第007話 渚さんと車内会議
『それで僕の名前も決まったところでだけど、現状の確認から始めよう。僕に分かる限りしか話せないけど、君もそれが一番知りたいことだろう』
ミケの言葉に渚が強く頷く。
今の自分がどういう状況なのか、それが渚にはまったく分からない。
自分が誰なのかも、そしてこれからどうするべきかも。過去を思い出そうとしてもプッツリと何かが途切れた感じがして、答えに辿り着かないような感覚があった。
「正直、今もなんも分からねえんだけどさ。結局のところ、ここって未来なんだよな?」
『うん、君の認識からはそうなるよ。君の記憶も、基地の記憶もないから、君にとってはもうどれほど未来かも分からないけどね』
「ホントになあ。十年二十年って単位じゃあなさそうだよな」
渚が「たはは」と力なく笑う。
渚の時代のものですらないらしい基地が六百年以上も前の代物なのだ。自分が生きていた時代はさらに遠い過去には間違いなく、そもそもその時間差の大きさがどういう意味を持つのかを渚は理解できていない。
『だから、まずは現状の確認だ。この場所の座標は埼玉と呼ばれる地域のはずだけれど、今は砂漠化していて、君の認識とはどうやらズレているようだね』
その言葉にも渚は頷く。記憶こそないが、埼玉という地域がこんな場所ではなかったという認識は持っている。
「ああ、私の知る埼玉は……確か海はなかった。あと煎餅と饅頭を売ってたはずだ。他は……思い出せねえな」
『そう。君の知る埼玉というのが、僕にはよく分からないよ』
ミケの言葉に渚が頷いた。渚も埼玉がなんなのかが分からない。ただ、砂漠などという特徴はなかったはずなのだ。なんの変哲もない、何もないところ……渚の頭にはそんなイメージしか湧かなかった。記憶がないのか印象がないのかの判断が難しいところである。
『まあ、基地の記録とリンクしていたときの僕は砂漠化の原因を理解していたようだから、それ以前には確かに埼玉に砂漠はなかったんだろうね。ともあれ、今の僕には情報がないから正確なことは分からない。結果は分かっていても過程の情報は保持していないから原因も不明だ』
「なんか、ややこしいことになってるな」
『まったくだね』
「ともかくさ。日本で砂漠があるのって、私の覚えている限りじゃあ鳥取ぐらいだったと思うんだよね。ていうか、記憶ないのに何でそういうことは覚えてるんだろうな、あたし?」
『さて、記憶については僕からは何とも。再生中の記憶の処理に失敗したのかもしれないけれど、そう作られただけなのかもしれない。調べれば対処も可能だろうけど基地はもう自爆してしまったからね。戻れてもデータが残っているとは思えない』
ミケの言葉に渚が唸る。
今の渚はある程度の知識は呼び起こせるが、自分に関しての記憶は思い出せない状況だ。そこにあるのに手が届かないもどかしさを渚は感じていた。
『気にはなるだろうけど、君の記憶については答えも出ないし、ひとまずは置いておくよ』
「うーん。ま、仕方無いか。なーんも思い出せねーしな」
渚がお手上げと両手を挙げると、ミケは頷いて話を進めていく。
『それでね。そこの端末のデータベースを漁ってもみたんだけど、マップデータとか備品管理とかそんなのばかりでね。正直言って情報はまったくないみたいなんだ』
「お、いつの間にか右腕がタブレットと繋がってる!?」
渚が驚きの顔でいつの間にか義手から伸びていたケーブルを見た。それはテーブルの上に置いてあったタブレット端末にまで伸びて刺さっていたのである。
『ごめん。好きにやらせてもらっていたよ』
「いや、まあいいんだけどさ」
渚が何とも言えない顔でそう返す。どうやら義手は渚だけではなく、ミケも操作ができるようだった。
『どうもあの基地にいた人間たちは、自分らの身元に関しての情報を一切入れていないみたいなんだ。もしかすると証拠を残したくはなかったのかもしれない』
「証拠?」
『うん。ようするに彼らには、自分たちが接触したり捕まった場合に身元が知られたくない相手がいたんじゃないかな』
その言葉を聞いた渚は、視界に入ったライフル銃を見て、それから苦い顔をする。このビークルの持ち主は先ほど機械獣とも戦闘を行っていた者たちだ。つまり、ここはそうした戦いのある世界なのだと改めて実感した渚は、眉をひそめながらミケに尋ねる。
「それって敵! って感じの相手がいるってことなのか?」
『君にとってもそうなのかは分からないさ。ただ、そういう可能性があるということだよ』
その言葉に渚の不安はさらに高まるが、ここを出ても行くところはないのだから今はどうすることもできない。
『それと彼らの情報はないけど、マップデータには一応人の集落らしき場所がマーキングされてる。そこに辿り着けば今後についての展望も見えてくると思うんだけど』
続く言葉を聞いて、渚が眉間にしわを寄せて考え込む。
