第314話 渚さんと望む未来
「ともあれ、今の渚がそういう用途に従って生み出されたとして……だ。だとしてもすでにオリジナルが死んでいる以上は、今や君こそが唯一の本物といっても問題はないんだよね」
「そういう……もんなのか? そういうもんでいいのか?」
半信半疑の渚の問いにアウラは頷きで返す。
「細胞だって一日に1兆個変わっていて計算の上では二ヶ月で全部の細胞が変わってるって話だよ。実際のところ、偽物と本物の定義なんてそもそも意味はない。だって分けるほどの差異がないからね」
アウラがぶっちゃける。魂すらも複製が可能な超未来において、本物と偽物の違いの最大の問題はそこである。だからこそ市民IDなどを用いて差を作るしかなかった。そして人という垣根を超えた存在であるアウラにそうしたこだわりはない。
「差異は……あるだろ。本物はとっくに墓の中だ。そもそも数千年後に生まれたあたしと、オリジナルはイコールであるはずがない」
「生物なんだから大なり小なり変化は起こるさ。その差が許容できるか否か。結局のところはね。そこら辺は本人が納得するかどうか……ただ、それだけだ。私は今の君を渚だと考えているし、オリジナルも私の妹だ。そうだね。今の渚は中学生のあの子から分岐したもうひとりの妹という感じかな。妹がふたりいて困る姉はいないよ」
その言葉に渚が頭をかきながら眉を顰める。
「そう言われても、やっぱり素直には飲み込めねえっての」
「うん、それも分かってる。自身のアイデンティティに関わる問題は人間、AIに限らずデリケートなものだからね。自分探しは若者の特権だもの」
「自分探しって言われると途端にあたしが恥ずかしいヤツみたいになるな」
「猫耳コスプレで日々を過ごしているよりは恥ずかしくないよ?」
「コスプレじゃねえし」
実用性オンリーでその格好をしているのだ。決して渚の趣味ではない。
「ま、渚が違うっていうなら別にそれはそれで構わない。私にとっての渚の有り様はそうしたもので、偽物として見ているわけじゃないってことを知って欲しかっただけだから」
そう言ってアウラが背伸びをして渚の頭に手をポンポンと優しく撫でた。
「それに私の記録の中での最後の渚はシワクチャのお婆ちゃんだったからねぇ。こうして若い君と会えたのは新鮮といえば新鮮だ」
「お婆ちゃんって……そうか。オリジナルはその年まで生きたんだよな?」
「そうだね。今の渚は中学生だよね。あっちの君はそれから高校と大学を卒業して、教師になったんだよ」
「……教師」
「そう。君は教鞭を振るい、たくさんの教え子ができて、結婚をして、三人の子供ができた」
「け、結婚か。あたしがか」
それは今の渚には想像もつかないことだ。出会う男はみんな大人で、恋愛対象になりそうな相手は今のところいない。異性と言っていいのかはわからないが、一番近しいのはミケだが感覚としては父親に近い。そもそも猫だ。
「そりゃ結婚だってするだろうさ。ちなみに相手は高校時代の担任だよ」
「マジかよ。そいつ、犯罪者じゃん?」
「お付き合いを始めたのは卒業後だったそうだよ。ちゃんと相手から拳で聞き出したから裏どりは済んでいるよ」
「そうか。え、こぶ……?」
聞き捨てならない単語を聞いた気がしたが、アウラは話を続けていく。
「そもそも渚が教師になった理由も彼を追った結果なんだってね。あたしが惚れて、あたしが惚れさせた、あたしの男だ。文句あっか! って、そいつを折檻しているところに乗り込まれてメッチャ怒られたよ。あの時の渚はとても怖かったよ」
「そ、そうか。まあ……そういうこともあらぁな」
怒る自分の姿は容易に想像がつく渚であった。
「あの頃の渚と今の渚の性格はそう違いはないからね。今は考えられなくても、そういう相手ができたら同じようになるのかもしれないね」
「んなの、想像もできないって」
渚が戸惑いながらそう返す。
しかし話の通りであれば、オリジナルは旦那のことを高校在学時に惚れたのだろう。今の渚は中学生まで成長した状態で再生されたのだから、同じようなことをする可能性は低くはない。もちろん相手次第ではあるのだろうが。
「今はそうだろうね。ただ、渚には知っていて欲しい。尻に敷いた旦那も、生まれた子供も、孫も……みんながあの渚を好きだった。君のオリジナルを愛してた。決してただ順風満帆だっただけではなかったけれども、あの子は生きて、最後は大勢に看取られて、穏やかに亡くなった。それは誇れる人生だったんだよ」
そう言い終えたアウラの顔に笑みは浮かばない。渚の知る姉は決して笑わない人で、それはアイテール結晶の侵食による弊害であった。しかし、目の前のアウラからは幸せだったという感情が伝わってきていた。
