第312話 渚さんと光の再会
「ウィンドさんの大元。あれが本当の……姉貴?」
「映像はシミュレーションだけど形は実際のアウラと同じはずだよ。まあ、アレです。色々あって人間不信になって引きこもりのデブニートになったのがこいつです。或いは地球規模の自宅警備員」
「言い方!?」
そう返しながらも渚は床に映る姉の姿をじっと見る。外見はウィンドと全く同じではあったが、その顔に表情はない。けれども、それこそが自分の姉なのだと渚は理解できていた。渚の姉はウィンドのように表情豊かではなく、感情を表に出さない、表に出せない人間であるはずだった。
「なんで姉貴がこんなことになってるんだ!?」
「アイテール災害に巻き込まれて偶然こうなったらしいね」
「偶然って。偶然でこんなことになるのかよ?」
「そりゃあ理不尽な話かもしれないけどさ。でも災害に巻き込まれる人間ってのは何かしらの必然があって巻き込まれるわけじゃあないんだよ。生まれることに必然が伴う私たちとは違ってね」
生物の営みによって産まれる普通の人間とは違い、再生体は明確な必要性があって生み出される存在だ。その差についてウィンドは何かしら思うところがあるのだろうと渚は考えながら頷いた。
「じゃあ、こいつは消すよ。ほいっと」
ウィンドがパンと手を叩くと床の映像がフッと消え、それを見て渚が名残惜しそうな顔をした。
「渚はもっと眺めていたかったかもしれないけど、でもこれ以上アウラに注視するのは危険なんだよ。すでにこの付近のアイテール濃度が上昇し始めているようだし」
「濃度が上昇? それに姉貴が危険ってどういうことだよ?」
「深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いている……みたいな感じかな。私や渚のようにアウラに近しい人間が意識を向けるとあちらも無意識に反応しちゃうんだよね。で、そうなるととっても危険」
「なんでだ?」
眉をひそめる渚の問いに、ウィンドは少しばかり考えてから口を開く。
「渚、カスカベの町の地下で何が起きているか覚えている?」
「勿論だ。一緒に降りたドクがアウラ……つまり姉貴と接触したんだったよな。それで」
「ドクがアイテール結晶に侵食されて飲み込まれた」
ウィンドの言葉に渚が頷く。ドクは結果的にアイテール結晶侵食体になって生き延びたが、普通であればあれで死んでいるはずだった。そして、その光景は渚の脳裏に今も刻まれている。
「あの身体だと手足も伸ばせないからね。代わりにアイテールを触覚として進化させた結果がアレだ。アウラはアイテールで侵食させて周囲を感知するんだよ。それが肥大化し過ぎた結果、私たちは感知されるだけで簡単にああなってしまうってわけだよね」
「な、なんで……そんなことに?」
「進化の過程で不要なものは消え、必要なものが伸びていくのは自然なことだよ。千年単位で生きるニートはああなる定めだったのさ」
それはすでに人との接触を絶ったアウラにとって問題のないことのはずだった。もはや知己も地球にはおらず、外部の人間との接触は害しか産まないような状況。渚の前にいるウィンドにしてもアウラと繋がるコミュニケーターという役割はあったが、アウラはウィンドを特別視してはいない。ただ害はないから放置しているだけだ。
けれども今、この埼玉圏にはアウラにとって無視できぬ存在がいる。
「それでね。カスカベの町でも自分に接触してきた何かを探るためにアウラはああしたんだけど、渚に気づいたことで侵食をギリギリ抑えたみたいなんだよね」
「じゃあ、あのとき姉貴はあたしのことに気付いて……けど、もしかしてあのとき取り込まれていればあたしは姉貴と会えていたってことか?」
わずかな期待を込めた渚の言葉にウィンドは首を横に振る。
「ドクのように肉体は結晶化して消失する。魂の方はアウラの中に吸収されるかもしれないけど、あの中は力の奔流となっているから、ただの人間の魂では耐えきることは不可能だよ。アウラとしても渚を消すつもりはないだろうから、そうなったら多分魂を凍らせて保管するぐらいがせいぜいだったんじゃないかな」
「……そっか」
わずかに気落ちした渚が俯き、「まあ」と口にした。
「どの道、再生体のあたしは他人だし、会いたいはずもないだろうけどさ」
「ああ、いや……アレはそういう奴じゃないよ。その証拠に、はい。ほらこれ。石は吸着しただけだから穴は開けてないよ」
ウィンドが懐から何かを取り出し、渚の手のひらに乗せると渚が「うん?」と口にしながらじっとソレを眺めた。渡されたものは緑色の、内部で淡い光が浮かんでいる宝石がついたペンダントだった。
「これ、なんだよウィンドさん?」
宝石の内部から湧き上がる光に魅せられながら渚が問う。また、その輝きから懐かしい何かが脳裏に浮かんでくるような感覚があった。
「アウラからの君のための御守りだってさ」
「……姉貴の? あ……」
渚の視界が白く染まっていく。
「一応解析して…………たけど、サッパ… …なんもわか……だから……レ? 身体……ひかっ………………」
同時にウィンドの声が遠ざかっていき、全身を覆うような暖かさを渚は感じていた。
(記憶が戻って……いや、繋がっていく。泡のように生まれて……増えていく記憶が紐付けれていく)
この世界で目覚めたとき、渚は過去の記憶は思い出せなかった。靄がかかったようにおぼろげで、そもそも存在しているのかすらあやふやだった。けれども記憶は生まれ、欠けていた己の内に正しく埋まっていくのを渚は感じた。そして……
「あ、姉貴?」
気が付けば渚の目の前には彼女がよく知る少女がいた。それはウィンドとよく似た、否、全く同じ姿をしていたが、そこから表情というものだけが抜け落ちているかのような感じの少女だった。けれども『正しい記憶』が手に入った渚はその少女が誰なのかを知っている。そう、彼女こそが……
「猫耳に尻尾。狙い過ぎなのでは?」
「久々に会って、最初の言葉がソレ!?」
超生命体アウラ。偶然にも世界の特異点となり、過去、現在、或いは未来においても世に変革をもたらし続ける存在、その原初の姿がそこにあったのである。
【解説】
ニート:
そんな事が可能な人間は裕福層に該当されるため、現代の埼玉圏の地上では存在しない概念。
なお、地下都市ではニートは罪人を意味し、職業訓練所という名の強制労働施設に送り込まれて週四の労働を課せられることとなる。一日の三分の一もの時間を労働に費やされる劣悪な環境は著しく寿命を低下させる危険が伴うと言われており、市民の間では黒縄地獄と称されて恐れられている。