3 これは一種の呪いかもしれない
「あわわわわっ」
「えぇい! 其方は大人しく守られることもできないのか!」
背後から唐突に現れたゴブリンに、私はつい情けない声をあげながらバタバタと逃げ回る。
その無様な動きに雲上人からの叱責を受けるが、この数か月の旅の間に叱責されすぎて、もはやそれにビクつくこともなくなった。最弱ランクの魔物にすら未だに緊張するくせに、この慣れは自分でもどうかしてると思う。
でも、不思議なくらいに私の身体能力に(体力を除いて)向上は見られないのだ……料理の腕の代償かしら……。
「……ウインドカッター」
「ひぇっ」
「グギャアッ!」
囁くような呪文が耳に届くと同時に、私の体スレスレを飛んで行った魔法に冷や汗が出る。これまでの経験からして彼女が制御をミスることはほぼないとわかっているが、怖いものは怖い。
過程がどうであろうとゴブリンを倒す、つまりは私を助けるためのものだったので、跳ねる鼓動を抑えるように胸元に手を当てながらお礼を口にする。
「あ、ありがとう」
「……ご褒美ポイント一ね」
「うっ……ハイ」
ちゃっかりした要求に私は苦笑するしかなかった。
魔法使いの彼女、フレデリカとは、同性と言うこともあってかこの旅の間に一番仲良くなれた相手だと思う。
肩甲骨辺りまで伸び軽くウェーブのかかったアイスグリーンの髪に燃えるルビーのような瞳。その眼は常に眠たげであるが、そういう目付きなだけであって別に眠いわけではないらしい。
あまり表情が動くことがなく初めは取っ付きにくく感じていたが、私の料理を食べる時に微かに表情が綻ぶので、話しかけてみたらポツポツと返してくれたのだ。どうやら魔法一筋の人生で対人スキルが微妙で、魔法に関すること以外の会話が苦手らしい。
今ではちゃっかり要求とか(わかりにくい)冗談を言われるくらいには打ち解けてきた。……仲良くなってるよね? 餌付けしただけとか、そんな悲しい事実はないよね?
ちなみにご褒美ポイントとは妹が提唱したもので、一定ポイントが貯まると私が特別料理を振舞うことになっている。士気を上げる要素の一つといっていたけど、それ絶対に自分が食べたいだけだよね。
「ズルい! あたしもご褒美欲しい!」
「ちょ、前っ! 余所見せず集中しろおおおっ!」
前方でも戦闘中なのに妹が気を取られたのか、王子に怒られていた。姉妹揃ってごめんなさい……。
気を許したと言えば聞こえがいいが、単に投げやりな対応になっただけだろう。すっかり言葉遣いも荒くなってしまって、申し訳ない気持ちになってくる。
私の料理が絡むとアホの子になる妹ではあるが、王子はそれを何度も目撃しながらも幻滅はしてないのか、妹の気を引こうと頑張っている様子がちょくちょく見受けられる。
……いずれ妹もお嫁に行くのかしらね。そりゃまぁ行くんでしょうね。そのことを想像するとちょっと寂しいなぁ。
ここは、とある遺跡の中である。
魔王復活はまだ確定していないが、その前兆としての魔物の凶暴化はすでに顕在化している。
魔王復活までに勇者とそのパーティメンバーの力を付けるためと、魔物の数をできるだけ減らすためのこの旅。その道程で聞きつけた「神様の力」が眠ると伝えられている遺跡。
そんな大層なものが何故今の今まで残ったままなのか。誰も手に入れなかったのか。本当に存在するのかどうか眉唾ものである。
……と言いたいところであるが……聖剣は選ばれし者にしか扱えないというのも事実だったしね。
鞘から抜けないのだとしたら、抜いた後の状態であればどうなのかと王子が試していたけど、手に取った途端持つことすらできないくらいに重さを増し、慌てて手離していた。落とした時にすごい音がしてたので、足に落としていたら大惨事だったね。
このような経験があり、ひょっとしたら勇者の存在をトリガーとして遺跡も何かが起こるかもしれない、と判断が下され訪れてみることになったのだ。
とりあえず、この遺跡は「生きて」いるらしい。石組の床に壁に天井に、時折隙間を走るように光が仄かに灯り、日の差さぬ建物の中であるのにそこまで暗くはない。
「えっと、マリナお姉さん、怪我はしてないですか?」
「大丈夫だよ。心配掛けてごめんね、トマスくん」
パーティ一の小さい体ながらも、身の丈ほどもある大きな杖を抱えて私の容態を訪ねてきたこの少年の名はトマスという。
ライトブラウンのくせっけのある髪に、やや気弱そうであるものの有事には強い意志を宿すマラカイトの瞳を持つ彼は、十二歳という若さにしてとても優秀な、この国の国教であるアストラ教に所属している神官である。私もこの旅の最中に何度お世話になったことか。
優秀であれど驕ったところもなく謙虚で、いつも柔らかな笑みを浮かべているその様は、小ささも相まって失礼ながら小動物を相手にしているようでほっこりする。
私の感想はさておき、トマスくんは「いえいえ」と軽く笑ってから、仲間たちを補助すべく周囲に対して視線をやる。
ちなみに、アストラ神はこの世界を創造した最高神であり、部下である神様は他に何柱も居て、人々が信仰している神様は多種多様である。
妹が使う聖剣は、戦いの神であるラーレス神がアストラ神より託されて使用していた武器と言われている。あと……マイナーではあるけれど、かまどの神様も居ると後になって知りました。私の能力に関係する神様かしら。
……トマスくんに尋ねれば色々と教えてくれるけど、怒涛の勢いで話をしてくるので正直覚えきれない。フレデリカが魔法マニアなら彼は神様マニアである。
しかし……準成人になったばかりの少年ですら戦闘に貢献しているのに、私と来たら目を覆いたくなるような惨状である。
いやね、私も最初は頑張ったんですよ?
