私を回収しに来られましたよね。そして『君なんかを連れてくるべきではなかった!!』と一方的に私を怒鳴りつけて、即刻私を一人で帰らせました。私を一人で帰らせたのは、一緒に帰るのが恥ずかしすぎたからでしょう?」
「あの晩の兄様はお義姉様の魅惑の谷間を思い出して、鼻血が止まらなかったよね」
「鼻血を出すまで喜んでもらえたなら、あのドレスを着たかいがありましたね」
「私ナイスアシスト。兄様の知らないところで、ドレスのデザイン画に口出しして良かった」
キサラは色気たっぷりの笑顔で、ラタンは悪戯っ子の笑顔で笑いあう。
ちなみにこの話には後日談がある。翌日貧血でふらふらだったロステオは、体調不良と聞いてお見舞いに来たキサラの胸に、顔からいってしまった。ロステオはその後一ヶ月、キサラと顔を合わせられなかった。
諸々を思い出したロステオは何も言えずに、下を向いて黙ったままだ。真っ赤になった彼に、氷の公爵令息の面影は一切ない。
「私と二人きりで恥ずかしいのは分かりますが、お茶会では一言ぐらい話してもらえませんか? ロステオ様の手元にあるカンペの出番はいつ来るのかと、いつも楽しみに待っていましたのに」
「あのカンペって確か毎回数日がかりで作ってたよね? 毎回前日に三時間もシミュレーションに付き合わされてた、私の時間も全部無駄だったの?」
ラタンにそう言われても、ロステオは何も言わない。先程より応接室の気温は大幅に下がっている。ロステオから漏れ出た魔力が、室温を下げているからだ。
「まったくロステオ様は恥ずかしがり屋さんすぎます。でも今の私はそんなところも好ましく思っていますから、安心してくださいね」
キサラは息を白くしながら、仕方ない人とおおらかにロステオを受け入れていた。婚約した最初の頃、キサラはロステオに冷遇されてもちろん悲しかった。好意の裏返しだと分かっていても、悲しいものは悲しかった。
しかしキサラは異常に順応力が高い令嬢だった。恥ずかしさからくるロステオの冷遇に適応するため、キサラの性癖はどんどん歪んでいった。
恥ずかしがるロステオをもっと見たい。
ロステオはキサラが何もしなくても、勝手に恥ずかしがっていることが大半だ。それでもある程度は、キサラの欲望は満たされる。しかしキサラ自身の手でロステオを恥ずかしがらせることができれば、もっと欲望が満たされる。
ロステオをとにかく恥ずかしがらせたいという欲望の発露が、今この時だった。我慢していた反動で、ロステオが気の毒になるぐらい爆発していた。ロステオはキサラに太刀打ちできず、ラタンは完全に楽しんでいるだけだ。タガが外れたキサラはもう誰にも止められない。
ここまでのキサラの指摘が的確だったあまり、ようやく口を開いたロステオは変なことを言い出した。間違いなく羞恥でおかしくなっている。
「君は超能力者か何かか!? なぜそこまで分かる!?」
そこは魔法ではないのか。
「ロステオ様と婚約した直後から、毎回毎回周りの方々が懇切丁寧に、ロステオ様の行動と心情を事細かに解説してくれましたので。あの夜会で私に近づいて来られた隣国からの来客の方も、『シャイな君の婚約者殿は、今あそこから見守ってるよ』と教えてくれようとしただけです」
親切な解説者達の中には、当然ラタンも含まれていた。ラタンは愉快なことが大好きだ。
「ということはつまり、僕の本心は周囲に…………」
「筒抜けですね」
ロステオが言えなかったことを、キサラがさらっと口に出した。
「お義姉様止めてあげて! 氷の公爵令息なんて呼ばれて、内心調子に乗りまくってる兄様のメンタルは、もうとっくに瀕死の重体よ!」
声が笑っているラタンは、進んでロステオに止めを刺しにいっている。ロステオは最初から最後まで援護射撃どころか、後ろから撃たれただけで終わった。
「お前は味方じゃないのか!」
ロステオは恥ずかしすぎて、今にも泣き出しそうだ。それを見て、キサラはゾクゾクが止められない。
「もちろん味方よ。お義姉様の」
ラタンの返事は無情だった。
「ってわけで、そうだー。私やること思い出した―。そろそろお暇するねー」
「行かないでくれ~。二人きりにしないでくれ~」
棒読みで言うだけ言った後、ロステオの訴えを無視して、ラタンは部屋から出て行った。ロステオがキサラの方を見れば、キサラは悪い笑顔を浮かべている。
「さあ二人きりで、い~っぱい恥ずかしいことをしましょう? どうしたらもっと恥ずかしがってくれますか? 今まで散々私を我慢させたのですから、覚悟は出来ていますよね? 愛しい愛しいロ・ス・テ・オ・様?」
「恥ずか死ぬからやめてくれ~~~!」
ロステオの情けない叫び声が部屋中に響き渡った。
その後無事恥ずか死んだロステオは、翌日自室から一歩も外に出られなかった。この出来事がショック療法になったのか、キサラに対する冷遇は少しマシになった。相変わらずキサラの名前は呼べないままだけれども。




