8 それが食材であるならば
「な――」
「くっ……!」
現れた赤い山――巨大な魔物を前に、フレデリカもアルベルトさんも言葉を失った。
わずかに、カタ、と聞こえてくる。
……私だけでなく、二人も震えている?
確かに、大きくて強そうに見える魔物であるが、二人(に限らず、私を除くパーティみんな)が魔物相手に震えているところなど、初めて見た。
私にはあの魔物が何なのかわからないけれど、つまりは、とんでもなく強い相手だと言うことなのだろう。
ゴアアアアアアアアッ!!
魔物が、それだけで体を圧し潰してくるような重い咆哮をあげた。軽く衝撃波でも発生しているのか、バチバチと空気が弾ける。
ヤバイ、これはヤバイ。
なのに、「逃げなきゃ」と今にも折れそうな理性が何度も命令をしているのに、視線は魔物から引き剥がせず、足は石になってしまったかのようにピクリとも動いてくれない。
そして、緊張しすぎて血流がおかしくなっているのか、腕の疼きが酷くなってきた。
グアアアッ!
再度の咆哮をあげつつ、魔物が突進してくる。
……早い!
まだ結構距離が空いていたのにあっと言う間に詰め寄られ、凶悪なまでに鋭い爪が生えた腕を振るってくる。
「ぐ……うぁ……っ!」
アルベルトさんが盾を構え、後ろ足が押し込まれながらも何とか逸らし、その勢いのままお返しとばかりに剣を繰り出す。
ガキンッ
しかし刃が立たず、弾かれるだけに終わった。ほんの少し傷が付いたけど、あれではノーダメージに等しいだろう。
魔物は伸び切った腕を横に払いアルベルトさんに叩きつけようとしてくるが、フレデリカが咄嗟に放ったアーススパイクにより腕をかち上げられる。これも効いてはいなかったものの勢いまでは何ともできなかったのか、少し魔物がよろめいた。
そして「この隙に下がれ!」と怒鳴られることで束縛が解けたのか、慌てて後ろへと下がる。合わせてアルベルトさんも退いてきた。
「……全然効かないのは、さすがに、つらい」
「自分たちもそれなりの力を持っているものと自負していたが……さすがにドラゴンが相手となると、ここまでの差があるか……。せめてシャルロット殿が居れば……!」
二人が一瞬の攻防の間に汗びっしょりになっていたことよりも、会話の内容に私は思わず目を剥いて問い直す。
「え、ドラゴン!? あれが?」
私はただの平民で、ドラゴンなんて見たことがなかった。伯爵様の屋敷の本で絵を見たことはあるけれど……形状が違うのでわからなかった。ちなみに、本に描かれていたドラゴンは青色でサーペントのように細長かったが、このドラゴンは赤色でリザードマンを全体的に太く、ごつくしたような見た目である。同じドラゴンでも複数の種類が居るということか。
――あれがドラゴンなのだと認識した途端、腕の疼きが、全身を駆け巡るように伝播し始めた。
「あぁ、そうだ。しかも最悪なことに、気性の激しいフレイムドラゴンのようだ。ヤツは縄張りに侵入した者を決して逃さない……これは、厳しいことになりそうだ」
自慢の爪で獲物が引き裂けないどころか反撃されたことに警戒をしたのか、魔物――ドラゴンが様子を見るかのように首をもたげてくる。
しかしその目は、怒りか、飢えか、肝が小さい人だと視線だけで死んでしまいそうなほどにギラギラとしており、確かにこの様子では逃がしてくれそうにない。
――けれど。
「フレデリカ殿」
「……うん」
悲壮な決意を秘めたアルベルトさんが剣を構え直す。フレデリカも顔を青ざめさせながらもギチッと鳴りそうなほどに強く杖を握りしめた。
――そんな必要は、ない。
「ワタシたちが抑える。だからせめて、マリナだけでも逃げ――」
