第006話 渚さんと無人の車
「白紙? それって、つまりどういうことだ?」
渚は目をグルグルにしながらそう尋ねた。
その渚の認識できていない状況を正しく察した猫が肩をすくめながら、結論を口にした。
『簡単に言ってしまえば、つい先ほどまでは把握していたこの砂漠の正体も、君のプロフィールすらももう僕には分からないんだよ。ははは、困ったね』
「困ったねって、笑い事じゃあなくないか!?」
慌てる渚の言葉に、猫は『まあ、仕方がないよ』と返す。
『残念だけど、そういう状況だ。それでも君ひとりでいるよりかは遥かにマシだとは思うんだけどね』
「うう……確かに、そうだけどよぉ」
渚は情けない顔をしながら猫の言葉を肯定する。とてもひとりで乗り切れる事態であるとは渚にも思えない。
その様子に猫は頷き、それから口を開いた。
『ともあれ、今は君の安全を考えよう。一応データリンクが途切れる前に、この非常口が露出した際に得た周辺観測データは手に入れられたんだ。渚、案内するから来てくれるかい?』
「お、おう。どこにだよ?」
『君の身の安全を確保できる場所だよ。義手のナノマシンを稼働させて一応の対処は行っているけど、今のまま浄化物質に触れ続けると君の身体機能に支障が出る恐れがある』
「へ、それってどういう? あ、ちょっと待てよ猫!?」
トコトコと猫が歩き出し、渚がそれを追い始めた。
その後も何度かの爆発が起き、その度に渚が吹き飛ばされそうになったが、どうにかこうにか辿り着いた先には、鉄板を打ち付けて強化されたようなキャンピングカーが三台、岩場の裏に並んでいたのである。
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「なんで、砂漠にこんなキャンピングカーがあるんだよ?」
『あれはビークルというんだ。基地にいた彼らが乗っていたものだろうね』
先ほどの爆発の影響だろう。いくらか砂に埋もれた形ではあったが、そこにあるのはキャンピングカーを改造したような装甲車両であった。それを渚が警戒した顔で眺めている。
「えっと、そうすると……もしかして誰かいるんじゃないか?」
そう言いながら渚が周囲を見回すが、人の気配はない。
先ほどの基地の中にいたような、銃を持った相手が護っているのでは……と警戒したのだが、猫は気にせずにテントの方へと進んでいく。
『少なくとも周辺に動体反応はないようだから、問題はないよ』
「よ、よく分かるな猫!? お前、万能かよ」
渚の言葉に反応した猫の視線が、渚の顔に向けられる。
『君の視界から解析した情報だけどね。まあ、警戒しながらでもいいんで中に入って。あのビークルの内ならひとまずは安全だ。というよりも入らないと危険なんだ』
「お、おう」
猫の言葉に従って渚がおっかなびっくり車両の中に入ろうと取っ手に手をかけると、わずかに機械音がしてガチャリと扉が開いた。
「鍵、開いてたのか?」
『ああ、これぐらいなら問題ないよ』
「え、猫。お前が開けたのかよ?」
『これぐらいなら造作もないね』
そんなことを言い合いながら渚が入った車の中は想像していたよりも広く、奥には銃などの武装が並び置かれていて、また車内の真ん中に空気清浄機のような機械がポツンと置かれていた。
「中は結構綺麗だな。なんか、銃とかも置いてあるけどさ」
車内に入った渚が最初に感じたのは、思ったよりも車内が清潔であったということだった。また、奥の荷物置き場にはいくつかのライフル銃らしきものや、さらには一輪のバイクのようなものまで置かれている。
『ライフル銃の形式はCAT-035R、アドオン式のグレネードランチャー付きだね。義手の記録とも照合できている。アイテール製のレプリカだけどアンティークではなさそうだし、これが現役ということは、状況はますます悲観的にならざるを得ないか』
「なんであんなもんがいっぱい置いてあんだよ。こえーなぁ」
渚が眉をひそめるが、猫は気にせず車内の真ん中に置かれている小型の機械へと目を向けた。
