第046話 渚さんと割り込み先輩
「ふあっ」
少しアクビをした渚が目をこすりながらヨタヨタと歩いている。
リンダの家に住むことになった翌日、渚はリンダと一緒にクキシティを歩いていた。目的地は狩猟者管理局、昨日ダンに言われた通りに昼には到着する予定であった。
「ナギサ、随分と眠っていましたわね」
「うう、もう昼近くじゃん。安心して寝れるってのが久し振りだったからな。起きれなかった……ミケも起こしてくれないし」
『君には必要な休息だと判断したまでさ』
「お前なぁ」
渚がジト目でミケを見るが、ミケは気にせず先へと進む。
「でも、ミケさんの言う通りですわよ。ナギサはここに来るまでちょっと頑張り過ぎているようですし」
また、イヤホンを通してミケの声を聞いているリンダがそう渚に言う。
「元気なんだけどなぁ」
『体調には結構気を使ってるんだよ。僕の方でね』
ミケがそう言ってヒゲを揺らした。ナビゲーションAIは健康管理もやってくれるのである。
(体調ねえ。そういや飯の方もバランスは悪くないって言ってたっけ)
家を出る前にとった食事は、アサクサノリをまぶした藻粥という藻を浸したスープと栄養素を補充するための錠剤であった。ミケ曰く栄養バランス的には良いらしいが渚にしてみれば味気がない。
調味料と言えるものはエーヨーチャージのバリエーションを砕いたものが多く、ココアと言われて出されたものは、以前に渚が考えたこともあるココア味のエーヨーチャージを砕いたものをお湯で溶かしたものだった。何かしらの工夫はあるらしく飲めない味ではないが、物足りないというのが正直なところだ。
もっとも、ここではそれが一般的な食事というものらしく、肉などは埼玉圏の環境に適応したトカゲなどのものがあるそうだが、生野菜はアンダーシティ内でも高級品なのだとの返答がリンダからは帰ってきた。
(けど、高級品ってことはさ。存在はしてるんだよな。どこで栽培してんだろ?)
そんなことを渚は考える。栽培可能なら自分で作れないかとも思ったのだが、そうしてる間に気が付けば狩猟者管理局の近くまで来ており、また入り口が妙に騒がしくもあった。
「ん? リンダ、なんか起きてないか」
「ですわねえ」
渚の問いにリンダも訝しげな顔をしながら頷く。狩猟者管理局の敷地内にかなり破損したビークルが入っていくのが見えたのだ。
「クソッタレ。しっかりしろよ」
「緊急だ。邪魔だ、どけ」
「こいつを殺してえのか? こっちは急いでんだよ」
またビークルの横では、声を荒げながら狩猟者らしき者たちが次々と怪我人を運んでいた。どうやらかなり手痛い目にあって帰ってきたらしく、全員が疲れ切っているようであった。
「ありゃあ、カスカベアンダーテンプルから戻ってきた連中だ」
「あ、ダン隊長。もう来てたんですね」
横から声がかかり、リンダがその話しかけてきた相手に挨拶をする。
そこにいたのはダンであった。
「来てたというよりも昨日から調査局で缶詰だよ。ま、一応朝には作業も終わったんで飯を買いに行って……で、戻ってきたらこの騒ぎだろ。随分とやられているようだな」
そう言ってダンが目の前の光景を見渡す。
「こっちも相当だったが、ライネルのところもひどいな。こりゃあ、編成も考えないといけないかもな」
「やっぱり、アレもあたしらと同じ狩猟者か。だったらアレ、あたしも手伝った方がいいのか?」
その渚の提案にダンが首を横に振る。
「こちらが手を出さんでも、あいつらはやるべきことをやってるよ。知らん奴が近付いても邪魔なだけだし、ナノマシン治療をしようってんなら止めとけ。この街ならメディカルマシンも必要数はある。お前のだとコストが割高だから治療費がかさんじまう。局員も動かしてるようだから手も足りてるだろう」