「……はは……っ」
フレデリカが何かを言っていたが、私の耳には入らなかった。
頭の中で、極度の恐怖と、極度の興奮がグルグルとミキサーのようにかき混ぜられ、自分でも訳のわからない混沌と化していたからだ。
――体中に満ちて、行き場を失った欲望が、もう我慢できないとばかりに爆発する。
「はは、ははははははははははは!!」
「「!?」」
突然笑い声を上げた私に、よもや気が触れたのかと二人がドラゴンを見つつもビクっとしていたけど、気にしている余裕はなかった。
私は、バックパックを落とすように降ろしながら、中身をぶちまけてその中の包丁を手に取る。
「ドラゴン……つまり……!」
包丁を手にした私の右手が震える。これは、恐怖だけが原因ではない。
何故なら、ドラゴンは。
「超 高 級 食 材 !!」
基本的に、魔物とは、魔素に侵されて変質してしまった生き物を示す。
力が強くなり、それと引き換えかのように理性を失い凶暴になり、人類の敵となる。
しかし、ごく少数であるが、魔素に侵されても性質は変わらず、力だけ増す生き物がいる。
その生き物の体が強靭で、魔素の毒の効果を打ち消しながらも、残った純粋なエネルギーを活用しているからだ。
代表例が――ドラゴン。
毒を撥ね退け、ただでさえ強い力を更なるものとする最強種の一角。
魔素を得たことで魔物としてカテゴライズされながらも、一般的な魔物とは違い「毒」がない。過去のとある魔物の研究者の手記にそう残されていた。
……それに目を付けた誰かが、「ひょっとしたら食べられるかもしれない」などとトチ狂ったことを思いついた。
そしてそれは達成されたのだろう。私が読んだ本には味だけで最上ランク、入手難度のせいで王侯貴族ですら滅多に食べられない「最上を超える最上」となっていた。
そんな「最上」が。今、私の、目の前にいる。
怖い。とてつもなく怖い。全身の震えが、涙が止まらない。
呼吸もままならず、握った包丁も切っ先がブレブレで、端から見ればヤケクソになっただけのように見えるだろう。
私の今にも飛びそうになる理性ではとにかく逃げたがっている。
でも、それ以上に。
アレを狩れと、調理せよと、私の腕に宿る能力が雄叫びを上げる。
大した戦闘経験のない、冒険者ですらない料理人が、最強に挑むだなんて無理だ。無茶でしかない。無謀に過ぎる。
けれども、能力が私にひたすら命令をする。
それが食材であるならば……料理できないことはないのだと!
「大人しく、肉になって、料理されろおおおおおおっ!」
私は狂気にも近い衝動に身を任せて、駆け出した。
驚きで声も上げられない二人を置き去りに。ただ一人で。
このドラゴンからすれば、私の相手をするのは困惑でしかなかっただろう。
何せ最強種なのだ。ちっぽけな人間なんて全て餌、もしくは虫けらのようなもの。
ドラゴンとて完璧ではない。同じく最強種として肩を並べる生き物に負けることもあれば、災害で命を落とすこともあるし、極稀に「英雄」と呼ばれるような人間に討伐されることもある。
とは言えそんなことは滅多にない。特に最後の項目に遭遇するのは一体どれだけ低い確率なのか。
このドラゴンは、きっと、ものすごく、運が悪いとしか言いようがない。
餌であるはずの人間に、逆に「食肉」として見られるなんて。
戦意を漲らせて挑んだ者も居ただろう。恐怖に涙を流しながら逃げ惑う者も居ただろう。
しかし、泣きながらも、ドラゴンを「獲物」として見た者は、「戦う」ではなく「狩る」ことを目的とした者はどれだけ居ただろうか。
人間に捕食される側になったドラゴンは、どれだけ居たのだろう――?
