ユダヤ人の祖先の歴史 ①
ユダヤ人の祖先アブラハムとその子孫の歴史について。その①「アブラハム(アブラム)のカナン移住」
◆ ユダヤ人の祖先「アブラハム(アブラム)のカナン移住」
ユダヤ教において、すべてのユダヤ人の祖先とされるのが「アブラハム」という人物。アブラハムは元は「アブラム」といった。
『旧約聖書』の記述では、有名な「ノアの方舟」のノアから10代目の子孫にあたる人物だとされる。
アブラムは、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウルの地で、裕福な遊牧民の家に生まれたと考えられている。
アブラムは、ウルから離れてカナンの地(ヨルダン川西岸。現在のパレスティナ)に移り住もうと思い立った父のテラに連れられて、家族と一緒にカナンへの旅に出る。
しかし父テラはカナンにまで行くことなく、その途中のハラン(メソポタミア北部、チグリス川・ユーフラテス川上流、現在のトルコのハラン)という場所にとどまって、結局そこに住み着いて一生を終えてしまう。205歳の生涯だったという。
● ヤハウェ神のお告げを受けて「カナン」の地へと向う
しかし父テラの死後、アブラムはヤハウェ神から啓示を受け、改めてカナンの地へ向うことを命じられる。
神は次のようにアブラムに告げたという。
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。」(旧約聖書『創世記』12:1-3 より)
アブラムは、父テラの死後、ヤハウェ神からのお告げに従い、妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに再び「約束の地カナン(パレスチナ)」へ向けて旅立つ。このときアブラム75歳。
アブラム一行がカナンの地に入ると、シェケム(エルサレムの北方約50km)で再び神がアブラムの前に現れ、
「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」(『創世記』12:7 より)
との言葉を授けた。
その後、アブラム一行はさらに南下してベテルとアイの間(エルサレムの北方約20km)の「ネゲブ地方(カナン南部の高原性乾燥地帯)」に移り住んだ。そしてそこに神のための祭壇を築き、神に感謝の祈りをささげた。
※『族長たちの世界』のサイト様にも、「カナン」方面の詳しい地図が掲載されています。→https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102003104
● 飢饉に遭ってエジプトへと避難する
神から与えられることとなったカナンの地へと移り住んだアブラムとその家族たちだったが、ところがあるときその、アブラムたちが移り住んだネゲブ地方が飢饉に襲われてしまい、それでアブラム一行は仕方なく、揃ってエジプトへ避難することとなった。
エジプトに逃れたアブラムとその家族たちだったが、エジプトではアブラムの美しかった妻のサライが召し出されて何とエジプト王の妻とされてしまう。
アブラムはエジプトに入る前、もし美貌のサライに夫がいるとわかれば自分は殺されてしまうだろうといって、妻のサライにエジプトでは自分の妹だということにさせていたのだが、それでフリーだと思った王にそのまま召し出されてしまったのだった。
しかしそのせいでエジプト王は神からの罰を受けてしまう。王とその家の者たちは激しい疫病にみまわれたという。
王はアブラムに「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」と告げると、アブラム一行を彼らが持っていた全ての所有物をそのままに、カナンの地へ送り戻した。
● エジプトから帰還後、アブラムとエジプト人女奴隷ハガルとの間に長子イシュマエルが誕生する
アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出て、ネゲブへと帰った。甥のロトも一緒だった。
しかしその際、アブラハムの牧夫とロトの牧夫との間に争いが起きたため、ロトは肥沃な土地である東方のヨルダン地域へと移動し、後にソドムへと移住することにしたという。
このとき、アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいたといい、また、ロトのほうも羊、牛および天幕を持っていたという。
それから、ヤハウェ神はまた、アブラムに、
「あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」と告げるのだが、しかしアブラムには不審だった。アブラムの妻サライは高齢になっても子を妊娠することがまったくないままだった。
アブラムがそれで、
「あなたはわたしに子を賜わらないので、わたしの家に生れたしもべが、あとつぎとなるでしょう」というと、神は、