「ん、そうか」
ダンの言葉に渚は素直に従った。
渚のマシンアームも治療をすることが可能だが、コストパフォーマンスにおいては専門のマシンの方が上回る。この場にメディカロイドのミランダがいれば別だが、今の渚の治療は適正価格で考えた場合、治療費が上乗せとなってしまうのだ。
「それで、ダンのおっちゃん。さっきカスカベアンダーテンプルとか言ってたよな。あの人ら、そこから来たってことだろ。なんだよ、そこ?」
「そうだな。中が地下神殿っぽい感じだからそう呼ばれてるんだけどな。要するにアイテール採掘所だ」
その言葉に渚が眉をひそめた。ミケもピクリと耳を動かしたが、渚は気付かない。
「え? アイテールって掘って取れんのか? 機械獣からだけかと思ってたんだけど」
「あー、あんま言うなよ。公然の秘密ってヤツだしな。俺もよくは分からないんだが、採掘できる場所があるんだよ。けど、そこはアンダーシティの管轄でな。実際に俺たちも掘ってるところを見たことはない」
「え、じゃあ、あっちの人たち何しに行ってたんだ?」
渚が目の前のせわしなく動いている狩猟者たちを見た。
「機械獣から施設を護る仕事請け負ってるんだよ。それが今回のシャッフルのせいで、相当に被害が出たってことだ。あ、ライネルもいるか。悪いが、俺はちょっと話を聞いてくる。お前らは、振り込みはもうしてあるから中で確認して承認してくれ。頼んだぞ」
「はいですわ」
「おう」
ふたりの元気のいい返事に、ダンが笑いながら手を振ってその場から離れた。
「そうだ。中も外の空気に当てられてちょっと荒れてる。気を付けろ」
去り際の言葉に渚は眉をひそめたが、リンダが「行きましょう」と言ったことでひとまずは踵を返して施設へと歩き出す。
「なあリンダ。ダンのおっちゃん、振り込みって言ってたけど、アイテールで貰えるんじゃないのか?」
「いいえ。管理局の報酬で貰えるのは、シティ内で扱える電子通貨ですわ。ワッペンでやり取りできますのよ」
「マジかよ。こいつに?」
渚が自分の右肩についているワッペンを見た。
「生体認証とセットですからゴマカシが利きませんし、使い勝手が良いのですよね。けれど、電子通貨が使えるのはネットワークが繋がった街の中だけですから、街の外に出る場合にはアイテールや他の街で換金できるものに代えないといけませんわよ」
「へぇ。微妙に不便?」
その渚の言葉にリンダが笑う。
「街と街を頻繁に移動する者にとっては不便かもしれませんが、都市部内で生活する限りでは普通に便利ですわよ。もっともこの仕組み自体はアイテールを吸い上げるための処置なのでしょうし、こちらの都合を優先されてできたものではないのでしょうけど」
そのリンダの言葉に渚がへぇ……と口にして頷く。
それから渚たちが施設の中に入ると、確かにその場は妙に殺気立っていた。
何しろ、受付には昨日の強行軍にいた狩猟者やそれ以外の者たちが並んでいるのだが外のカスカベアンダーテンプルの方に人員が割かれているせいで局員の数が足りず、みな待たされているのだ。
「ざわついてるな」
「とりあえず並びましょうナギサ。さっさと済ませておきたいですわ」
「おう」
そう言って渚はリンダと共に列に並んだのだが、そのすぐ後に、後ろから「おい、邪魔だ」「ガキ、どけ」と言って男たちが間に割り込もうとしたのだ。
【解説】
電子通貨:
通貨単位はアイテール貨と同じ円である。住人はカード、狩猟者はワッペンを介して信頼性の高い生体認証を使って金銭のやり取りをしている。
なお、電子通貨はアンダーシティが地上からアイテールを手に入れるために生み出したものであり、市民IDを持たない(=人間と認められていない)者たちがアンダーシティの上に住むことを許されている理由でもある。