第313話 渚さんと生まれた理由
「しかし渚。猫耳はともかく、尻尾は持て余し気味のようだね。もう少し上手く使ったほうがいいんじゃないのかな?」
「いや、積極的にではないけど身体を支えるのにはよく使ってるんだぜ……って、その話はもういいよ姉貴。これ、仮想空間だろ。どういうことだよ?」
頭の中の霞が消えたかのように今の渚には過去の……オリジナルのものであろう記憶と繋がっているのを感じ取れていた。同時にこの状況と己の内で起きた急激な変化に戸惑いも受けている。
「そうだね。今、私は渚のAIを使って仮想空間を生み出して話しているんだよ。まあ私は本体そのものではないけど意思は本物だと考えてもらって良いかな。それと上手くいったみたいだね」
渚を見ながらアウラが無表情のまま、うんうんと頷く。
「あたしの目の前にいるのは本物の姉貴なのか? 急に記憶が戻って……いや、これはオリジナルのものだからあたしの記憶じゃあない?」
対して難しい顔をしている渚に、アウラは首を横に振って「渚は渚だよ」と返す。
「少なくとも私の感覚としてはね」
それは極めて実直な言葉であった。
古き時代の人間の再生を試みて造られた復元体である渚。アウラはそんな渚の身体をたった今解析し、不具合がないかをチェックし終えており、だからこそ理解している。
「どうやら復元した連中の腕は確かだったみたいだ。おおよそ100パーセント一致してる。あ、ほとんどイジってはいないけど記憶領域の修復だけはしておいたよ。このままだと将来的に精神に障害を起こしただろうからね」
現在の渚はオリジナルとのわずかなズレが存在しているが、その多くはこの世界で目覚めてからここまでの経験の蓄積の差だ。そして、それこそが今の渚を渚たらしめているものであり、そこに手を付けようとアウラは考えていなかった。
けれども記憶の欠損だけは別だ。
渚の脳は初期の緊急起動による強引な繋ぎ込みにより記憶領域を欠損しており、ミケでも原因の解明も修復もできていなかった。しかしより高度な解析を行えるアウラはそれらを正しく把握し、将来的な精神疾患を生み出す要因を孕んでいると診断して修復を行なったのである。
「まったく、技術の進歩ってのは嫌になるよね。しかもアカシックレコードから抜いた情報を金星のエンハンスニューロで解析した跡もあるし。ま、私の目をすり抜けてことを行うにはそうするしかないわけだけど」
「アカシック? 金星?」
「アカシックレコードはただの通称だね。アイテールの流れの中心にある情報集積領域と言えばいいのかな。インドの概念であるアカシックは西洋オカルトではアイテールと同一視している向きもあるんだよ。語呂合わせに近いから神智学のソレとは同じものでは当然ないけど……まあ、地球のあらゆる情報が無作為に集まってるところだよ。そしてエンハンスニューロは生体コンピュータだ。光合成で増える、金星内部に侵食した巨大コンピュータ。人間とは袂を別れたはずだけど、私に対抗意識があるから協力したのかもしれないね」
先ほどの話だけでも渚はお手上げだったのだが、その上に地球や金星などと言われてはさらにピンとこない。たかだか埼玉圏の上で生きるのに精一杯な人間に世界どころか太陽系規模のスケールの話をされても困るのである。
「んー、よく分かんねえ。そんな話はミケからだって聞いたことねえんだけど」
「そりゃあ、そうだよ。アカシックレコードのこともそうだけど、エンハンスニューロが人間の制御外にいることは一部を除けば地球圏側の組織でも知らないことのはずだよ。何しろ金星人は彼への不干渉を条件に、金星での生存を辛うじて許されているような状況だからね。自分で造ったものに支配権を奪われたなどと彼らも知られたくはないだろうし、バレたら最悪エイリアンウォーがまた勃発だ。ま、今となっては起こりようもないのだろうけど」
「でも、姉貴はそのことを知ってるんだな」
「私はあいつと文通してるからね」
「文通!?」
それこそどういう規模の話なのだろうかと渚が眉をひそめた。
もっとも地球と金星間の彼女らの長距離情報通信は確かに行われているのだが、高度な駆け引きを踏まえた機械的な情報のやり取りのみであり、親しみのある友人の会話とは程遠い。つまりは渚の想像しているような文通とはまったく違うものであった。
「話が脱線したね。寂しがり屋のあいつのことはまあ置いておこう」
