6 私には何も見えていなかった
私がその衝撃の告白を受け、真っ先に感じたのは……痛みだった。
堪えるように目をつむり、天を仰ぐ。
妹はその私の仕草に対して何も言及してこなかったけれども、手を離すことだけはしなかった。むしろ握りしめる力が強くなった。
不安の表れか、束縛の表れか、私にはわからないけれど、どちらにせよ私が招いてしまった事態から逃げずに向き合わなければいけない。
ゆっくりと首を戻し、妹と向き合う。
「……シャル、自分が何を言ってるかわかってる……?」
「冗談でこんなことを言うと思っているの?」
むしろ冗談であって欲しかった。
でも、声も、表情も、視線も、何もかもが本気なのだと私に訴えかけている。
本当に……あんまりだ。
どこまで私は、酷いことをしてしまったのか。
「……シャル……それは多分、胃袋を掴まれただけだよ……」
この「胃袋を掴まれた」とは、世間一般の恋人や夫婦間で使われているような微笑ましいものとは勿論異なる。
私の料理以外はほぼ食べられず、私の料理に依存しているから、文字通り私が居なければ生きていけないから、生存本能がそうさせているのを好意と錯覚しているだけだ。
そんな命を握られている状態で出てきた言葉を、文字通りに受け取ることなんてできるわけがない。
「……ねぇお姉ちゃん。そんなに……自分に自信がない?」
拒絶を示した私に、妹は悲しそうにポツリと漏らした。
でもそれは拒絶されたことにではなく、どうやら私がその回答をするに至った思考に対してのもののようで。
自信がない? それは……確かにないだろう。
だって周りはすごい人たちだらけなのだ。普段は意識していなくても、心の奥底では場違い感や劣等感がチクチクと刺激されてしまう。
戦闘では自衛すら覚束なくて足を引っ張るばかりで、幾度となくみんなに迷惑を掛けている。
フリードリヒ王子には何度も怒られ、アルベルトさんには呆れられ、フレデリカはよく読めないしトマスくんも心優しい少年であるが、内心はよくわからない。
私は料理しかできず、その料理にしたって神様?からの授かりもので、自分の本来の能力ではなくて。
「自分自身の力で何ができる?」と聞かれたら……きっと私は、何も答えられない。ある程度家事はできるけど、それくらいなら誰だってできる。
自分の無能っぷりに知らず拳に力を篭めていたら、それ以上の力で妹が腕を掴んできた。
「……つまりお姉ちゃんには好かれる要素がないから、お姉ちゃんの能力の影響であたしの意志が歪められている、と……?」
ゆっくりと頷き、「むしろそれ以外に理由なんてあるの?」と口に出そうとして、それは遮られた。
「バカにしないで! 勝手にあたしの気持ちを決めつけないで!!」
「っ!?」
……遮られてよかったかもしれない。聞かれていたらきっと、怒鳴られるだけじゃなく殴られていただろう。それぐらいの剣幕だ。
そして怒鳴られてやっと悟る。
私は、妹をこの上なく侮辱してしまったのだと。
いや……侮辱したこと以上に、私の、私自身に対する評価に怒っている……?