「展望か。結局、あたしがこの時代に再生された理由も分かんないんだよな? だったらさミケ。あたし、あの基地にいた人たちの仲間を探した方がいいんじゃないのか?」
何かアテがあるわけではない。であれば、自分を生んだ存在ならば目的も示してくれるのでは……と渚は考えたのだが、ミケは猫ながら渋い顔をして首を横に振る。
『選択肢のひとつではある。けれども、安易に彼らの仲間と合流するのはオススメできないね。再生体の扱いなんてロクなもんじゃないよ。奴隷扱いは覚悟した方がいい』
「い!?」
奴隷という言葉に動揺した渚に、ミケが渚の目の奥を覗き込むように静かな視線を送る。
『これは、脅しではないんだ。再生体は軍においてもパイロットの補充などに使われる備品に近い存在だ。今、君が自由でいられるということ自体が望外の奇跡なのだと自覚した方がいい』
その言葉には渚も「お、おう」と口にしておっかなびっくり頷いた。
それから少し気持ちを落ち着けてからミケを見る。
「えーと、じゃあさ。ミケが言っていたマップに載っているその集落って、あたしを作った人たちの仲間がいるんじゃないか? そこに向かったら捕まっちまうんじゃあ……」
その問いには、ミケは『大丈夫じゃあないかな』と返す。
『その可能性はゼロじゃないけど、できる限り避けて移動している彼らの経路を見る限りは仲間ではないと思うよ。予測でしかないけどね。まあ、会話も多分だけど問題ないと思う。先ほどの男たちの言語はマギニスだったからチップで翻訳できるはずだし』
「マギニス?」
『君も知っている英語から派生した言語だ。訛りがあったけど、会話には影響ないはずだ』
その言葉を聞いて渚が目を細め、自分の頭を左手で掴んだ。それからグッと髪を引っ張ると痛みのあまりしかめ面をした。
『で、君は何してるんだい?』
「イテテ。なあミケ。チップってあたしの頭に入ってるんだよな。これって取れないのか?」
どうやら渚は、自分の中にある異物に対して拒否感が出ているようだった。
もっとも、その問いに対してミケは首を横に振る。
『それは無理だね。生まれた当初から埋め込まれて完全に癒着しているし、チップは有機パーツが70パーセント以上を占めていて、それはもう君そのものとも言えるんだ』
「うう、そう聞くとなおさら気持ち悪いんだけどな」
渚が唇を尖らせたが、それを見たミケが人間のように肩をすくめながら苦笑する。
『拒否感があるのは分かるけど、慣れてもらうしかないよ。その中には僕も入っているんだし』
「ああ、そういえばそう言ってたか。目の前にいるから……なんか奇妙な感じだけどな」
渚の前には本物そっくりの普通の三毛猫が座っている。
凛として、スマートで、猫の中でも美形そうな顔で、渚をずっと見ているのだ。マジマジと眺める渚に対し、ミケは自分の前足を舐めながら少しだけ笑った。
『まあ、そういう風に見せているからね。君が今見ている猫の姿は君の視覚に直接映し出されているだけで、そこにいるわけじゃないんだ。ほら、実際に触れないだろう?』
「お、うん。本当だ」
ミケが出した前足を渚が掴もうとしたが、触ることはできずスルリと宙を掴んだだけだった。
『僕はそのチップにインストールされたナビゲーションAIだ。だからチップ共々あまり嫌わないでくれると嬉しいね。僕にも感情はあるんだ。ストレスは猫にとっても大敵なのさ』
その言葉に渚が少しばかり意外そうな顔をする。
「感情があるロボットねえ。さすが未来ってことか」
そうひとり頷く渚にミケが少しだけ得意そうな顔をする。
『ま、それなりに優秀だよ僕は。それにここまでにも君はチップの力にずっと助けられているんだ。チップはね。センスブーストやそれに伴う思考処理の高速化、右腕の義手の管理、生体ナノマシンのコロニーの形成や、視覚に僕や様々な情報を君に表示したりもしている。言語翻訳に関してもチップがあって可能となるものなんだから大事にした方がいいよ』
「うう、確かにそうだけどなぁ……」
『それに耐久年数は君の寿命よりも遥かに長い。先に活動を停止するのは君の方だろうさ』
その言葉に渚の顔が引きつった。
頭の中にわけが分からないものが入っているのは気持ちが悪い。だがここに至るまでにも相当にお世話になっているのだから、今後も必要なのだということは理解できてはいる。それからひとまずは諦めたという顔になった渚を見て、ミケはさらに話を続けていった。
【解説】
再生体:
作中ではアイテールによって生み出された人間を指している。
ただの人間との相違は、アイテール結合故に分解がされやすいという以外にはほとんど存在しない。
なお、ミケは再生体を奴隷扱いだと説明していたが、正確に言えば市民IDを持たぬ人間はすべて人としての権利を与えられていなかったため、粗雑に扱われていたのは再生体に限ったものではない。