アヴァターラ(化身)
古代インドに語り継がれる叙事詩「ラーマーヤナ」、ヴィシュヌ神の化身「ラーマ王子」の愛する「シーター妃」を奪還するために耗発した羅刹羅闍「ラーヴァナ」との戦の末、羅刹の王が敗北者となり、王子と妃が運命の再開を果たした...もしこの物語は運命によって定められたとしたら、それに抗えないだろうか。
時は現代日本、ある女子大学生「椎谷・蘭華」がラーマーヤナの物語(世界)に巻き込まれ、滅んだはずの羅刹の王との出会いで運命が動き出す...前の【先日譚」である...
運命は抗えずに同じことが繰り返す...そのようなこと、誰が言った?
断じて認めぬ!なってたまるか!
どれだけ運命に抗おうとしても...
例え神と戦うことになっても...
余は愛する人を幸せにする!
現在 某大学構内の一つの講義室内
「では、資料の通り...神が自ら下界、すなわち人間の世界に降臨するではなく、私たちと同じ人間として生まれ変わることが「転生」だと呼ばれます。しかし、最近の「転生」とは少し違います。特にヒンドゥー教やバラモン教の神話や叙事詩では「転生」、そして神様が別の姿に生まれ変わること、「化身」という展開がよく物語に出てきます。「転生」の話で一番有名なのは皆さんがもしかしたらご存じかもしれないが、あの「ラーマーヤナ」の主人公である「ラーマ王子」は世界の守護神「ヴィシュヌ」の化身の一つの姿です。ハリウッド映画のタイトルで有名の「Avat〇〇」はその思考からSF仕様にしたものと言っても間違いないでしょう。」
とずっとすらすらと講義室内で説明した男性は半分部屋内の席で寝ていた人たちを見て、一回かけているメガネを外して、かけ直した。
「では、今回の講義はこれぐらいにしましょう」
「鳳先生!質問いいですか?」
と一人の男子生徒のが手を挙げて質問をした。
「何かね?」
その生徒の尋ねに鳳先生と呼ばれた男がその声がした方向に顔を向いた。
「転生又は化身ということができるのは神だけですか?なんで最近は人間が「転生」するという物語が主流になっていると思いますか?」
「さあな...君が言っていた最近のサブカルチャーのコンテンツとして「転生もの」というであれば、これは逆に考えると「転生」というより「生まれ変わり」という言葉がより適切かと私は思う。仏教の思想の一つである「輪廻転生」から生物のすべては同じか別の生き物に生まれ変わる、悟りを得て涅槃ではない限りはその繰り返し...何度も何度も...つまり、生と死の繰り返し...これは私が知っている「転生」だ。そして、「転生」した者の一番の特徴は前世の記憶がない又は断片的な記憶しか残らないということです。これは前のサブカルチャーのコンテンツでよく使われましたが、最近は前世の記憶が残るままの設定...別の「転生」になって、私としても興味深いですね。」
とずらずら質問に対して説明した鳳先生の答えに対して、講義室内の空気がいっぺん変わった。
「では...次の質問は?」
沈黙に満ちた講義室の中に漂う空気を悟って、鳳は別の話題に移した。
「神々のアヴァターラ以外にも、神ではない存在が転生する話があるかと聞かれたら
ありますという答えになっていますが、あまり知られていない話ので、それについて語りましょう。」
鳳は自分のメガネのズレを直して、次に語り始めた。
「これは理不尽な運命に対して、復讐心を抱いた一体の羅刹...日本で簡単にいうとそう...【鬼】の物語である。」
最後までお読みいただきありがとうございました。
古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」をベースにした輪廻転生系ローファンタジーフィクションです。
日本では三国志や西遊記よりかなりマイナーですが、南アジアから東南アジアまで広く親しまれる作品です。ぜひご興味ある方は原作にも読んでいただければと思います。
今回登場した「アヴァターラ」や「羅刹」についての詳細はキーワードとして検索してみてください。
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