「お姉ちゃんが無能? 何もできない? それがまず間違ってる!」
「いやでも料理は私自身の能力じゃ――」
「そうかもしれないけど、そうじゃないっ! と言うかそこが焦点じゃない!」
私に怒りをぶつけてくる妹の目には大粒の涙が浮かんでいて、それに付け加えて、実のところ初めて妹から怒り心頭の感情を叩きつけられて、私の頭は一気に混乱に陥った。妹が何を伝えたいのかさっぱり理解できなかった。
混乱していたせいなのか元々の性格が阿呆なのかいまいち判別は付かなかったが、私が元凶のくせに、ついいつもの癖で妹の涙を拭おうと手が伸びる。
……撥ね退けられなかったことに、少しホッとした。
大人しく拭われてくれたもののそれで怒りが収まってくれるわけもなく、睨みつけるような、というよりは拗ねたような瞳でじっと見上げてきた。
「……大前提として」
「うん」
「あたしがお姉ちゃんを好きになったのは、料理が美味しいからじゃないよ。……恋に変わったのは、その、確かに、料理が美味しくなってからだけど、それが原因ではなくって」
「……うん?」
はて、私は何かしただろうか、と昔を色々と思い出してみる。記憶の棚を漁って引っ繰り返してみるものの、やっぱり心当たりはない。
疑問符をいくつも浮かべる私に「本当にわからないの?」とジト目を向けてきた。……ご、ごめんなさい。
「そもそもあたしはお姉ちゃんがいなければ今頃生きていないよ。だから、何もできないだなんて、そんなことない。いっぱい、いっぱい助けられているの。
……もういっそ全部ぶちまけちゃうけど、お義父さんとお母さんが死んじゃった時、病気がちでそれこそ何もできない、お荷物でしかなかったあたしはお姉ちゃんに見捨てられると思ってたんだ」
「なっ……家族なんだから、見捨てるだなんてことは……!」
反論しようとした私を抑えるように手を伸ばし、力なく首を横に振る。
「家族と言っても義理でしょう? 血の繋がりがあってさえ、お父さんはお金がなくなった途端あたしとお母さんを捨てたし、お母さんもお母さんで病気がちのあたしを疎ましそうにしてたし。……家族なんて、そんな絶対のものじゃないよ。
それでもあたしは死にたくなかったから、嫌われて捨てられないよう、最初の頃はお義父さんやお姉ちゃんに気に入られるように愛想を振りまいていたっけ」
そう言いながら妹は自嘲するように笑う。
いや、愛想って……そんな小さな頃からそうしなけばやっていけないと思っていただなんて、私は妹の実の父親に、これで二度目の怒りを抱いた。
一度目はお父さんからお義母さんの事情を聞かされた時だ。その時「妹には言わないように」と念を押されていたので妹は知らないと思ってたのだけど……その頃にはすでに想像以上に聡かったのか。
「あたしは家族なんて名ばかりの枠組みを全く信じていなかった。信じることができなかった。……でも、でもね、お姉ちゃんはそんなことなかった。その……疑ってた時期もあったけど、やがて信じられるようになった。
当時は今のあたしより幼くて、それこそ今のあたしみたいに力があるわけでもないただの子どもが、朝から晩まで働き詰めで。
疲れていても弱音すら吐かず、毎日欠かさずあたしのご飯を用意してくれて、服が破れたら繕ってくれて、風邪を引いた時は手を握ってくれて、寒い夜は抱きしめて寝てくれて。
……あたしのことを、想ってくれて」
そこで少し言葉を切り、痛みを噛み潰すような表情をする。……何だろう……後悔……?
気にはなったけど、疑問を挟む前に続きが始まった。
「嫌そうな顔を全く見せず、いつもフワっと笑顔で、一緒に居るだけで安心できて。そりゃ怒られることもあったけど理由はちゃんと教えてくれたし、納得もできた。意味もなく怒鳴ってきたお父さんと違って、あたしのことをちゃんと考えてくれてた。
……ねぇ、わかる? これらが、どれだけ得難いものなのか。どれだけ、有難いものなのか。どれだけ……命と、心が救われたのか」
秘められた心情を語る声に、瞳に、段々と熱が帯びていく。
それに気圧されたのか、耐えられなかったのか、私はつい余計なことをポロっと零して……油を注いでしまった。
「い、いやでも、伯爵様も家族ってだけで助けてくれたよね?」
「地位も力もお金も持ってるお祖父さまを引き合いに出すなんて無意味なことしないでくれる!?」
「うひぃっ」
つい情けない声を出してしまった私に構わず、妹の熱は増していく。激情が燃え盛る。
「どれも持っていない子どもの状態で、何処の誰もが同じようにできるだなんて思わないで! 例えお姉ちゃんにとっては当たり前のことでも、実際にそんなことは全くないんだからね!!
あたしは、そんなスゴイことをただ家族だというだけで『やって当たり前』だと無意識に、衒いもなく惜しみもなく打算も下心もなく多くのモノを与えてくれるお姉ちゃんを何処の誰よりもスゴイ人だと思ってるし、そんなお姉ちゃんが好きだって言ってるの!!」
震える手で私の首を絞めるかの如く強く胸元を握りしめながらのその叫びは、まさしく魂の慟哭とでも名状すべきような切実な想いに溢れて。
「……お願いだから、自分で自分を貶めないでよ。『料理の能力が~、効果が~』なんて、あたしにとってお姉ちゃんの価値はそんなのじゃないんだよ……!