「末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし」
アウラは言う。
「それが私の望むハッピーエンドだよ。あっちの渚がくれたもので、だから私は私の知る人たちがみんなそうであって欲しいと望んでいる」
アウラの顔に感情は浮かばない。けれども、その言葉は重く、それは彼女の誓いだと感じられた。揺るぎない大木の如く、何かを見据えてそのために歩き続ける決意が込められていた。
「姉貴は……そのために生きてるの?」
「そうだね。ずっとずっと……まだ道半ばだけど、それでも頑張らないとたどり着けない。そんなことをしている。それでもやるべきことは決まっていて、ゴールはもうひとりの渚が示してくれた」
アウラがそう返す。
渚には分からない。アウラが何を求めてここまで生きてきたのか。数千年という途方もない時間を生きながら、叶えたい願いがなぜあるのかを。
「……そっか」
それでも分かることはある。その叶えたい願いの中に自分はいない。
けれどもそれは見放されているからではなく、信じているからだ。渚が幸せに辿り着けるとアウラは信じている。
(つってもさ。それってやっぱりオリジナルありきの話なんだよな。あたしは何もなせちゃいない)
もうひとりの、オリジナルの渚に渚は嫉妬する。その人生も、姉の信頼も、それはまだ渚が得られていないものだ。それでも、それは悪い感情ではない。
(……ああ、くそ。負けらんねえよなぁ)
心が折れなければ、それを越えようという想いがあれば人は自分で立ち上がれる。
「なら、姉貴はそのまま進んでくれよ。あたしもあたしの叶えたい願いってのも見えてきたしな」
「へぇ。それはどんな願いなのかな?」
「そうだな。あたしはさ。やっぱり羨ましいんだよ」
アウラが目を細める。誰に対して羨ましく感じたのか。言うまでもなく、それは彼女のオリジナルに対してだ。
「オリジナルが教師になったってのはイマイチピンとこねえし、よく分かんねえ。男の影響みたいだしな。けど、こんな世界だけど……あたしもそういう生き方が、普通の生き方がしてぇと思った」
「それは渚次第さ。私だって自分に猫耳妹ができるとは想像できなかったよ」
「しつこい!? こっちじゃ誰も気にしてなかったのに」
「サブカル文化にツッコミ入れられるほど、余裕のある世界じゃないからね」
「余裕ねえ。まあ結局のところはそれなんだよな」
そう。余裕がない。この世界は生きることに必死だ。努力していないわけではない。それでもなお人の命はこぼれ続ける。だから人の笑みは少ない。オリジナルの記憶を得た渚は、だからこそかつての世界との差を感じてしまう。
「そうだな。だから、あたしが目指すべきはそういう余裕のある世界を作るってことなのかな」
蘇った記憶を反芻しながら、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
おぼろげながら渚には未来のヴィジョンが見え始めていた。
アゲオアンダーシティの復興。なし崩し的に引き受けた市長の役回り。流されるままに進んできた今。けれども、かつての世界の記憶に触れた渚は自身の中に己の理想を見た気がした。
学校で友達と遊び、家に帰って姉とゲームをして、仕事帰りの父と、母の作った夕食を家族で囲んで食べる。それはもう手に入らないものだ。時間は未来にだけ道を開き、過去へ戻る道はない。大切だった人たちは姉以外もうどこにもいない。しかし、そうしたものを新たに自分たちで築くことはできる。渚とリンダのように。ここまで共に歩いてきた仲間たちのように。
「ああ、そうだ。それがいい」
渚がその先の未来を想像し、笑みを浮かべる。そこに込められたものは希望であった。
「姉貴、あたしさ。なんだか見えた気がする」
「それは結構。私もきた甲斐があったよ。いや、顔見せにきただけだったのだけれどね。それでどうかな。君はハッピーエンドにたどり着きそうなのかな?」
「さてね。でも、それを目指す努力はしてみようと思う。だから、そのためにも……」
渚は巨大な竜を想う。立ち塞がる壁は厚く、高く、けれども乗り越えなければ渚の望む未来はない。であれば……と渚は決意を言葉に込め、強く想う。
「あいつはなんとかしねえとな」
【解説】
幸せの定義:
アウラにとって幸せの定義とは、オリジナルの渚の人生である。
末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
遥か遠い未来、彼女の知る誰かがそうなることで、アウラの願望は成就されるだろう。