第009話 渚さんと狩りの時間
「アイテール?」
ミケの言葉を渚が反芻する。
その名は先ほどからミケが何度も口にしていたものだ。
『そう、アイテールだ。その義手には簡易ではあるけどアイテール変換器が付いている。義手に記録されているレシピを読み出せば、アイテールを水やエーヨーチャージに変換することが可能なんだ』
「アイテールって、確か基地にあった緑色の液体だよな?」
渚は映像で見た緑色の液体のプールを思い出す。またここまでのやり取りから、アイテールが何かしらの重要なものであることも理解できていた。
『そうだよ。君の義手のエネルギー源でもある。ほら、これだ』
ミケの言葉と共に義手の二の腕の表面装甲が開き、ガラスシリンダーがせり上がってきた。その中には基地でも見た緑色の液体が十分の一ほど入っていて、若干発光もしているその緑色の液体を、渚が興味深そうな顔で覗き込んだ。
「なんか綺麗……だけど、これがエネルギー? ガソリンみたいな?」
『もう少し便利なものだよ。不確定性万有素子と呼ばれてる。義手に記録されているエーヨーチャージのヴァリエーションを読み出せばプレーン味以外にも、君の食べたココア味や、他にコーンポタージュや、ホウレンソウ、カレー味なども作れるようになるわけだ。まあ、エーヨーチャージには変わらないのだけれどね』
「うう、それでも味に彩りがあるならプレーンだけよりはいいか。けど、本当にこの液体がそんなものになるのかよ。さすが未来だな」
右腕を揺らすとガラスシリンダーの中の液体も揺らいだ。見る限りは光っている奇妙な緑色の液体であったが、これから作られたココア味のエーヨーチャージを渚は実際に食べているのだ。
『コストはかかるけど応用性は非常に高い。創世の粘土、あるいは賢者の石とも呼ばれているエネルギー体だ。本来は質量すら存在しないものでね。物質として固定し、安定させるために緑色の液体の形を取っているんだ』
「俄然、オカルトっぽくなってきたな」
『まあ、魔法も突き詰めれば科学の一形態だし、それほどに便利なものだということだね。そして、それがあればね。人だって生み出せてしまうんだ』
「お、人……も?」
それを聞いた渚は、ふと基地でアイテールに浸かっていた自分を思い出した。
「それって、まさか?」
渚は再生された人間だ。であれば、どうやって再生されたのか……という答えがその緑色の液体にあった。そしてなんとも言えない顔になった渚に、ミケが言葉を重ねていく。
『気付いたようだね。けれど、その処理に必要なのは対象となる人間のデータと、大型変換装置と、それを制御することが可能な高度演算処理装置だ。義手ではとても無理だ。それに君のデータ自体は基地と共に消滅した。だから、あの基地で再び君が造られることはもうないだろうけど……』
その言葉に渚は安堵する。同じ自分が人為的に増やされるかもしれないなど、正直許容し難い気持ちが渚にはあった。それは人として自然な感覚だ。
『ただ、もしこのまま記憶が戻らず、君が再度元の記憶を取り戻したいというのなら、もう一度どこかで君のデータを入手して同規模の施設で君自身に対して補完を行う必要があるかもしれない』
しかし続けてのミケの言葉に、渚が眉をひそめる。
「そうすりゃあたしの記憶も戻るのか? つか、上書きとかされて今の記憶が消されたりしないか?」
『そこを上手く補正することは可能だよ。もっともデータの入手も、同規模の施設を見つけることが可能かどうかもまだ分からないけどね』
「まあ……そりゃ、そうか」
つまり、記憶を取り戻すことは非常に難しそうだと渚は理解する。
今はまだこれからどうするかだけで精一杯。けれども、いずれは考える必要も……と思いながら、渚が続きを促すと、それにミケが頷いて話を進めていく。
『さて、ひとまず衣食住の問題は説明した通りだけど、渚、これからどうするべきかは分かるかい?』
「どうするって言ってもよ。やることは、ミケの言う通りにまずは人の集落に行って、情報を得る……だよな?」
『うん。君に異論がなければ、その方向で動きたいと思う』
「異論なんて……さ」
今の自分ではミケに頼ることしかできない。であれば……と思った渚だが、ミケは首を横に振る。
『違うよ、渚。僕は君のナビゲートをするために存在しているAIだ。主体は僕じゃない。君なんだ。今は何も分からないし仕方ないかもしれないけど、考えることを放棄しないで』
「お、おう。そうだな。ミケに頼りきりじゃあいけないよな」
諭すようなミケの言葉に、渚はハッとした顔で頷く。
『うん、分かってくれればいい。それで渚、君はどうしたいんだい? 考えていること、あるんだろう?』
