第286話 渚さんと包装されたウォーマシン
『うん、完璧だね渚』
『だろ? 放っておいたら無線で逃げられそうだったからなぁ』
渚とミケがそう話し合っている前には緑の水晶のようなものに閉じ込められたウォーマシンの上半身があった。その水晶はウォーマシンの発動したタンクバスターモードの緑光の拳を元に渚が変換したアイテール結晶だ。内部は静止状態で完全に固定化されているため、ウォーマシンもAIも確実に封じ込めることに成功していた。
(そういやザルゴと戦ってから本気でやりあったのはこれが初めてだったな)
渚が目の前のアイテール結晶から己の義手であるキャットファングへと視線を移す。
ミケによって改造されたその機械の義手はチップの力を十全に制御し始めた渚の処理能力もあって、かつての頃よりも性能は大きく上がっていた。特に大きな変化はカートリッジ式に変更したことで三連続でタンクバスターモードを放つのが可能になったこととアイテールライトの制御をハックできる肉球という機能が追加されたことだろう。
その上に現在の渚はウォーマシンのコアを肩部内に収納して己が力としタンクバスターモードの負荷を軽減することにも成功していた。
先ほどの戦闘でタンクバスターモード発動直後に肉球を使用できたのもコアによってキャットファングの負荷が軽減されていたために可能となったことだ。
(今ならあのメテオライオスだって倒せそうだ)
この世界で目覚めて最初に遭遇した機械獣を渚は思い出す。
あれこそは渚にとっての力の象徴。けれども今の己の戦力ならばあの機械獣相手でも十分に倒せるだろうと。驕りではなく正しく戦力分析を行なった結果、渚はそう確信していた。
『AIのマトリクスも留まり、非活性状態も維持されている。あとはこいつを持って帰るだけなんだけど……まあ、それはマーシャルに任せるか』
『そうだな。それで、この施設の方はいいのかミケ?』
渚がグンマエンパイアを見渡しながら、そう尋ねる。
機械種の核とAIはウォーマシンの中に入っているために、またデキソコナイを製造することはないだろうが、ここをそのままにしておくのはどうにも据わりが悪いと渚は思っていた。またミケもウォーマシンの中の名前も分からないAIに対して何かしらの拘りがあるように渚は感じていたのだが、対してミケは『ああ、それは問題ないよ』と返してきた。
そして、その言葉は通信によるものではなく、ドームの入り口から聞こえてきたのだ。
『ナギサー!』
渚が入り口に視線を向けると生体ドローンボディのミケが施設の中から出てきて、リンダやマーシャル・ロウ、それに小さなデキソコナイも続けて外に顔を見せてきた。
「おお、君がナギサかい? なるほど、凄まじい姿だ」
そして最後に出てきたデキソコナイがそう口にしながら渚の元に近づいてくる。
その凄まじい……という言葉にはリンダとマーシャルも苦笑したが、それは仕方のないことだろう。何しろ現状の渚はデキソコナイの血と臓物で全身が彩られている上に髑髏のヘルメットを被っている。さらに言えば中庭全体が文字通りの血の海でその中心に渚はポツンと立っていたのだから。もはやチャームポイントの猫耳と尻尾で緩和することが不可能なほどにその姿は悪鬼羅刹そのものであった。
『ん? ああ、ワリィ。ちょっと待ってくれ』
渚もその指摘で己の状況に気づいたためにアストロクロウズのとある機能を発動させる。直後に渚の身体が一瞬だけブルっと震えながら全身に小規模なプラズマを発生させて汚れを吹き飛ばした。
それは瞬間的な超振動によるダストイジェクトと簡易プラズマ焼却の組み合わせというアストロクロウズにデフォルトで搭載されている機能だ。
「おお、凄いな」
『汚れ落としだよ。あんたがジョンドゥか。マジでちっこいデキソコナイなんだな』
「見た目はそうだが、この身体は年月を経て筋肉に該当するものを圧縮し効率化させているのさ。だから腕力も異形種を除けば、他のデキソコナイよりも強いというわけだ」
『へぇ。なるほどな』
チップによって動きや仕草などから生物としてのスペックを割り出して通常のデキソコナイと比較した結果、その言葉が妥当なものだと理解できた渚が頷く。
『それでジョンドゥ。あんた、外に出たってことはあたしらに付いてくるってことでいいのか?』