……まぁ、過去にドラゴンを食べて本にまで記した人が全ての元凶なのだと諦めてもらおう。
それがなければ私の能力は暴走しなかったはずだ。……多分、きっと、おそらく。
グオオァッ!
ドラゴンが、生意気にも立ち向かってくる獲物を叩き潰そうと上から腕を振り下ろしてくる。
「ひいいっ!」
ああああ怖い怖い怖い!
能力に身体能力を強化されても怖いものは怖い! どうして精神は強化してくれないのさ!!
戦闘勘もない私は上手く避けることもできず、迫りくる暴威に少しでも盾にならないかと包丁を掲げる。
スパンッ
「ぶえっ」
「……は?」
「……なん……だと……?」
三者三様の驚きは、直後のドラゴンの悲鳴に掻き消された。
ドラゴンの右手の人差し指と中指の付け根から前腕の半ばまで、私の包丁で真っ二つになっていたのだ。
抵抗はほとんどなかった。普段の、兎とか魚とか捌いてる時と変わらない。
……本当に食材判定されているのか……。
ちなみに、私の声がおかしいのは血しぶきを頭からめっちゃかぶったからである。
グオアアアアアッ!!
痛みで正常な判断ができないでいるのか、激高したドラゴンは切られた手をそのままに滅茶苦茶に腕を振り回す。
「こんの……っ」
切れたことに逆にいくらか冷静になった私は、今度はちゃんと包丁の刃を立てるように振り、ドラゴンの左腕をスッパリと切り落とす。
……へっぴり腰で恰好悪いのはどうしようもない。気にする人も誰もいないけど。
「フレデリカ、アルベルトさん! こいつは『食材』です! 切り分けるので補助してください!」
いくら食材とはいえ相手は非常に活きが良い。まな板の上で大人しく切られるのを待ってくれはしないのだ。
例えば今左腕を落としたらから次は右腕を切ろうと思っても、その前に齧られたらさすがにどうしようもない。怪我をしないでいられるような強化はかかってないと思うし、試したくもない。
妹なら一人でやれるかもしれないが、私には無理だ。だから調理補助が欲しい。
目の前で起こった現象に驚きすぎたのか二人とも凍結していたようだが、私の要請により戸惑いながらも解凍してくれた。
「……ま、まかせて」
「承知した!」
料理人風情が何を、と怒られることも少しだけ心配していたが、そんなことはなかった。
声に張りも戻り、絶望感も払拭されたようでそこも一安心である。
まぁ、私の包丁でしか切れないしドラゴンの攻撃力は変わらないので油断は全くできないのだが……今更この二人がそんなミスをすることもないだろう。
「目つぶしいくよ、気を付けて……に、いち、フラッシュ!」
「アルベルトさん、右腕から行きます!」
「応!」
フレデリカの合図に合わせて駆け出す。
左腕に続き目も潰されたドラゴンが暴れ出した。耳が生きているからかそこそこ狙いは正確であるが、私は先ほどと同じく包丁の刃を立てることで右の二の腕を半ばまで断つことに成功し、攻撃を喰らうことはなかった。切り落とせなかったのは微妙に怖くて踏み出しが足りなかったからである。し、仕方ないよね。
そして頭上から迫っていた牙は――
「我は何人たりとも侵せない砦である! ガーディアンフィールド!」
極々短時間であるが物理攻撃に対し絶対防御を誇る能力をタイミングピッタリで展開し、今度は完璧に防いでくれた。
いや、これが本来のアルベルトさんの実力なのだろう。きっとフルメンバーだったらあそこまで狼狽せず、落ち着いて対処もできたはずだ。
さて次はどこを解体しようか、と考えていたのだが――
「尻尾!」
「くっ!」
フレデリカの鋭い注意が飛び、血しぶきの舞う左肩の横から尻尾が伸ばされているのに気付いた。
アルベルトさんが盾の向きを変えるもののガーディアンフィールドの効果は切れており、私共々元の位置まで吹き飛ばされてしまう。
「エアクッション」
「こふっ」
が、フレデリカの用意してくれた風の膜のおかげで大事には至らなかった。衝撃で息が詰まり体も痛いけど、これくらいならまだ行ける。
「ブレス、くる!」
再度の警告にドラゴンの方を見てみれば、大きく口を開け、私の腕ほどもありそうな太い牙が並ぶ喉の奥から炎が溢れようとしていた。
一早くアルベルトさんが私たちを庇うように前に出て、剣を収めて両手でガッツリと盾の下部を地面に突き刺し、腰を落として防御の構えを取る。
「エアスクリーン……いっぱい!」
フレデリカも何層もの風の壁を作成して少しでも威力を減衰させようとしているようだ。
私はそんな二人の後ろに退避しながら何かできないかと考えていたら、足元に転がっているとある調理器具が目に付いた。
ボボボボボボボボッ!!
