旧神の印 2
「パソコンのデータを見ないといけないわけですね」
山倉はやや絶望を感じた。
パソコンは正直言って触れたくないと思ったのだが、そういうわけにはいかないらしい。
「里中さんおひとりで見ると、眠ってしまうかもしれませんので、私も隣にいましょう」
「私も付き添いましょうか?」
真奈美も不安そうだ。
「あなたは、部屋の外にいて、様子を見ていてください。里中さんと私、二人とも眠ってしまう事態がないとも限りません。異常を感じたら、私たちを叩き起こすのが、あなたの仕事です」
無論、三人全員眠ってしまう可能性はある。それに、起こしたところで目が覚めるとも限らない。
こればかりはやってみないとわからないし、やらなければ、何も変わらない。
山倉は部屋にかけられた時計に目をやる。
「長丁場になりそうだな」
時計の針は既に九時を回っていた。
「どうですか?」
山倉は光男に問いかける。
「大丈夫です。ありました」
メモ用紙を手にしながら、光男はパソコンを見ている。
光男の部屋はどこか禍々しく、雨音はいっそう激しく屋根を叩いていた。
「よかったです。一気に調べようとなさらず、時々立ち上がったりしながら、ゆっくりと進めてください。私と話すのもやめないで」
「はい」
山倉は、光男から数歩離れ、パソコンの画面を見ないようにしている。万が一にも光男が眠ってしまったら、揺り動かさなければならないが、自分が寝てしまう危険をできるだけ避けたい。
当初は山倉がデータを見ることも考えたが、知識のない山倉が一から読み解く時間のロスを考え、結局光男が調べることになった。
真奈美は部屋の外に座り込んで中の様子をみまもっている。
光男は山倉の指示通り、休みながらパソコンの中の魔導書を読み始めた。時折、目を閉じそうになる光男に山倉は声を掛ける。光男が睡魔に襲われそうになるたびに、彼の身体から黒い影がにじむ。光男が眠るのを『待って』いるのだ。影は、山倉や真奈美が見ていても構わないらしい。神は光男の『覚醒』している時だけ、囚われているのに過ぎない。ひとの目などどうだってよいのだ。いや、むしろ、光男以外の人間が恐怖に囚われることを楽しんでいるのかもしれない。
「わかりました」
光男がパソコンのデータを閉じたのは、二時間ほど過ぎてからだった。
「こちらの印が、旧神の印です」
五芒星のなかに、目のようなものが描かれている。目の中には炎のようなものがあり、退魔の印というには、随分と禍々しさを感じさせた。
「これがかの神に効果があるかどうかは疑問の残るところですが」
あくまで神の下僕に効果はあると言われてはいるが、どの程度の効果があるものかはわからないものらしい。
ただ、他に選択の余地はない。
山倉と光男と真奈美は、パソコンにペンで直接印を描き、次にそれぞれの額にも同じものを描く。
ベッド、シーツ、枕。思いつく限り描き切ったころには、既に深夜で、三人とも疲労困憊であった。
「とりあえず、里中さんと真奈美さんは眠ってください。私は里中さんの様子を見ています」
「私も一緒に起きてます」
真奈美が心配げに山倉を見る。
「いえ。朝になったら、私と変わって、今度は里中さんが眠らずに小説を書くように見張ってください」
「小説を……」
光男がごくりと喉を鳴らした。
「いいですか。あなたが書き上げなければ、おそらくインターネット越しの読者にも怪異の影響が及ぶかもしれません。どんなラストにせよ、物語はあなたが閉じなければ」
何の根拠もないが、山倉はそれが真実だと思った。だからこそ、かの神はこんなまどろっこしいやり方で楽しんでいるのだ。
「わかりました」
光男は覚悟を決めたようにはっきりと頷いたのだった。