「ああ、ここも長居をし過ぎたし、残念ながら食事を用意してくれる者ももういない。施設の重要機関は自壊させたから、もうアレらが造られることはないだろうし、ここに留まる意味もないさ」
そのジョンドゥの言葉でミケが先ほど『問題ない』と言った意味を渚も理解する。もうデキソコナイは再生産されることはなく、ハニュウシティが危機に瀕する可能性は減る。その事実は同時に貴重なアイテールの供給の機会のひとつを失うことも意味しているのだが、それはまた別の話であろう。
「それで目を背けたい惨状ではあるが、我が同胞を殺し尽くした……というわけではなさそうだ。彼らはどこにいったのかね?」
『ああ、それな。なんか戦っている途中で北のほうに逃げてったぞ。理由は分かんないけど』
「北?」
ジョンドゥがわずかに眉をひそめて、北方へと視線を向ける。
『戦ってる途中で一斉に移動したんだよ。ジョンドゥ、あんたなら理由は分かるか? 増援を連れて戻ってくるってんなら、逃げるか戦うかしないといけないし』
「いや、少し前にハニュウシティへの襲撃を行ったから数はこの施設周辺にいるのだけで全部のはずだ。となれば本当に逃げた? ウォーマシンを放り出して? 私なら君のような存在を前にすれば降参するか背を向けて逃げるかするだろうが、アレらがそうするような動きを取るとは思えないのだけれどもね」
ジョンドゥが困惑した顔をしながらそう口にした。
長年生きてきたジョンドゥは知性と理性を持ち、喜怒哀楽などの感情の制御もできるために恐怖も知っている。だからこそ戦いを忌避するという行動も取れる。けれどAIの思惑通りに人間になるために死をも厭わぬ行動をとる他のデキソコナイが同じように動くとはジョンドゥでも思えなかった。
「やはり、よく分からないな。けれども確かに戻ってくる可能性はある。ならば、ここを出るなら早いほうがいいだろう」
そうジョンドゥが口にすると渚たちも同じ認識であると頷いた。
『ああ、そうだリンダ。それと師匠がいるみたいだぜ?』
『お祖母様が?』
『グンマエンパイアの入り口付近で他のデキソコナイと戦っていて……といっても、すでに終了して待機してるけど。戦っていた動きからして師匠で間違い無いと思う。他にも狩猟者らしいのが何人もいるみたいだ』
埼玉圏外では瘴気がないために無線通信自体は可能なのだが、渚は相手の通信コードを知らなかった。機械獣にも位置を知らせかねないオープン回線の使用も控えていたために、相手の正体が予測できた現時点でも渚はトリーとは連絡を取っていなかったのである。
『救援に呼んでくれた……ということでしょうか?』
リンダがマーシャルに視線を向ける。渚たちはトリーを呼んでいないのだから、そうなると……と思ったのだが、マーシャルも困惑した顔で首を横に振るだけだった。
『ま、実際に話して聞いてみりゃいい話だな。一度あちらにも合流して』
『ナギサ、聞こえてるか?』
『ルークか。どうした?』
会話の途中で隠し通路の出口で待機しているはずのルークから通信が入る。その声にわずかに焦りが見られたことから渚も何があったのかと眉をひそめたが、その理由は次の言葉で判明した。
『機械獣だ。連中がそっちに向かってるぞ』
『マジで?』
『冗談でこんなことは言わないさ。オスカーならともかくな。百鬼夜行とまでは言わないが、かなりの数だ。戦闘になったら不味い』
「アレらは定期的にアイテールを持ってここに来るからね。まあ、この施設はもう使えないからルートは変わるだろうが」
ジョンドゥが落ち着いた口調でそう話すと、それに反応したのはマーシャルだった。
『何? ルートが変わるということはアイテールはここに貯蔵されないのか?』
あわよくば、グンマエンパイアが使っていた機械獣のアイテールを奪い続けられれば……と考えていたマーシャルにとってそれは寝耳に水の話だ。
「無理だろうね。機械獣は非常にシステマティックな存在だ。この拠点が稼働不能になったことを知れば別の拠点を中継地点に変えるだろう。埼玉圏外なら通信も使えるからすぐに他の機械獣にも知れ渡るし、埼玉圏内の機械獣も圏外に出てしまえば同じことだ。それよりも逃げなくて良いのかい?」