能力に引きずられているのはお姉ちゃんの方じゃないの。何でもかんでも能力のせいにして、あたしの言葉を曲解しないでよ! あたしの意志をちゃんと聞いてよ!!」
抉るような勢いで放たれた言の葉(刃)は、いつしか、暗い感情で硬く覆われていた……自覚のないまま私自身の手で作り上げていた心の壁にヒビを入れ。
「あたしは、依存症を利用してですらお姉ちゃんが欲しいくらいに大好きなんだから!!」
細いけれども確かな光となって私の奥底にまで辿り着いた。
唯一の取り柄と思っていた料理を抜きにして私自身を評価してくれるのは、肯定してくれるのは、とても嬉しい。こんな状況でなければ泣きそうである。
でも……だからって、わかりました、とそのまま受け取ることは、できない。
単純に染みついた劣等感とか罪悪感……もその一助であるけれど、私にとって絶対に看過できない問題がある。
縋りつく妹を引き離し、逃げるように、でも逃げないように、きちんと目を合わせて訴える。
「……シャル、まずはその依存症を治しなさい」
反射的に「嫌だ」と言おうとしたであろう妹の口を塞ぎ、話を聞きなさいと黙らせる。
「一番の問題として、この能力は唐突に降って湧いたものだから、唐突に消えないとも限らない」
努力で手に入れた能力ならそこまで気にはしなかったかもしれないし、そもそもここまで「何もできない」と劣等感もなかっただろう。
けれどこれは明確な根源がない。いつ消えてもおかしくない、泡沫のようなものだ。
もし妹が依存症を抱えたまま能力が消えたら……そこから先は地獄だ。日に日に飢えていく妹を見ながら、何もしてあげられない自分に、死の原因を作った自分に呪いを吐くだけになるだろう。
「私は、私のせいでシャルを失うなんて、絶対に嫌だ……!」
私の最悪の未来予想の危険性を理解したのか、妹はそっと目を伏せた。
もごもごと何か言いたそうにしていたので、塞いだままだった口から手を除ける。
「そう、だね。そうなったら困るよね……。目先の願いを叶えることばかりで頭がいっぱいで、考えなしでごめん」
しゅんとして肩を落とす。
その様に条件反射的に頭を撫でようと手を動かし……かけて、次の疑問でピタリと止まる。
「あと、さっき『一番の』って言ってたけど、他にも何か問題あるの?」
「……うっ」
私が考えなしに願ってしまった「妹が強くなりますように」が叶ってしまったのだ。ひょっとしたら無意識下で妹に好かれるよう願って、その影響が出てないとも言い切れない。
この考えは妹への侮辱なのだろう。けれども、この考えがなくならない限り、私は素直に好意を受け取ることができない。
……などと口に出したらまた怒りに火がついてしまいそうなので卑怯にも心の中で思うだけにしていたのだが、どうやら私が何を考えたのかこの妹様はお見通しのようだ。少しずつ眉根が寄り、ジト目へと変遷していく。
しばらく睨み合い……と言うか一方的に私が蛇に睨まれた蛙のようになっていたのだが、どうしようもないと思ったのか妹が先に折れた。
「……わかった、まずは依存症を治すよ。その方が紛れもない本物の好意だって証明できてお姉ちゃんも安心するでしょう」
「うん……。治して、それでもまだ……私が好きだって思ってるなら、ちゃんと向き合って、答えを出すから」
「……治したらずっと一緒だって約束してくれないんだね。頑張って治した後に『やっぱムリ』ってなったら、もっと辛い気がするんだけど?」
口を尖らせて不満を零すけれども……前提がズレているのだと、心を鬼にして(?)突き付ける。
「そうなる結末もあるだろうけど……ねぇシャル、そもそもの話、私はシャルのことは家族として好きだけど、恋愛的な感情は持ってないよ?」
うぐっ、とうめき声を上げて胸を押さえる。ダメージを受けたようだ。
……まぁ、うん、仕方ないよね。可愛いとは常に思っていても、恋愛対象として考えたことが一切ないのは事実だからね。
ずっと一緒に居たいという願いを叶えてやりたい気持ちが一欠片たりともないとは言わないけれど、このズレを解消しないままだとロクなことにならない予感がするんだ……。
「ううう……他の人たちはあたしの顔に騙されてくれるのに、何で肝心のお姉ちゃんは靡いてくれないのっ」
「おぉい、それは結構黒い発言だぞぅ」
いやまぁ妹は可愛いには可愛いけど、そこは慣れでしょう。何年家族として一緒に居ると思ってるの。
それよりもまさか妹がこんな考え方をするとは。今日は(私が意外と勝手に思っていた)別の面を知ってばかりだ。
私は本当に、きちんと見てなかったんだなぁ、って思い知らされてただただ反省するしかない。
「はぁ……やっぱダメかあ……」
諦めてくれたのか、大きく息を吐く。その様子にはそれほど悲壮感はなく、私としても泣かせるのは不本意なので穏便?に引いてくれて助かった。
ふてくされたように頬を膨らますけど、そんな顔しても可愛いだけってのが本当にすごいよね。
「……まぁ、お姉ちゃんにその気はないだろうと思ってたよ。あたしがアピールしてもさらっと流すし。好きって言っても、お風呂とか寝る時とか抱き着いても、全く顔色変えなかったもの」
私としては「えぇ……あれアピールだったの……」って気分です、はい。昔からやってることと変わらないし。
「……あれ。いや、待って。お姉ちゃんさっき、あたしが依存症を治したら『ちゃんと向き合って、答えを出す』って言ったよね?」
「うん、そうだね」
「つまりは、現時点では可能性がなかったけど……後から芽生える可能性もある、と」
……うん?
