閑話:ウィステリア②
かたかたと音を出しながら湯気立つ藥鑵に私は頃合いを見た。
「火よ消えろ」
魔法で火が問題なく消えたのを確認した私はさらに杖を振った。
「浮游せよ」
火にかけた藥鑵は言うまでもなく熱い。それは持ち手でもそうだ。
さすがに一瞬で火傷をしたりはしないだろうが、長く持ち続ければ低温火傷もあり得る。
手指は魔女の命だ。火傷などもっての他。
だから私は湯を注ぐことにも魔法を使う。
熱された湯がティーポットに注がれていく心地好い音を聞きながら、私はミス・エヴァンズに再度確認した。
「ミス・エヴァンズ、本当にアッサムで良いですか?」
「ああ、何でも良いよ」
何でも良いと言うなら何でも良いのだろう。
私は重くなったティーポットとティーカップを2セット浮かせて談話室に戻った。そしてミス・エヴァンズの座る机にそれらを置く。
ティータイムは私の好きな時間だ。ここ数日出来てなくて寂しかったので少し嬉しい。
しかし私は信じられない光景を目にする。
ミス・エヴァンズの対面に座ろうとすると、ミス・エヴァンズがティーポットを持ち上げていたのだ。
「ミス・エヴァンズ、何をしているのですか?」
「ん? …ああ、良いよ別に。先輩だからって私のまで注ぐ必要はない」
「いえ、それ以前にまだお湯を注いだばかりですよそれ。ほぼ白湯です」
「………あっ」
ミス・エヴァンズはティーポットの傾きを直してすっと机に戻す。
「……」
「……」
「いや、恥ずかしいところを見せた。実は私、紅茶が分からないんだ。エヴァンズの家の娘なのに恥ずかしいね」
「いえ恥ずかしいことはありませんが…」
「意外だった?」
「………ええ…まあ…」
ティーポットの注ぎ口から立ち上がった白い湯気の向こうではミス・エヴァンズが先ほど買ったクッキーの袋を開けていた。
「私は昔から魔法が大好きでね、それ以外は余り好きじゃないんだ。父に連れ回される社交界とかも大嫌いだったよ」
「そうですか…」
私は基本的に家から出たことがない。
父は私を可愛がってはいるが、余り私をひけらかすのを好む人ではなかったのだ。幼少の頃に数回参加したが、その記憶ももう掠れている。
「紅茶って蒸らすのに時間掛かるの?」
「そうですね……ストレートならもう良いかもしれません」
「ロウェルはミルクティーにするの?」
「ええ、バター菓子にはミルクティーが合うので」
「なら、私もそうしようかな」
そんな話をしながらティーポットを運ぶのに使った杖を懐にしまうと、ミス・エヴァンズがそれを目敏く指摘してくる。
「ロウェルは胸元に杖を入れてるタイプなんだね」
「ええ、普通ではありませんか?」
「まあ普通と言えば普通だけど、ガウンの袖に入れてる人もいるからね。私もそうだし」
「袖?」
「そう。このガウンって袖の部分が袋になってて小物を入れられるんだ」
言われて確かめてみると本当にそうだった。
「私も袖に入れた方が良いですかね」
「まあ、それは好み次第だけど。ロウェルは日常生活でも良く魔法を使うみたいだし、袖に入れるのも良いんじゃない?」
そうすれば取り出すのもしまうのも楽になる。私は早速袖に杖を放り込んだ。
さて、そろそろ紅茶も良い頃だろう。
私はティーポット持ち上げてミス・エヴァンズのカップで傾けた。
「ここは魔法使わないんだ」
「茶葉が混ざると良くないので」
「なるほど」
それぞれのカップが紅茶に満たされたら、ミルクを注いでスプーンでゆっくり混ぜる。
「良いね、お嬢様みたいだ」
「お嬢様ですから」
「そうだった」
良い薫りだ。
私は早速ミルクティーを一口飲む。
「おいしい」
「ええ、そうですね」
我ながら悪くない紅茶だ。
クッキーも手にとって口に運ぶ。これもおいしい。バターの風味が口の中で広がり、ミルクティーのコクといいコンビネーションを出していた。
「さて、このまま優雅にティータイムを楽しみたいところなんだけど、今日はロウェルに話があるんだ」
「私にですか?」
「君に、だ」
はて、寮長に目を付けられるようなことをしただろうか。
……してた。
そういえば私は初日から補習をダブらせた猛者なのだった。
「あー、ロウェルが考えているようなことではないかな?」
「また顔に出ていましたか」
「また顔に出てましたよー」
両の頬をむにむにと両手で捏ねる。
果たしてそれに何の意味があるのかは分からないが、少しでも私の悪癖が改善されればと思っての行動だった。
「さて、なんだっけな……ああ思い出した。ロウェルに頼みたいことがあるんだった」
「私に? 初めて会ったばかりですよね?」
「……そうかなとは思っていたけど、君の口から直接言われると結構傷付くな」
「…?」
そう言われて今一度ミス・エヴァンズを見詰めるが、やはり見覚えはなかった。
そしてはたと、入寮時に意味ありげに見られていたことを思い出す。
「ロウェルと私は十と二年前に会ってるよ、社交界でね」
「はぁ、十二年前…」
その頃私は三歳だ。それはさすがに覚えてない。
よしんばその頃のことを覚えていたとしても、ミス・エヴァンズも相当容姿が変わっているはずだ。
分かりっこない。
しかしそれはお互い様のはずだった。
「ミス・エヴァンズは、何故私のことを覚えていたのですか?」
「それは勿論印象的だったからだよ。艶々の黒髪に宝石みたいな瞳、可愛かったなぁ」
「そ、そうですか」
悪い気はしないがどことなく恥ずかしい。過去の自分を褒められるのはそこはかとなくむず痒いものだった。
「君に会いたくて嫌な社交界も通ったけど、あれ以来一度も会えなかったね。お父様とは何度もお話ししたけど」
「それはその父さんに黒魔を見せてもらって、すっかりそちらに没頭するようになってしまったので」
社交界のことなど欠片も覚えていない私だが、あの雪の日のことは鮮明に覚えている。
それほど感動的だった。
余談だが、あれは父と母の黒魔女と白魔女どちらに育てるかの協議で、黒魔女派の父が使った反則ギリギリの賄賂だったらしい。
感動を返してほしい。
「小さい頃も可愛かったけど、今の君も可愛いね。黒髪も目もそのまま。でも顔はちょっとレディになってる」
「あ、あまり褒め千切られると恥ずかしいですね…」
「まだ全然褒め足りないくらいなんだけど、話があるんだったね」
「ああ、話の腰を折って申し訳ない」
「いや良いんだ」
そしてミス・エヴァンズは紅茶を一口啜って、待望の本題を言った。
「ロウェルに、寮長になってほしいんだ」
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