極太の火柱のようなブレスが放たれると同時に、私も手に取ったそれをブレスに向かって放り投げた。
「料理人が火に負けてたまるか……! 鉄板バリヤー!!」
私に投擲のセンスがあった……のではなくこれも多分能力補正だろう。
弧を描いて飛んで行った鉄板は狙い違わずブレスの射線上に到達し、鉄壁となってブレスを散らしていった。鉄板だけに。
「……なんか、すっごく、りふじん」
「……ご、ごめんなさい……?」
フレデリカのエアスクリーンが数呼吸の間に破られたのに、たかが鉄板に防がれたことに苦悩している。アルベルトさんも防御の構えのまま何とも言えないような雰囲気を纏っている。
実行した私もびっくりですよ。一か八かだったけどちゃんと効果が発揮されてよかった。
「じゃあこれも効くかな、っと」
ブレスを吐き終わった姿勢のまま動かないでいる(ひょっとしたら呆然としていたのかもしれない)ドラゴンの口に向けて、手持ちの鉄串全てを投げ付ける。
「あっ」
鉄串に胡椒袋の紐が引っ掛かってて一緒に……ちょっと待って、それめっちゃ高いんですけどー!?
グオオオオオンッ! プショイッ!
喉の奥に鉄串が刺さったことで、ブレス器官に傷が付いて破裂したようだ。口内の火傷に加えて胡椒塗れでくしゃみ連発で心なしか涙目に見えて……いや、うん、ドラゴンも胡椒でくしゃみするんだ……しかも良い具合に胡椒が振りかかったのか香ばしい匂いが漂ってきたよ……。更に胡椒が衝撃で広範囲に散ったのか、切られたばかりの傷口にかかって染みているように見えて、踏んだり蹴ったりのようである。
フレデリカとアルベルトさんもどこか憐憫の籠った眼差しになっている。その……わざとじゃないんですよ……?
「い、今のうちに倒しましょう!」
「ハッ、しまった」
「お、応……!」
とは言え、ドラゴンはのたうち回っていて、包丁が届く位置まで近付くのは危険だ。鉄串のように投げるのは駄目、その一撃で倒せる保証がない以上手元に刃物がなくなってしまうのだけは避けたい。
「しかたない。ふたり、飛ばす。上から、ぐっさり。アルベルト、マリナをかかえて」
「むっ」
「のわっ?」
言われたことの意味を疑問に思う間もなく、アルベルトさんに小脇に抱えられる。
「エアウォーク」
「お、おおお? 浮いてる? 飛んでる?」
「いってらっしゃい」
その言葉を引き金に、アルベルトさんと私は未だのたうつドラゴンの上空へと運ばれていった。
ひえぇ……がっちりとした腕に支えられて落ちる心配はなくても、それでも地に足が付いてない状態は怖い……!
わたわたしているうちにドラゴンの真上へと到着し、アルベルトさんが下に盾を構える。
「リリース、あんど、ブーストダッシュ」
移動の魔法の解除……だけでなく、背中から強く押されるような力を受けて勢いよく落下していく!