「この者はあなたのあとつぎとなるべきではありません。あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」といい、さらに続けて、
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」といった。
また、時に神はアブラムに、
「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。
しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。
あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。
四代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」と遠い遥か先の未来を予言し、さらに、神はアブラムと契約を結んで、
「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える」と約束た。(『創世記』第15章 13-21)
しかし、神からたくさんの子孫を授かると約束されたアブラムだったが、ただ、アブラムに子ができないのは自分のせいだと思った妻のサライは、夫に、
「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」といい、そのつかえめのエジプト女ハガルをとって、夫アブラムに妻として与えると、アブラハムはサライの言葉を聞き入れてハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。
ところが、ハガルはアブラムの子をはらむと、女主人のサライを見下げるようになった。
それに対してサライのほうも、女主人としてハガルにつらくあたるようになると、ハガルはその苦しめに耐えられずサライの顔を避けて身重のからだで逃げ出してしまう。
するとその途中、荒野にある泉のほとりで主の使いが現れ、
「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」とハガルに向って命じた。
主の使はまたハガルに、
「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」といい、さらに彼女のお腹の中の子について「イシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです」といった。
その後、神の使の言いつけ通りにハガルがアブラムの元へ戻ると、彼女は男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエル(イシュマエル)と名づけた。
ハガルがイシュマエルをアブラムに産んだ時、アブラムは八十六歳であったという。
● 庶子イシュマエルの誕生に続き、妻サライとの間に嫡子となるイサクが誕生する
イシュマエルの誕生後、ヤハウェの神がまたアブラムの前に現れて、
「わたしはあなたと契約を結び、大いにあなたの子孫を増すであろう」と言った。
また、
「あなたは多くの国民の父となるであろう」といい、そのためアブラムに対し、今後は「アブラハム」と名乗るように命じる。
神はアブラハムに対し、
「わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起そう。また、王たちもあなたから出るであろう。わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう」と述べた。
神はまたアブラハムに、
「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい」と命じた。
さらに続けて、
「わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」といった。
アブラハムはこのとき100歳になっていて、妻のサラも90歳になっていたが、神は、
「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう」と言った。
しかし神はその一方で先に生まれた庶子のイシュマエルについても、「どうかイシマエルがあなた(主、ヤハウェの神)の前に生きながらえますように」とイシュマエルの身を案じるアブラハムに対し、
「わたしはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう」と伝えた。
その後、サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。生まれた子はイサクと名づけられた。
しかし、サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子イシュマエルが、自分の子イサクと遊ぶのを見て、