「それともお姉ちゃん、他に好きな人が居たりするの? フリードリヒ王子は恰好は良いし、アルベルトさんは渋いし、トマスくんは可愛いし、フレデリカさんも美人だし?」
「別に居ないけど……ちょっと、何でフレデリカまで混ぜるの」
同性じゃないか……ってもまぁ、妹も同性か。だから同性ってだけでは対象外にはならないのだろう。
確かにみんな美形で、恰好良いなぁ、と思うくらいはあるけれど、恋心を抱いたりはしてないし、これまでの人生でも今まで一度も恋をしたことはない。
「ふぅん……一度も?」
「……な、何さ……」
興味がないと言うか、それどころじゃなかったと言うか……妹より大事に思えそうな人が居ないと言うか……まぁ妹のせいにする気はないけども。
むしろ見た目なら姉馬鹿を抜きにしても妹が一番なので、今更見た目で判断はしない、と思う。
「えへへ、そっかそっかぁ……」
どの部分が嬉しかったのかよくわからないけれど、先ほどまでのしょんぼりが嘘のようにご機嫌である。
私が妹の感情の急変化に付いていけないでいる間に自分の中で話が進んだのか「よし」と呟いて。
「あたし『色々と』がんばるから、覚悟してね、お姉ちゃん?」
何かを含んだような、それでいてとっても良い笑顔で妹が宣言する。
……いや、別に今更ときめいたりはしないんだけども……背筋に何かが走ったのは、冷や汗的なものなのか、それとも別の感情が生まれようとしているのか。今の私には、判別ができなかった。
確かに未来がどうなるのかなんてわからないけど……あれ? 何だか沼に足を突っ込んだ気分だよ?
「ふぅ……何か疲れた。お姉ちゃん、部屋までつれてって。そしてご飯食べさせて」
私の心の葛藤を余所に、両手を差し出してくる。幼い頃に抱っこをせがんでいた姿と重なって、変わっているんだか変わっていないんだか、少しおかしな気分になった。
しかし正直な話、私が妹を抱えてる状態を(特にフリードリヒ王子とかに)見られると困ったことになるのは明白なんだけど……仕方ないか。
了承すると嬉しそうに首に手を回し、頬を擦りつけてくる。苦笑しながらその体を支えて、立ち上がるために力を入れたその時。
「あ、その懐に入ってる塩貸して」
「……何で?」
「それであたしが軽くなるでしょ? あたし今何も道具持ってないから」
普段はペティナイフを持っているのだが(いつでも抱っこしていいよ!って話らしい。今のところ機会はない)辺境伯と会うにあたり刃物の所持を禁止されて持っていなくて、能力による重量軽減を効かせるために……という意味の申し出らしい。
それに私は数瞬だけ考えて、首を横に振った。
「いい。妹くらい、ちゃんと自分の力で抱える」
「……お姉ちゃんって、ほんとたまに無駄にイケメンになるよね」
何を言ってるんだこの子は。
……やはり強がりだったかもしれない。
小さい頃から抱っこしてたのに、いつの間にかこんなに重く……もとい大きくなったんだなぁと、腕の痛みと共に実感をするのであった。
……締まらない。
どちらもじゅうぶんにしすこんですね。
活動報告にラクガキを置いておきます。興味のある方はどうぞ。