「シールドバッシュ! ヘヴィホールド!!」
アルベルトさんが着地(着竜?)寸前に能力を放ち、ドラゴンを地面へと縫い付けるように抑えつける。
直前に手を離された私はその反動で私はまた宙に放り出され……あわわわ、目の前に尻尾が……とりあえず切る!
ザンッ
変な体制だったので力など籠められるはずもなく、それでも刃が触れただけでザックリと切れてしまう。
抵抗感がほぼないものだから私の落下の勢いもあまり収まらず、そのまま地面に叩きつけられ……る前にドラゴンの体に刃を差し込んで少しでも勢いを減ら……あああやっぱり切れちゃうううう!
「ぐぇっ」
上手く着地できずにごろごろと転がる。包丁で自分を切らなくて良かった……!
転がり方なんてわからないから体の節々が痛い。でも呑気に転がったままではいられない。ドラゴンの上でアルベルトさんが暴れ馬の騎乗よろしくドラゴンを少しでも抑えつけようと能力を使い続けているのだ。
弱ってきているとはいえそもそも巨体のドラゴンなのだ、抑えつけるには並大抵の力では全く足りないだろう。どんどんと表情が苦悶へと歪んでいく。急がなきゃ!
「でええええい!」
私はドラゴンのお尻近くの背に包丁を突き立て、背骨に沿って切りながら首の方へと走っていった。まだ頭は落としてないけどドラゴンの背開きだー!
そして首の半ばまで辿り着いたところで包丁を引き抜き、大きく振り被る。
「これで、とどめ!」
ドッ!
いかなドラゴンとはいえ、アンデッドでもない生物が首を落とされては生きてはいられないだろう。
ビクンビクンとしばらく痙攣をしていたが少しずつ動きも小さくなり、やがて息絶えた。
「か……った……?」
離れた位置にいるフレデリカの声が、風に乗って聞こえてくる。
「……そのようだな」
アルベルトさんは用心しつつドラゴンの上から降り、しばし無言で見詰めてから長い長い息を吐いた。
「マリナ、だいじょう……ウワァ」
戦闘が終わったとみてフレデリカが駆け寄ってきたが、私の姿を確認するなり酷い声を上げた。
……まぁ、血抜きもしていないどころか、そもそも生きている巨躯の解体なんてしようとすれば、全身血塗れにもなりますよねー……べっちょりして気持ち悪い。
「とりあえず頭だけでも水で流してもらえないかな……」
「……あ、うん……ウォーター。……えっと、だいじょうぶ、なの?」
「精々打ち身と擦り傷くらいだから、ちょっと痛いくらいで特に問題はないよ」
いやもう本当、素人が戦ったにしては奇跡的なくらいに傷が少ない。でも運が良かっただけだろうから、そのうち妹に体術の訓練でも付けてもらおうかなぁ。身に付くかわからないけど。
犬のようにブルブルと首を振り、髪の間に手を通す。……何やらネチョっと変な感触がしたけど深く考えずに払い落とした。
「……マリナ殿、今回は貴女のおかげで助かった。礼を述べさせてほしい」
「ん、ワタシも、そう思う。本当に、ありがとう」
アルベルトさんも近寄ってきたと思えば、すっごい神妙な顔をして深く頭を下げてきたのでびっくりした。
フレデリカまで……いやいやちょっと待ってくださいよ。
たまたま私の能力が発揮できただけだし、パーティメンバーなのだから助けるのは当たり前と言うか、むしろ私が普段助けられてばかりと言うか。戦闘では足手まといでしかなかったものだから、改めてお礼を言われるとすっごいムズムズする。
「色々と言いたいことがある気がしますけど……とりあえず、私はいつもみんなに助けられています。だから恩を返したってことでこれ以上気にしないでください」
「しかし……」
「それより、ドラゴンをきちんと切り分けて料理してしまいたいので、もうちょっと手伝ってください」
横たわっているドラゴンの死骸に目を向け、お願いをする。
こんな二度とお目にかかれるかどうかわからない超高級食材、せっかく目の前にあるのだから無駄にしてたまるものか……!