「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」とアブラハムに言った。
この事で、アブラハムはイシュマエルのために非常に心配したが、するとそこにまた神が現われて、
「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです」といい、同時に、
「しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」と告げた。
そう神にいわれたアブラハムは、妻サラの望み通りに、パンと水の皮袋をハガルに与えて、肩に負わせると、子のイシュマエルを連れて去らせた。
ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよったが、やがて皮袋の水が尽きてしまう。母親のハガルは悲嘆に暮れて涙し、子のイシュマエルも泣き出してしまう。
しかしイシュマエルの泣き声を聞いた神は、神の使いをしてハガルに天から、
「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。
立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」と告げさせた。
神がハガルの目を開くと、彼女は水の井戸があるのを見つけ、生きながらえることができた。
イシュマエルはその後も神に見守られながら、成長し、彼は荒野に住んで弓を射る者となった。
イシュマルはパラン(シナイ半島中央)の荒野に住んだ。母のハガルは彼のためにエジプトの国から妻を迎えたという。
● ユダヤ人の祖となったイサクと、アラブ人の祖となったイシュマエル
アブラハムと妻サラとの間に生まれた嫡子のイサクにはその後、エサウとヤコブという双子の兄弟が生まれるが、長子エサウの子孫は「エドム人」と呼ばれる民族の祖になり、次子のヤコブは「ユダヤ人」の祖となり、またアブラハムの庶子イシュマエルは「アラブ人」の祖先になったという。
● エドム人の祖となったエサウ
アブラハムの子イサクの長子エサウの子孫は、アカバ湾から死海にかけての地に住み着き「エドム人」と呼ばれた民族の祖になったという。
● アラブ人の祖となったイシュマエル
アブラハムとエジプト人女奴隷ハガルとの間に生まれた子イシュマエルは、「彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう」との神の預言通り、12人の息子をもうけ、これらの息子たちはイシュマエル人のそれぞれの氏族の長となった。このイシュマエル人が、後のいわゆる「アラブ民族」になったという。
イスラム教の聖典『クルアーン』では、イシュマエルは父とともにカーバ神殿の建設を行い、マッカに定着して、土地の女性と結婚し、アラブ人の祖先になったと伝えられている。
『旧約聖書』のほうでは、ハガルがイシュマエルを身ごもった後、見下した態度でサライから恨まれ、彼女からの苦しめに耐えられず逃げ出したとき、荒野の泉のほとりで現われた神の使から、
「わたしは大いにあなたの子孫を増して、数えきれないほどに多くしましょう」と言われたのと同時に、その生まれてくる子について、
「彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」との預言も受けていた。
この「野ろばのような人」「荒野に住んで弓を射る者となった」という表現は、それはつまり、ロバのように落ち着きのない、さすらい人になったということを表している。
ロバはウマと比較して、好奇心が強く、社会性があり、繊細だとされるウマに対して、反してロバは新しい物事を嫌い、唐突で駆け引き下手で、図太い性格だとされ、集団生活においても、野生のウマは、序列のはっきりしたハレム社会を構成し群れを作って生活するが、野ロバのほうは恒常的な群れを作らず、雄は縄張りを渡り歩き単独で生活し、馬のように人間とうまく呼吸を合わせるようなコミュニケーションも苦手だという。
また、古代ギリシア・ローマでは、ロバは過度の性欲と結び付けられて考えられていたという。
イシュマエルはパランの荒野に住む人となったが、イシュマエルの子孫も、エジプトの東からシナイ半島全域、さらにはアラビア北部を通ってアッシリアに至るまでの範囲をさすらう「ベドウィン」(遊牧民族)になった。
また、彼らはどう猛で戦いを好み、他の民と協調してゆくのが難しい人々として知られていたという。
・ 「イシュマエル人」→『ものみの塔オンライン・ライブラリー』 https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002216#h=4
・ 「ろば」→『ものみの塔オンライン・ライブラリー』 https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200000440
