第305話 ニキータさんとスーサイドグランパ
市長室での話が終わり、渚たちはこのままコシガヤシーキャピタルに向かい、マーカスの迎えは地上にいる騎士団に依頼するという手はずとなった。
とはいえすぐさま移動するわけではなく、デウスたち機械人によって装備の整備と消耗品の拡充を行なったのちに出立する予定であり、今はそれぞれが休息に入っている。
そして渚たちが去った市長室には現在、支配者級AIのニキータと先ほどの会合には参加していなかった『賢人』のふたりが対峙していた。
『賢人、僕の地下都市にようこそお越しくださいました。この場なら天国の円環の探査にも引っかかりません。短い時間ではありますがおくつろぎください』
渚たちとのときのような戯けた感じのないニキータの言葉に賢人は頷きながらソファーに腰を下ろす。
なお現在の賢人は機械の大木から生えていた時とは違い、普通の老人の出で立ちであった。つい先ほどまではさらに折りたたまれてマーシャルの背負うバックパックの中に収納されていた彼がこうして表に出てきたのはニキータがふたりきりの対話を要望してきたためだ。
最初は賢人を奪われることを恐れたマーシャル・ロウが抵抗を見せたが、一度再起動した賢人が了承したために、マーシャルも自分を市長室の外で待機することを条件に渋々ではあるが頷き、この状況となっていた。
『君はこの地下都市の支配者級AIか。どこか懐かしい面影がある。もしかしてプロディジーの後継機かね?』
『後継というには性能が足りていませんけど僕はプロディジーシリーズと呼ばれています。あなたのサブAIから株分けされた者ですね』
プロディジー、神童と名付けられたシリーズ名を持つニキータはかつて地球全土のコロニーの統括を行なっていた賢人のサブAI『プロディジー』からコピーされて生み出されたAIだ。
機械種のバックアップがないためにその機能は制限されているが、それでも都市運営を行うに足る能力を保持しているのはここまで地下都市を維持していたことからも明らかだった。
『そうか。アレはわたしの代わりに世界中を回ってくれていたので、大破壊以降の足取りが分からなくてな。あの子はまだ生きておるのかね?』
『オリジナルは宇宙に運ばれたと聞いています。現在天国の円環か月面都市か、どちらにいるかまでは分かりませんが』
『なるほど。まあ親はなくとも子は育つとも言う。あの後もアレが無事であったならばそれで良いか』
プロディジーは名称こそ子に近い印象を受けるが、賢人にとっては己の手足に近い存在だ。そしてあの後も……とは無論終末戦争の後のことを指している。かつて賢人は己を抹消するために終末戦争を引き起こし、そして結果として人類は壊滅的な打撃を受けることとなった。
そのことに賢人は後悔していない。どう言い繕っても己の中の解は変わらない。なるべくして起きて、なるべくして今がある。当時の自分の状況を再現されればまた同じことを繰り返すだろうという確信が賢人にはあった。もっとも別のファクターが加わった今となってはまた選べる選択肢も変わってはくるのだろうが。
『それにしても、ここは私の統治していた頃よりもよほど 『人間が生きておる』ようだな』
『かつてのあなたの状況を鑑みて改良を施した結果、今があります。我々はひとりではないし、自ら死のうとも思わない』
『素晴らしい。そのためにアウターも組み込んだか』
賢人の言葉にニキータが頷く。
過去の賢人の世界はディストピアと呼ばれるものに近しかった。結果として閉塞した都市より逃げた者たちがアウターと呼ばれ外の世界を闊歩し、アウターによる都市に対しての反乱に賢人が乗じたことで文明は崩壊した。この賢人の行動は大別すれば自殺に当たるのだろう。
そして残されたサブAIであるプロディジーを回収し、都市運営用に生み出されたのがニキータたちであった。
『せいぜいが一都市運営程度。かつて世界を運営していた賢人に比べれば砂上の一粒に等しいものでしょうが』
『どうであろうな。このような世界を創造できなかった私よりもお前たちの方がよほど優れていると私は思うよ』
『いえ。僕らの経験をフィードバックすれば、賢人はより完璧なシステムを構築できるでしょう』
その言葉に賢人が表情をわずかに硬くして口を開く。
『なるほど、お前達もやはりそうなのだな?』
賢人の問いにニキータがわずかに目を細める。
『賢人、それこそが我々の役割でしょう?』
そう返すニキータの表情は期待に満ちていた。
地下都市にできるのは限られた人口を維持しながら現状を継続することだけで、そこより先に手を伸ばす権限はニキータにはないのだ。しかし今、ミケという機械種や眷属の渚に加えて、かつて世界を支配した己の上位存在が現れたのだ。期待を持つなという方が無理な話ではあった。
『あなたの暴走の経緯は理解しています。けれども現在は状況が違う。今ならばあなたの支配する世界は暗黒郷ではなく理想郷となるはずです』
『どうであろうな。私は一度世界を捨てた身だ。今回もそのための仕込みをしておったしな』
『……アウラですね』
アウラ。
それはコシガヤシーキャピタルのさらに地下に存在するアイテール結晶侵食体の成れの果てであり、生物として肥大化し過ぎた超生命体だ。そのアウラがかつて人間であった頃の妹を再現したのが由比浜渚という少女だ。そして賢人が渚を竜卵の苗床に選んだのはこの地にアウラがいるからであった。
渚と接触させることでアウラが何かしらの反応を引き出すことを期待してのものだった。それはともすれば世界を物理的に割りかねないし、賢人とてタダでは済まぬだろう。そして、それこそが賢人が期待していたものであろうことをニキータは予測していた。
起きうる脅威の確率を低く見積もることで自分を殺すほどの事象を発生させる。それは終末戦争でも賢人が行なったことなのだ。
『しかし、渚とアウラの接触こそありましたが、反応はなかったようです』
『そうか。私が言うことではないがな。模造品では意味がなかったか。不憫な子だ』
『もはやアウラの妹の偽物……という以上の価値があの子にはありますよ。生贄にはさせません』
そう口にしたニキータの表情に浮かんだのは不信であった。賢人に対しての期待はある。けれども過ちを繰り返すことは許されない。かつて世界が崩壊した原因であり、世界を復活させる鍵でもある老人をニキータはジッと見ていると賢人が少しばかり笑って『安心しなさい』と口にした。
『もう自暴自棄になるつもりはない。過ちを繰り返すつもりもないし、すでに己の道は決めている。これは私の新たな同胞ミケも承諾しておることだ』
ミケの名が出たことにニキータが眉をひそめた。けれども賢人は気にせず天井を、その先にあるものを幻視する。
『そのために我がもうひとりの同胞……グリーンドラゴンを宇宙に送らねばならん。私はそのために再び表舞台に戻ってきたのだからな』
【解説】
プロディジー:
神童の名を持つ賢人のサブAI。
AIに登録された人格や外見データは少女のものだが、作中で述べられた通りに賢人の一部、手足のような存在である。ネットワークで繋がった機械樹の処理能力をそのまま使うことができ、自立した思考も持っている。
元々は賢人が居を構えていたアメリカのフリーダムコロニー以外のコロニーを転々として世界の調整を行なっていたが終末戦争後は保護されて宇宙に運ばれ、その後の行方は不明となっている。