旅の始まりの日に、さすがに格闘家でもないのに徒手空拳は駄目だろうと短剣を渡されたんですよ。
そして、群れればそれなりに脅威ではあるが、単体では魔物の中で最弱なゴブリンの相手をさせられた。初めての戦闘と言うことで、あらかじめダメージを与えて弱らせてもらった上で。
奮える腕で、えいやっ、と短剣を振ってみれば……驚くことに一切刃が立たなかった。見間違いでなければゴブリンも驚いていたと思う。
短剣がナマクラだった? それは違う。試しに妹が使ってみたら豆腐か、ってくらいにあっさりと斬れた。たかがゴブリンに能力差だけではこうも行くまい。
首を傾げられながらも、既に死んでいるゴブリンに突き刺してみろと言われ、(今は多少は慣れたけど当時は涙目で)刺そうとしてみるもやっぱり跳ね返される。
最も柔いとされるスライムでも駄目だった。ニードルラビットも、ブラッドラットも、エアストバードも、どれも駄目だった。
食事を用意する時は分厚い肉も硬い骨も難なく断てるのに……そこでふと思い立ち、物凄く嫌ではあったけど、調理器具である包丁でならば切れるのでは?と考えたけど、予想に反して無理だった。
つまり、私の能力は本当に料理関係にしか発揮されないようだ。
私には詳しいことわからないのだけれども、この世界には魔力というものが存在している。魔法を行使する際に必要となる力だ。
そして、魔力に似た力……大雑把に言ってしまえば毒を帯びた魔力が魔素であり、生き物はそれを一定以上取り込んでしまうと死に至る。何故魔力が毒を持ってしまうのか諸説あるけれど、未だ解明はされていないらしい。
この魔素に侵されて、死なずに変異した生き物が魔物として分類されており、その肉は毒でしかなく食用にならないので、私の能力の対象外となるのだろう。
魔物以外の食用になる生き物、例えば牛や豚などはこれでもか!ってくらいに切れるけどまず襲ってこないし、仮に暴走したとしても魔物ほど強くないので、戦うことができるのだとカウントされるわけはない。
せめて身を守れるようになれと盾を持たされるものの……軽い素材のものでも長時間持っていると腕が震えてきて構えることすらできなくなる始末。
「……もう鍋の蓋でも持ってろ」と大きな溜息と共に吐き出され、私自身が強くなることは諦められましたとさ……つらい。料理で挽回するしかない。
「王子、近辺の魔物は掃討完了しましたのでしばらくお休みください。その間、偵察に行って参ります」
「うむ。よろしく頼む、アルベルト」
私がオロオロしてる間に前から詰め寄ってきていた魔物は倒し終えたらしく小休止の時間となった。
本来なら護衛騎士であるアルベルトさんが護衛対象である王子の側を離れるべきではないのだろうけど……単独行動時に何かあっても無事に帰ってこれそうなのが妹とアルベルトさんしかおらず、休憩を取るたびに交互に先の様子を見てきてもらっているのだ。
アルベルトさんは短く刈り上げたアッシュグレイの髪に、オニキスの瞳は携える大剣の刃の如く鋭く、その目でじっと見られるとなんだか怒られている気がして冷や汗が出そうになる。私の「料理以外何もできなくなる呪いか!」ってほどの惨状に一番渋い顔をしていたからねぇ……。
それでも適材適所と割り切ってくれたのだろう。内心はわからないが、とりあえず無視とかはされず普通に接してくれる。
また、四角四面というほどではないけれど堅物で生真面目で、最年長者だけあって目端が利くのか気配りが細かく、それゆえにこのパーティで一番苦労している人だ。
だって……ねぇ? 暴走気味の勇者にワガマ……気ままな剣士、マイペース魔法使いに一歩引いた神官、プラスど素人。最後を除いてパーティのバランスは良く連携も取れるのに、人を率いた経験があり全体を俯瞰できるのが彼だけだったのだ。
もしこの人が脳筋だったらこの旅はもっと酷いことになっていたかもしれない……本当に助かっています。
フリードリヒ王子自身も優秀な剣士だ。魔王退治で箔付けをする意図もあるのだろうが、王子様なのに旅への同行を王様に許可されるくらいには強い。
男であるのに私よりサラサラしたオレンジの髪を持ち、涼やかなアンバーの瞳は王子だけあって自信に溢れている。
妹よりはやや劣るけど彼も大層な美形で、街の女性たちにしょっちゅう黄色い声をあげられている……のだけれども、パーティの女性陣からは興味を持たれてないね? いや、私にそんな感情を向けられても嫌でしかないだろうけど。