アブラハムの妻サラの子イサクの子孫であるイスラエル人たちから彼らは「イシュマエル人」と呼ばれるようになるが、イスラエルの民にとって彼らイシュマエルの民は、「弓を射」「その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住む」という預言者に示された通りの存在として受け止められていたようだ。
聖書の『創世記』には、ヤコブ(イサクの子)の子どもたちが不仲になった弟のヨセフを、彼らがいうその「イシュマエル人」に奴隷として売り飛ばそうとする場面が出てくる。(『創世記』第37章 25-27)
● ユダヤ人の祖となったイサク
アブラハムと妻サラとの間に生まれた嫡子のイサクにはエサウとヤコブという双子の兄弟が生まれたが、その孫のヤコブにはさらに12人の子どもが生まれ、そしてその家系が「イスラエルの12部族(イスラエルの十二支族)」を形成し、その後のいわゆる「ユダヤ人」の祖先になったという。
「イスラエル」という言葉は、ヤコブがあるとき神との格闘に勝利し、そのことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」と「エル(神)」の複合名詞)の名を与えられ、これがその後、紀元前10世紀後半に彼ら部族が統一して建国した「イスラエル王国(ヘブライ王国)」の名の由来ともなった。
ヤコブには4人の妻に、12人の息子と1人の娘がいた。
・ラバンの娘レアの子 - ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、一人娘であるディナ
・ラケルの下女ビルハの子 - ダン、ナフタリ
・レアの下女ジルパの子 - ガド、アシェル
・レアの妹ラケルの子 - ヨセフ、ベニヤミン
そしてこれらの子の子孫がそれぞれ、ルベン族、シメオン族、ユダ族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、ベニヤミン族、エフライム族、マナセ族といった12の部族となっていく。
彼らはそれぞれの族長が一族を統治をする「部族制」をとり、祭祀も族長が行った。アブラハムの子孫であるこれらのイスラエル人たちは、カナン(パレスティナ)の地に住み、羊の群れを追う遊牧生活を営んでいたが、紀元前1000年ころになって「イスラエル王国(ヘブライ王国)」を建設し、生活も定着農耕生活へ移っていくようになる。
● ヤコブの子ヨセフの追放とヤコブ一族のエジプトへの移住
ヤコブには4人の妻と12人の息子たちがいたが、ヤコブは最も愛した妻ラケルの息子で兄弟全員の中では11番目のヨセフを他のどの子よりも特に偏愛した。ヨセフは兄弟の中で、飛び抜けて優秀でかつ美しい容姿を持っていたという。
しかし他の兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎んだ。
しかも、ヨセフはあるとき夢を見て、その夢の内容を兄弟たちに語ったが、その夢は、ヨセフが彼らの王となって他の兄弟たちがヨセフにひざまずくというものだった。
兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎み、遂にヨセフを殺してしまおうとたくらむが、殺すことは思いとどまり、穴に投げ込んだ。
するとそこへ、イシュマエル人の隊商が通りかかったので、彼らにヨセフを売ろうとするが、その間に別のミデアン人の商人たちが通りかかって穴の中のヨセフを見つけ、銀二十シケルでヨセフをイシマエル人に売り渡してしまった。イシマエル人はヨセフをエジプトへ連れて行った。
穴に帰ってきた兄弟たちは、ヨセフが穴の中にいなかったので、ヨセフの着物を取り、雄やぎを殺して、着物をその血に浸し、その長そでの着物を父に持ち帰った。それを見た父のヤコブは「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」といって歎いた。
一方、エジプトへ奴隷として売られたヨセフのほうは、エジプトで、エジプト王宮の侍衛長ポティファルという人物に下僕として買い取られる。
しかし、ヨセフは常に神と共にあり、ヨセフのすることはすべて神の加護によって栄えさせられた。それを見た主人のポティファルはヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねるようになった。
その後、ヨセフは主人の妻からも気に入られて何度も性の誘惑を受けるのだがすべて断わった結果、逆にその主人の妻の勘気を被り、レイプ未遂の冤罪をでっちあげられて投獄させらてしまう。
しかしここでもヨセフは神のいつくしみを与えられて彼のなしたことはすべて栄えさせられたため、ポティファルのときと同じように監獄長に気に入られ、その監獄の管理人となった。
ヨセフには人が見た夢の内容を解読する「夢判断」の能力があって、獄に入ってきた囚人たちにその能力を示していたのだが、その能力が後にファラオ(旧約聖書の記述では「パロ」)に知られ、ファラオに認められて出世し、遂にヨセフはエジプトの宰相にまで登りつめることとなる。