「そうだな。今までの話を聞くと、やっぱりあたしは記憶を取り戻したいと思う。すっきりしないはずなのにモヤモヤしてねえのが逆に気になる。でも今は今をどうするかを優先にするしかねえとも思ってる。つか、ここに居続けるのもマズイだろ?」
その渚の言葉に、ミケも『そうだね』と返す。こうして話している間にもわずかに振動が起きている。巨大生物も今は大人しいようだが、安全が確保されているわけではないのだ。
『まあ記憶を取り戻すためにはどうするべきか……は、また後で考えよう。実際は大した問題ではなくて、まだ目覚めたばかりだから記憶が混乱しているだけかもしれない』
「寝て起きたら思い出すってことか?」
渚の甘い期待にミケが『可能性はあるよ』と返す。それは慰めではなく、可能性としてあり得るとミケは判断していた。
『そこら辺は経過を見るしかないね。それと僕としては君に自衛手段を覚えていて欲しい。基地にいた人間たちを見ても今の社会が……少なくともこの地域においての人の営みはあまり安全なものではなさそうだからね。義手以外にも使えるものは使わないと』
「んー。まあ、そうかもしれねえな」
渚が車内に置かれた重火器を見ながら頷く。
平然とあんなものが置かれているのだ。であれば、ここではそういう環境なのが普通でもおかしくないとは渚も察している。
『それから右腕のアイテールだけど、シリンダー内にはもう十分の一程度の量しか入っていない。元々満タンではなかった上に先ほどの戦闘でもかなり消費したからね』
「消費したって、あの拳がでっかく緑色になった必殺技? を使ったせいだよな?」
機械獣を倒した先ほどの義手の攻撃を思い出しながら渚が問うと、ミケが頷いた。
『そう。あのタンクバスターモードは効率を無視した非常用の攻撃でね。アイテールライトを反物質化した多重爆発反応装甲を使って……いや、まあ強力な威力を発揮するものなんだけど、義手の負荷もエネルギー消費も大きい。それに相手が相手だったから加減もできなかったし、一気に半分以上を持って行かれたんだよ。だから、できればアイテールは温存しておきたいし、可能なら補給もしたいんだ』
その言葉に渚が眉をひそめ、それから基地の方角へと視線を向けながら強張った顔で尋ねる。
「補給って……それってさあ。まさか、あの基地に戻れってことか?」
『いや、それは無茶だよ。それよりもっと適した補給方法がある。ほら、そっちにも映像を送ろう』
ミケがそう口にすると、渚の視界に四角いウィンドウのようなものが現れて、そこに外の映像が映し出された。
「お、これ何だ?」
『このビークルに設置された全天球監視カメラの映像だ。端末と繋がっていたからね。それを君の視覚に映した。渚、アレを見てごらん』
ミケがそう言うと、映像が拡大されて渚の目にも動いている何かが見えた。白い霧に覆われて分かり辛くはあったが、それは映像フィルターで補正されてどうにか見れる程度には映し出されている。そして、その映像には先ほどの獅子型よりも相当に貧弱そうな機械獣の姿があった。
「あれ、機械獣ってヤツか。でも、なんかさっきのより弱そうだな?」
『大きさも随分と小さいし、出力も低そうだ。どうやらアレは群れから迷子になった個体のようでね。周辺を探索している様子もないし、その動きには迷いがある』
「おいおい、機械なのに迷子って」
眉をひそめた渚の言葉にミケが肩をすくめる。
『それがさ。基地内や入り口付近までは問題なかったんだけど、外では有線以外の通信が使えないんだよね』
「使えない?」
そのミケの言葉に渚が眉をひそめた。
『うん。浄化物質……外に漂う霧によって通信妨害をされてる。まあ、それは今の僕たちにとってはありがたいことだけどさ。機械獣に仲間を呼ばれる危険性が薄れるからね』
「なるほどな。けど、あの機械獣をどうしようってんだよ。いやアイテールがどうとかって……もしかして」
そこまでに口にして、渚はミケが何を考えているのかがようやく理解できた。
そして、ミケが頷きながら渚を見た。
『うん、そうなんだ渚。今後のこともあるし、ちょっとあれを倒してアイテールを手に入れてきてくれないか?』
【解説】
アイテール:
不確定性万有素子とも呼ばれているエネルギー体。通常は可視化されておらず、新エネルギーとして発見されるまでには長い時間がかかったと言われている。物体に偽装する性質があり、制限はあるがそれを利用して構造体を模倣させることで指定の物質への変換が可能。その特性から賢者の石とも言われている。
ミケが生み出された時代においてはコストパフォーマンスの観点から軍事目的以上の用途は見出せなかったようだが、渚が目覚めた時代においては機械獣から入手が可能になっているようだった。