……しかし……彼は第三王子なのだけど(さすがに跡継ぎと目される第一王子なら同行の許可が下りなかっただろう)、本当に魔王退治をして凱旋した時、王位継承でトラブルが起きやしないかとこっそり冷や冷やしている。
最初は王族らしく偉そうに(実際偉いんだけども)振舞っていたが、それは王族としてのフリだったのか保つ余裕がなくなったのか、今は年相応に崩れている……崩れすぎで心配になるレベルに。アルベルトさんはたまに王子の崩れっぷりに眉間に皺を寄せているが、口には出さず飲み込んでいる。いつか爆発しないといいけど。
まぁ、思ったよりは心が広いようで助かった。妹など、いつの間にかタメ口に近い状態になっている。……まぁ、王子が妹と仲良くなりたかったという願望もあるのだろうけど。
ある意味特別な妹はともかく、私は下手すれば打ち首だっただろう。私の人生に王族と接する予定なんて書き込まれてなかったんだ、そこまでの教養はないの……。
さて、肝心の妹であるが。
……正直、甘く見ていた。
冒険者になってからの活躍は色々聞いていたが一度も実際に見たことがなくて、どれくらいの実力なのかよくわかっていなかった。普段の家での妹しか知らなかった。
ずっとずっと、小さな子どもだと思っていたのに……その獅子奮迅っぷりの戦いは、素人の目から見ても勇者と呼ばれることに納得できるものであった。
地を駆ける足は風のように速く、淀みない動きは水のように滑らかで、しかしてその鋭さは炎のように苛烈で、淡い光を放つ聖剣を振う様はもはや一種の芸術品だ。
初めて妹の力を目の当たりにした時は、びっくりしすぎて間抜けのように口をぽかんと開けたまましばらく呆然としていたものだ。
さらに驚くことに、少し前にこんな話を聞いた。
旅の前に騎士団長と戦い負けた件、実はあれは妹は手を抜いていたらしい。正確には手を抜いたと言うよりは本気を出せなかったと言うか。
「いつも魔物が相手で対人戦は初めてだったし、聖剣の加護に体が慣れていなくて、本気でやるとうっかり殺しちゃいそうだったから……」とのこと。
一体この子はどれだけ強さを秘めているのだろう、と体が震えた。
病弱で、いつも私の後にくっ付いていたあの子とはもう全然違う。
しっかりと、自分の足で立っていた。歩き始めていた。それはもう、大分前からのことで。
私だけが、妹を正当に評価していなかった。目が曇っていた。
妹が姉離れできていないのではない。私が、妹離れができていないだけだったのだ。
私の都合で、引きずってはいけないのだ。
そのためにも……早いところ、治してあげないと。
「お姉ちゃん、おなかすいた……ちょっとでいいから食べ物欲しい……」
そんな私の煩悶を余所に、当の妹が声を掛けてきた。
剣を握ったままではあるがエネルギーが切れかけているのか随分と声に張りがなく、そういうところは昔から変わりなくつい内心で笑みが小さく零れる。
あまりにも悲哀のオーラを放っているのできちんと食べさせてやりたいところだけど、この遺跡を根城にしているのか魔物がよく現れるのだ。落ち着いて食べる余裕はない。
でもこの状態のままでもまずい。私は背負っているバックパックから手軽につまめるシリアルバーを取り出した。
「わーい、いただきまーす! ……お姉ちゃん、これちょっと味薄くない……?」
「……むしろ今までが濃すぎたんだよ。薄味に慣れて」
「むううぅ……」
期待していた味じゃなかったのか、妹が非常に残念そうな顔になっている。それでもしっかりと食べるあたり、よほど空腹が辛かったのだろう。
その表情に絆されて「濃い」やつを出してやりたくなるけど、グッとこらえる。ここでほいほいと出してしまってはいつまで経っても進展しないのだから。
この子は自分の状態に気付いているのかいないのか……。
食べ物と聞いて、偵察中のアルベルトさんを除く三人がこちらを振り向いたけど、妹の様子からして普通の食べ物と察したようだ。そのまま何も言わずそっと目を逸らしている。
しかし、清貧を常とする聖職者であるトマスくんですら振り向くとか、私のせいであるのだが、今後が少し心配になる……。パーティを解散した後、彼は元の食生活に戻れるのだろうか。
妹が最後の一口を名残惜しそうに飲み込んだところで、アルベルトさんが帰ってきた。
「王子、只今戻りました」
「ご苦労、アルベルト。どうだった?」
「幸いにも魔物の集団は居なさそうです。あと……すぐ近くに、祭壇と思われるものを発見いたしました」
祭壇、か。何かあるとしたらそこが一番可能性が高いだろう。
弛緩した空気を締め直し、私たちは奥へと進むのであった。