その後、エジプトで「7年間の大飢饉」が発生。この大飢饉はヨセフの父ヤコブや兄弟たちのいるカナンの地にも及び、するとヨセフは他の10人の異母兄弟たちを連れてエジプトへと避難してきた。
エジプトではヨセフが7年の飢饉の前にきた7年の豊作も夢判断で一緒に予知していたため、豊作の年に生産の5分の1ずつを飢饉に備えてたくわえさせて滅びることはなかった。
ヨセフは再会した兄弟たちと和解を果たすと、父と兄弟たちをカナからエジプトのゴジェンに移住させた。
◆ モーセの誕生と「出エジプト」
→2話目以降で執筆中
◆ ヨシュアの登場と「カナン侵攻」
→2話目以降で執筆予定
◆ イスラエル王国(ヘブライ王国)の建国
イスラエル王国(ヘブライ王国)の初代王となったのは、ベニヤミン族出身のサウルという人物だった。サウルは「士師」(イスラエル民衆の指導者、裁判人、仲介者)をしていたサムエルという「預言者」(神からの言葉を預かる者)から、サウルこそ神が選んだ人であるに違いないと見込まれ、油を注がれて初代の国王となった。「油をそそぐ」というのは「王位につける儀式」のこと。
そのころイスラエルの人々は、「海の民」がシナイ半島に進出して建設したペリシテ人の国からの侵略に晒されていて、強力な王の登場が求められていた。
サウルは王としてペリシテ人を相手に勇敢に戦うが、最後はペリシテ人との戦いに敗れて命を落とす。サウルはアマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の加護が受けられなくなっていたという。
そんなサウルに代わって、神の命をうけたサムエルが新たな王として見出し油を注いだのが、ベツレヘムのエッサイの第八子で羊飼いの美しい少年ダビデだった。
ダビデはペリシテ人との戦いで次々に勝利を収めて活躍し、ユダ族の人々から王として迎えられると、サウル死後の内乱も制してイスラエル王国(ヘブライ王国)の2代目国王となった。
ダヴィデ王はさらに周辺諸民族も従え、パレスチナ全域を支配する統一帝国を建設し、次の3代目ダヴィデの子ソロモン王の紀元前10世紀中ごろには最盛期を迎え、「ソロモンの栄華」と称された。
しかし、ソロモン王の積極的な神殿建設などが民衆への負担を増大させたため、次第に反発が強まり、彼の死後の前926年に、北部の部族が南部のユダ族ソロモン家の支配に反発して分離独立し、単独の「イスラエル王国」を建国。またそれによって南は「ユダ王国」として分立することとなった。
北部のイスラエル王国は、前722年に、アッシリア帝国のサルゴン2世によって滅ぼされるが、このとき滅ぼされたイスラエル王国の民衆がアッシリア帝国各地に強制移住させられる「アッシリア捕囚」が行われた。
一方、南部のユダ国のほうも、前586年に、新バビロニア王国のネブカドネザル2世によってに滅亡に追い込まれるが、このときにもまた、今度はユダ族の民が強制的にパレスチナの地から引き離され、遠くバビロニアの都バビロンへ連行されて捕虜にされるという「バビロン捕囚」が行われた。
バビロンで捕らわれの身となったユダ族のヘブライ人たちは、前538年に、新バビロニアを滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世によって解放されるが、このときまでに生き残ったユダ族の名が、「ユダヤ人」というイスラエル人(ヘブライ人)に代わる新たな民族呼称として用いられるようになっていく。
ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂したイスラエル王国の、南のユダ王国のほうはユダ族とベニヤミン族から構成されていて、北のイスラエル王国はそれ以外の十部族からなっていたという。
分裂したイスラエル王国は、北のイスラエル王国のほうから先に滅ぼされるが、ユダ族は同じ「イスラエルの12部族(イスラエルの十二支族)」の中でも最も、敵に対して頑強な抵抗運動を繰り広げた部族だった。
北のイスラエル王国をほろぼしたアッシリア帝国は、非常に過酷な宗教政策を取って、信仰の自由を認めなかったという。また復讐が厳格で、どんどん首をはね、征服してイスラエル人を捕囚した後も、ユダヤ人の民族的アイデンティティを保証するような措置は一切とらなかった。
北王国はやがて雲散して、滅んだが、そこに住んでいたイスラエル民族は連れられて行方不明となり、そのまま歴史の舞台から姿を消していってしまったという。
イスラエル人とはアブラハムの孫ヤコブの故事にちなんで付けられた名称だが、それ以前、祖父のアブラハムたちは「ヘブライ人」と呼ばれていた。ヘブル人(Hebrew)とは、「国境を越えてきたもの」「川向こうから来た者」との意味で、主に、アブラハムやイスラエル人が異民族に自分を紹介する際に用いていた言葉だったという。
※「アッシリア」
※「新バビロニア」
手直ししながら書き足していきます。