アウラが何かを掴んで横に置くジェスチャーをする。
「ともあれ、再生体であろうとなかろうと今、ここにいる渚も間違いなく本物だと私は認識している。だからこそ際限がなくなる問題でもあるのだけれど。あのウィンドの近くにいる山田くん。彼なんてその最もたるものだしね」
「山田って……ウィンドさんの補佐をしている……ノーミンのトップの人だよな?」
「そう。彼は非常にロングセラーな再生体だ。公式的な記録では二十八万体の山田くんの再生体が造られて、八割が戦死している」
「八割……優秀なのか、それは?」
「うん。彼は自らの命を散らしながらも確実に勝利をもぎ取ってくれるんだよ。優秀な指揮官であり、補佐官であり、戦士なんだ。特化型には及ばないけど、総合的なスペック上で彼を超える兵士はいないし、非常に要領も良い。軍にとっては使い勝手がいいから重宝されるし、エイリアンウォーでは量産化されてどの艦隊にも配備されていたみたいだね。野心がないのが特に良かったらしい。再生体はかつての優秀な人間をそのまま再生させるものだから、大概の再生体は自意識が高くて反乱の恐れも大きかったんだよ」
「そりゃあ、勝手に造られて戦えって言われたらそうなるだろうよ」
「だね。その点、彼は非常に理性的だ。まあそれでも本当に必要とされる戦場以外では使われなかったし、だからこその戦死率約八割なんだけど」
それはつまり体裁も取り繕えない絶望的な戦いにのみ駆り出されたということだ。
そこまで言われて、渚は山田の顔を頭に思い浮かべた。出会った時の彼の表情に迷いがあったとは思えないし、ウィンドとの関係も良好だった。それでも……と自分に置き換えて考える。
「じゃあ、あの人は自分がそういう扱いされてるってことに納得してんのか?」
「渚、それは私の口から言うことじゃないかな。二十八万体の山田くんはすべて別の人間だ。そして彼には彼の意志がある。過去の自分と一括りじゃないし、記憶の連続もしていない」
「ん……そりゃあ、そうだな」
「気になるなら本人に聞いてみたらいいんじゃないかな。彼なら答えてくれると思うよ」
「姉貴の言う通りだ。そうするよ」
目が覚めればすぐに会えるのだ。渚は素直に頷いた。
「そういう意味では渚は恵まれてると言えるのかもね。多分、君は由比浜渚の最初の再生体だ」
「そうなのか?」
渚の口から疑問の声が漏れる。ここまで聞いた話では、自分は随分と苦労して造られたものであるとは理解していた。であれば、そんな自分のデータがこれまで使われていなかったというのはあり得るのかと。
「この地球圏内においては恐らくね。多分だけど、渚はウィンドの別プランだったのかもしれないね」
「ウィンドさんの別プラン?」
「私と対話するためのコミュニケーター。ウィンドが再生体として造られた目的はソレだ。とはいえ、渚が気にすることはないよ」
(姉貴と話ができるってんなら、悪くはないと思うけど……)
渚はそうも思ったが、ウィンドにしてもアウラにしても、身内に手を出された時点で相手を破滅に追い込むぐらいは平気で行う。どれだけおちゃらけていようが、そこで迷うような者ではないのだ。故に計画を行なっていた者たちが報復を恐れて最終的には渚のデータを封印し、自分に頓着のないアウラの分身たるウィンドを造り出したというのであれば、その判断は妥当であると言えた。
【解説】
エンハンスニューロ:
青色のアイテールを血液のように循環させて活動する珪素系生命体。
一種の生体コンピュータであり、機械種とは異なるものの、そのアーキテクチャを参考にして生み出されている。
金星の大気中に含まれる化学物質や地中の資源、それらを光合成でエネルギー変換して無制限に増殖する事が可能で、テラフォーミングを起こしながら惑星規模のコンピュータになるべく設計されていた。実際にそれは現在進行形で成功しつつあるのだが、エンハンスニューロは自身の活動に人の必要性を感じなかったために現時点では人類から独立している。
アウラとウィンドのようなコミュニケーターを要しており、人間と取引を行うことはある。
自意識は希薄で、他惑星を侵略するような領土的野心は有していないが、金星を食い尽くした後にどう動くかはまだ決まっておらず、いずれアウラと敵対的、或いは友好的な交流が生まれることになる……が、それは遠い未来の話である。