『で、あれがエアクリーナーだね。渚、あの機械を起動させて。横にある緑のボタンを押せば動くと思うから』
「はいはいっと。緑のボタンだよな。よし、押したけどさ。何だよこれ?」
渚がボタンを押すとガコンという音がして、機械から急に空気が出始めた。
『エアクリーナー。正確にはナノマシンプラントと散布機がセットになったものだけどね。要するに空気を清浄化するものだ。これまで持って行かれていたらかなり厳しかったけど、置いてあって良かった。だいぶ古そうだけど、この機械に関しては基地が停止した年代よりも進んだ技術が使われているみたいだ』
「へぇ。そうなのか?」
渚が興味深そうにエアクリーナーを見ながら、尋ねた。
『うん。アイテールをエネルギーとしているようだけどエネルギー効率も良さそうだね。そうした進歩を遂げなければならない事情があったことは想像に難くないけど、君にとっては非常にありがたいものだろう』
「なるほどな。よく、分かんねえけど」
猫の説明は、渚にはやはり理解できない。
だが、ひとまず空気清浄機であることは理解できたし、実際に喉や肌がヒリつく感覚が薄れていくのも感じていた。
それから猫がポンっと飛んでテーブルの上に座ると、椅子に向けて尻尾を振って『渚、そこに座ろうか』と着席を促した。
「了解。で、猫さ。あたしたち勝手にここに入っちゃったけど、本当に大丈夫なのか?」
渚が気にしているのはこのビークルの持ち主や、基地にいるであろう巨大生物や機械獣など様々なものだ。もっとも渚の言葉に猫は『まあ』と曖昧に言いながら頷いた。
『ここの持ち主たちは基地と共に全滅したはずだよ。仮りに生き残りがいたとしてもさ。正直なところ、僕らには他にアテもない。この砂漠の中で生きていられる手段はここしかなかったんだから、そもそも選択肢がないんだよね』
渚は不安げな顔を見せたものの、その説明には納得するしかなかった。
基地には戻れない。簡易着と義手のみの自分がなんのアテもなく砂漠を進むわけにもいかない。何よりも外の空気は何かがおかしいのだ。長時間、い続けることは危険であると本能が察していた。
『巨大生物も基地から動いていないようだ。あの基地内にはアイテールが十分にあるし、どうやら巨大生物も機械獣も狙いはアイテールらしい。まあ、ここから逃げるにしても、今はひとまず今後をどうするべきかを先に決めないといけない』
「そうだけどな。あー、なあ猫?」
『何かな?』
「お前に名前ってあんのか? あたし、さっきから猫ってずっと呼んでっけどさ」
短い時間とはいえ世話になっているし、これからも世話になるだろう相手だ。であれば名前ぐらいは聞いておくべきだろうと渚は考えたのだが、猫は首を横に振った。
『いいや、僕に名前はないよ。マスターである君が付けてくれるなら登録しておくけど』
「んー、私が?」
その言葉に渚が少しだけ考えた後「じゃあ、ミケで」と返した。
『ミケね。三毛猫だからかい?』
「分かりやすいのが一番だしな。嫌か?」
『別に構わないよ。命名権はマスターにあるし、それに僕のAIはミケランジェロシリーズと呼ばれているらしいから、そういった意味でもおかしくはない』
「へぇ。じゃあミケランジェロのミケってことでひとつよろしく」
渚が笑ってビッと親指を立ててそう返すと、ミケも素直に頷いた。
『それじゃあ僕の名前はミケだ。タグも打っておこう』
そう言った途端に、渚の視界にミケのタグウィンドウが表示されて、ミケ(ミケランジェロ)と記述されているのが確認できた。どうやらそれがタグを打つということのようで、それからミケはにゃーと鳴き、AIだというのにどこか嬉しそうな顔をして渚を見ていた。
【解説】
CAT-035R:
かつての戦争時において、一般的に正式採用されていたライフル銃。渚が入手したものは銃下部にアドオン式グレネードランチャーを装着しており、榴弾を含めた多目的弾を射出するのに使用されていたようである。