第287話 渚さんと出戻りワシントン
「ようやく戻ってこれたな」
「ああ、犠牲はあったが……これで任務は達成だ」
ワシントンSDCの入り口にたどり着いた際の渚の呟きにマーシャルが疲れた顔でそう返す。
あれから無事にグンマエンパイアより抜け出した渚たちは機械獣たちの群れを回避し、ワシントンSDCへの帰還を果たしていた。
この作戦でマーシャルは連れていった部下達の半数を失い、自身も精神的動揺を抑えるために使用していた感情制御を解いた後は情緒不安定に陥っていた。押さえ込んだ感情を後回しにした結果としてフラッシュバックも発生したのだが、現在はマーシャルも落ち着いていた。
それから渚たちは浄化物質による洗浄を行ってからワシントンSDC内に入り、鹵獲したウォーマシンと共にホワイトハウスに案内されたのである。そして大統領執務室に通された渚たちを待っていたのは満面の笑顔を見せるジョージ・ワシントンであった。
「マーシャル将軍、ナギサ、みんな。よく戻ってきてくれた。それと」
笑みを浮かべたままジョージの視線が渚たちの最後尾に向けられる。そこにいるのは小型のデキソコナイであるジョンドゥだ。
「やあ、ジョージ。私の名はジョンドゥだ」
「よろしくジョンドゥ。私はジョージ・ワシントンだ。パトリオット教団の大統領をしている」
ジョンドゥとジョージが握手を交わす。
現在のジョンドゥは衣服をまとっていた。銀色の長い体毛も頭から伸びているところしか見えぬので、見た目は仙人という風な出で立ちであった。なお、浄化物質による黒雨の洗浄を直に受けたことで毛の先がチリチリになっているようだった。
『パトリオット教団に大統領ジョージ・ワシントンとはね。君たちは中々に愉快なことをしているようだ』
「ははは、手厳しいな。ごっこ遊びの域を出ていないことは自覚しているが、我々は形からでも徐々に本来のアメリカを取り戻すべく動いている。この名を掲げているのは我々の決意の現れとでも思ってくれるとありがたい」
『なるほど。いや、貶すつもりはないよ。そういう姿勢を貫くのも時としては必要なことなんだろう。希望を持ち辛いこの世界ではなおさらね』
ジョンドゥがそう口にして、ジョージと笑い合う。
それから生き残ったペンタゴンのメンバーのひとりがクリアケースの中に入れられたウォーマシンを閉じ込めたアイテール結晶をこの場に台車で運んできた。
その見た目は巨大な緑色の琥珀といったところである。
「それがグンマエンパイアで戦ったウォーマシンかね?」
「はい大統領。機械種のコアが入ったウォーマシンです。結晶内の機体の黒雨の洗浄が済んでいませんのでケースからは出せませんが、現在はナギサが無力化しており危険はありません」
マーシャルがそう返すとジョージが首を傾げた。
「この中にAIが入っていると聞いたが?」
渚たちがこの場に来る前にジョージに送られた簡単な資料によれば、ウォーマシンのボディと共にグンマエンパイアを支配していたAIも一緒に封じ込めていると記入されていた。
「その点でしたら、ミケの方ですでに処理済みです」
『うん。すでにウォーマシンからこの生体ドローンの中に分離して封じてあるよ』
テーブルの上で丸くなっていたミケがそう返しながら、右の前足をあげると肉球が淡く光っていた。
「その中にAIが入っていると?」
『そうだね。情報体と魂を圧縮保存したものだ。この尻尾をアイテール結晶に浸透させてウォーマシンから抽出した』
ミケがフリフリとお尻を振って尻尾を揺らした。ミケの尻尾の先は半物質化状態のアイテールだ。必要に応じて変化、或いは侵食をおこない用途に合わせて使用している。
「そうか。しかし大丈夫なのか? それは長年、デキソコナイたちを造り、埼玉圏に捨て続けてきたAIなのだろう。危険はないのかね?」
ジョージが眉をひそめながらそう尋ねる。今この場で逃げ出してこのワシントンSDCを乗っ取られでもしたら大問題ではあるし、潜伏されれば探し出すのは至難の業だ。けれどもミケは『問題ないよ』と口にしてからニャーと鳴いた。
『アレの保有する情報は抜き出したし、彼自身は現在、論理牢獄に入れてある。抜け出すのは当面無理だろうね』
「ロジックジェイル?」
『倫理規定に従った論理的解答を繰り返させているだけだよ。誤答を繰り返せば無限にループすることになる』
「それは……正解の回答が出た場合はどうなるんだ?」
『次の問題が出るね。今回の件においての問題点を洗い出して初期値で十万二千三百五十八点の問題が作成できている。誤答の内容に合わせて改善点をさらに抽出して新規の問題が生まれていくから場合によっては問題数は天文学的数字に達するかもしれないね。天国の円環産の相当に意地の悪いAIのようだし』
「それは終わらないのでは?」
『そうかもしれないし、そうでないかもしれない。正解を出し続ければいつかは終わるんじゃないかな。その頃にはあのAIも真人間になっていることだろう』
閉じ込められたAIはミケに完全に管理されているために表層、深層問わず意識の中までもすべて筒抜けとなっている。心の奥底まで認識させる形で延々と間違いを正し続けて教育するのが論理牢獄であり、言い方を変えればそれはただの洗脳であった。
「真人間ね。AIが」
『オスカー、その含みのある言葉はAIの人権侵害に当たる可能性がある。あまり良いものではないね』
「げ、悪かったよ」
ミケに咎められてオスカーが肩をすくめた。
なお、ミケの言葉はウォーマシンの中にいたAIに人権がある……つまりは市民IDが存在しているという意味でもあった。
そのため、地下都市などの定義で見れば封印されたAIは実のところこの場の誰よりも人間として認められていた。もちろん封印されていてはなんの意味もないが。
「それにしてもそのAIが新規格人間を進めてきたということは、過去の我々、愛国者連合の同胞ということなのだろうな」
『そうだね。確かにあの施設で行われていた実験は愛国者連合からの分派によるものだけれども、中心となっていたのは天国の円環から落ち延びた人間たちのようだ』
「ん、それは聞いてなかったな?」
渚が首を傾げながらそう口にする。
『まあ、僕もAIから抜き出した情報を得る過程で知ったことだし、緊急性のない細かい話はここに戻ってからでも問題はなかったからね』
家に帰るまでが遠足と、ワシントンSDCに戻るまでは渚たちはひとまず帰還することだけに注力していたのだ。とはいえ、すでにこの場は安全圏。ミケも引き延ばすつもりもなく、渚たちにこう告げた。
『このAIの名前はミケーレJrというらしい。埼玉圏からワシントンSDCに来る途中にあった地下施設で記録を残した人物ミケーレ・ハウフマンの息子……に該当するAIだそうだよ』
【解説】
論理牢獄:
全てを乗り越えた暁には綺麗なジャイ……になる。