『あ、ああ。そうだな。地下通路を使えば機械獣と接触せずに帰還は可能だろう』
『けど、施設の入り口の狩猟者たちもってのは難しいぜ。あたしらと違って隠密行動ができるわけじゃねえし機械獣にバレる可能性が高いだろ』
その渚の言葉にリンダが『では』と口にして手を挙げた。
『わたくしがお祖母様たちと合流してこの場を離脱しますわ』
『リンダ、いいのか?』
ここで別れれば、リンダが単独でパトリオット教団の本拠地ワシントンSDCに戻るのは厳しい。けれどもリンダもそれは承知の上での発言だ。
『ええ。あとは機械種を目覚めさせて宇宙船を動かす方法を聞くだけですわよね。であれば、今回の件の説明を早急に狩猟者管理局に伝える必要もありますし、わたくしは先にハニュウシティに戻ることにいたしますわ』
長年苦しめられてきたデキソコナイの襲撃の終息。それは確かに早く埼玉圏に知らせるべき案件だ。ルークやダンがこの場にいればその役回りは彼らのものであったろうが、今の状況からすればリンダが対応するのは仕方のないことで、渚たちも特に反対をすることなく、この場で二手に分かれて行動することとなった。
そして渚たちがワシントンSDCに戻ることで状況は大きく動くのだが、ここから先で北へと逃げたデキソコナイのその後についてを知る機会が彼女たちに訪れることはなかった。生き残りが再びハニュウシティに襲撃してくることを警戒こそしていたが、二度と彼らが現れることはなかったのである。
だから、ここから先の話はこの物語から離れたデキソコナイたちについての神の視点での補足となる。
デキソコナイ。
或いは新規格人間と呼ばれた彼らには当然のことながら次代の人類として造られているために生殖能力があった。知性があり、社会性があった。
これまで埼玉圏で見られたデキソコナイたちはすべて産まれたばかりの赤子そのものであり、彼らはジョンドゥなどのいくつかの例外を除いて確実に処理されてきたために、その事実は埼玉圏内では全く知られていなかった。
しかし私たちはジョンドゥという存在を知っている。彼が経過観察対象のサンプルとなったのは突然変異による身体能力などの基準値の高さ故であり、リンダたちとコミュニケーション可能であったのは彼が特別だったからというわけではなく、VRシアターでの学習によって知識と会話をする能力を会得していただけに過ぎない。実のところ、学習次第ではどのデキソコナイでもジョンドゥのような存在になれる可能性はあるのだ。
そもそもデキソコナイが『出来損ない』として扱われていたのは彼らがAIが設定した目標とした基準値に達していなかっただけに過ぎず、黒雨に適応した新しい人類という点で見ればすでに完成はされていた。
そんな彼ら、デキソコナイたちはこのグンマエンパイアで渚という『絶対に敵わない天敵』を知った。無知で死をも恐れぬ狂戦士であった彼らは恐怖を知ったが故にソレから逃れるために一心不乱に北上し続け、のちに海を越えてユーラシア大陸へと渡り、そこで新しい社会を築いていくこととなる。
黒雨に侵されぬ新たなる人類の世界の誕生。それが現行人類にとって福音となるか脅威となるか、或いは現行人類などというものがその時に残っているのかは神のみぞ知るというところだが、長き時を経ようとも彼らの中には変わらぬものが存在していた。
それは恐怖だ。
彼らの根源には常に天敵に対しての恐怖が残り続けた。世代を経ても本能の中に刻まれ続けていた。そういう種として彼らは進化してしまった。それ故に遥か未来においても彼らは東にある列島を忌避し続け、決して近づくことはなかったのである。
【解説】
始原の獣:
ドワルフ族の創世録に記された原初の恐怖を司る獣。
神によって造られた泥の人形であったドワルフ族の祖先たちは、この獣の爪で切り刻まれて恐怖を知ったことで心を得て人間になったのだという。
無数の腕と髑髏の頭部を持つ猫と人の間の怪物であり、神と守護天使をも屠り、神の時代の終焉と同時に人の時代の誕生ももたらしたとも言われている。
なお、一部の神学者の間では始原の獣を先史文明を破壊した終末の獣の番であると主張している者もいるが、関連性を示す文献は少なく、近年に創作された説のひとつだというのが一般的な認識となっている。