「は? 料理……? 体力も消耗してしまったし、急いで下山して合流を目指すべきだろう?」
「それなんですけどね」
広い広い山脈なのだ。妹たちは今どこに居るかわからないし、付け加えると自分たちの位置もわからず、はぐれた廃村がどの方角にあるのかすら不明だ。闇雲に探したところで見つけられるとは思えない。
でも、見つけられないのなら、見つけてもらえばいいのだ。
「ここで私が能力全開で料理の匂いを撒き散らせば、シャルは絶対に見つけてくれます」
他の人の話であれば「そんな馬鹿な話があってたまるか」と一蹴されただろう。
しかし、妹の話であれば別だ。
私の料理を楽しみにしているだけならともかく、誰から見ても明らかにご執心だ。いっそ異常と言ってもいい。
妹をそんな風にしてしまったのは私であるが、今はその食欲がありがたい。必ず来てくれると信じさせてくれる。悲しいことに。
阿呆みたいな、でも本気の私の提案に、フレデリカは呆れたような納得を見せ、アルベルトさんは遠い目をした。……うちの妹がごめんなさいね……!
難点としてはフリードリヒ王子やトマスくんとはぐれていたらどうしようと言うのと、妹が嗅ぎ付けてくる前に他の魔物が集まってこないか、だけれども――
「……マリナ殿、どうやら悠長なことを言っていられないようだ。すぐさま退避をした方がいいだろう」
「えっ」
アルベルトさんが空の方を睨みつけている。その視線の先を辿ってみると……数匹の魔物がこちらに向かって飛んできていた。形状からして恐らくワイバーンだろう。
ワイバーンはドラゴンに似たような体をしているが、ドラゴンとは異なる、らしい。となると……私の包丁が通らないだろう。
その上、ワイバーンは腕の代わりに備えている翼のおかげで空が飛べるし、風の魔法も扱う。さすがにドラゴンよりは格下であるが、現在対空手段がフレデリカの魔法しかないので、上空から魔法をバンバン打たれたら非常に厳しいことになる。
まさかドラゴンの縄張りに近付いて来るとは思わなかった……いや、ドラゴンの血の臭いに誘われて横取りに来た……? 何たることだ……!
「あ、あ、ああああ……ドラゴン肉がぁ……最高級食材がああああっ!」
未練がましく腕を伸ばす私を引きずるようにアルベルトさんが動き出す。
せめてもの怒りを込めてワイバーンを睨みつけようと再度空を見上げてみれば、ワイバーンの数が増えてる!?
「ちっ、これはこれで厄介なことになったな……」
私が驚愕している間にアルベルトさんの足が止まっていた。今度は一体何だ、と前を見てみたら……大きな狼っぽいものとか、山の斜面にもレッドエイプが集まってきてる。
もしかしてみんなドラゴン肉を狙って? それとも相当に恨まれてて死骸だろうと仕返しに来たとか……!?
どんな理由にせよ、私たちが魔物に囲まれていることには変わりない。ドラゴン肉争奪戦になって私たちのことを無視してくれればまだ光明は……うぅ、肉ぅ……! あ、こら、レッドエイプたちは(回収するヒマがなかった)私のバックパックから食料を盗って行くなぁ!
「フレデリカ殿、前方に貫通系の魔法を打ってほしい。さすがにこの数は相手をしていられないので一点突破する!」
「ん、わかった」
と、フレデリカが杖を構えたその時――
「お姉ちゃん……見つけたあああああっ!!」
妹の叫び声と共に稲妻の如き白光が地を這い、前方に集まっていた魔物の大半が消し飛んだ。