第281話 リンダさんとグランマのワルツ
『センスブースト……ですわ!』
カーリーに向かって駆け出したリンダがセンスブーストを発動し、知覚と思考を加速させていく。それは渚と違ってきわめて短期間のみでの発動とはなるが、リンダにとっては大きな力だ。
またカーリーの放つナノワイヤーの軌道もクロが解析してバイザー越しに表示することでリンダには見えていた。故にリンダ自身も対抗してヘルメスの翼からナノワイヤーを放出していく。
(こんな狭い空間の中での近接仕様なんて)
リンダが心の中で呟く。油断はしない。そんなことができるほどの腕があるわけではないのは自身が一番よく知っている。けれどもカーリーという人型兵器は相性で言えば間違いなくリンダと噛み合っている。油断ではなく的確な戦力分析の末にリンダはこの先の戦闘の結果が見えていた。
戦闘開始となって時間にして一秒にも満たない間に空中で互いのナノワイヤーが衝突すると緑光を散らしながら相殺していった。
そもそもナノワイヤーは極めて細い。特にアイテールを流した状態では接触時に何かしらの反動があればすぐさま崩れてしまうガラスの刃のような兵器だ。故にナノワイヤー同士が接触すれば相殺されるのは当然であり、そして……
(勝負になんてなるわけがないですわね)
己に敵のナノワイヤーが届かないことを把握したリンダがわずかに飛んで空中で独楽のように回転して蹴りを放つと、数千のナノワイヤーが無数の軌道を描きながらカーリーと呼ばれる兵器へと向かっていく。
このカーリーというロボットは対人戦を想定した人型の近接戦闘兵器だ。まるで骨のような細いフレームだけで構成されたボディに腕が六本ついており、細身ではあるものの全身がアイテールナイフでもなければ傷つけられぬほどの硬度を持っていた。
さらにデミオイルウォータアーマーという擬似的に装甲表面の摩擦係数を落とす機構も搭載されているのだから弾丸のほとんどは当たらないか弾かれるか、直撃したところでダメージもほとんどないのがカーリーという機体の特性だ。そんな相手が集団に向かって突撃して乱戦を仕掛けてくる。しかも得物はアイテールナイフのみならずナノワイヤーまであるのだから、それはもう悪夢としか言いようがない。並みの兵士であれば、わずかな間にまとめてコマ切れにされてしまうような、マーシャルにしてみればウォーマシンよりも厄介で対峙した時点で生存確率はほとんどゼロだろうという兵器がカーリーだった。
しかし今カーリーと戦っているのはマーシャルではない。リンダ・バーナムだ。さらに言えば彼女の装備するヘルメスの翼はカーリーにとってはほとんど天敵と称しても過言ではない兵器なのだ。
『何!?』
戦いの結果をマーシャルが驚きの目で見ている。
対峙して数秒。その間にリンダの攻撃によってカーリーが文字通り細切れとなって崩れていくのが彼の瞳には映っていた。
そして渚がひとりで敵を請け負ってリンダたちを先に行かせたのも、室内であればこのリンダの特性が十分に発揮できることを想定していたのだろうともマーシャルは理解する。
ヘルメスの翼。それはトリー・バーナムという稀代の狩猟者を伝説にまで押し上げた兵装だ。特にこのような限定された空間の中ではその翼は絶大な性能を誇るのである。
『それがヘルメスの翼の真価ということか』
『今のは碁盤の目状にナノワイヤーを配置したモード・グリットですわ。まあ、何分細い糸なので強風などでは効果が落ちるのですが、ここは無風ですしヘルメスの翼が一番力を発揮できる環境ですわ』
『リンダ。新たに二体来ています』
クロの警告通り、奥から二体のカーリーが近づいてきているのがリンダとマーシャルにも確認ができた。しかし、数が増えようともすでに結果は見えている。
『行きますわよクロ』
『制御はお任せを。思うがままに飛んでくださいリンダ』
リンダが再び駆けてカーリーたちへと向かっていく。その結果はもはや言うまでもあるまい。
こうしてドーム内でリンダたちは探索を継続し、中庭では渚がウォーマシンとデキソコナイの群れと戦い続けていく。そんな中、ここまで戦いの舞台からは離れていたはずのグンマエンパイアの正規の入り口である正門前では、とある異変が起こっていた。
**********
『ヒィヤッハァアアアアアア!』
グンマエンパイア。それはデキソコナイにとっては母そのものと言ってもよい存在だ。彼らはこの施設によって生み出されるのだからそれも当然といえば当然ではあるのだろう。故に施設から響き渡る警報は母の悲鳴であり、内部への侵入者は母を傷つける悪そのものであった。
だからサイレンが耳に入ったデキソコナイたちはグンマエンパイアの前に集結していったが、集まったすべてのデキソコナイが入るには施設内は狭く、だから入り口前で立ち往生していた個体も多かったのだ。そして、その場所にけたたましい笑い声を放つ老婆が突如襲撃してきていた。
血飛沫が舞う。
それは車椅子に乗った老婆であったが、老婆が乗る車椅子は明らかに異常だった。何しろ車椅子の背部からは巨大なブースターが、左右にはスラスターが付いており、炎を噴き出しながら恐るべき速度で走り回って、車輪から飛び出した無数のスパイクでデキソコナイたちを屑肉にして散らしていくのだ。
元は肘掛けであった左右に設置された巨大な鉄の腕も二丁のガトリングガンを握りながら独立して弾丸を周囲にばら撒き、背もたれの上部からせり出たロケット砲は撃つたびに変異タイプの巨大デキソコナイを一撃で屠り、死体の山を築いていく。
『ヒャハッと、おうおう。あたしゃ人気者だねぇ。こんなに熱烈に歓迎してくれるたぁさ』
また、その車椅子の移動手段は車輪とブースターだけではなかった。
老婆はまるで石垣のように積み上がったデキソコナイの群れが近づいてくるのに気づくと、とっさに足元のフットサポートからワイヤーを射出して木々に突き刺し、一気にワイヤーを巻き上げてデキソコナイたちの頭上へと跳び上がった。
『じゃあ恵みの雨をくれてやろうか。鉄製だがねぇ』
さらに老婆の嬉しそうな声とともに宙を舞う車椅子の底がパカッと開き、Sマインよろしく大量のパチンコ玉サイズの鉄球が高速でばら撒かれて密集したデキソコナイの群れを蜂の巣にしていく。
『ひゃっひゃっひゃ、ぬるい。ぬるいよねぇ。自宅が襲われて焦ってるのかい? 見る限り脳みそはついてるみたいなのに馬鹿みたいにお手手を伸ばすことしかできないのかい?』
血の海と化したその場をワイヤーで跳び越えながら、老婆は両腕にそれぞれ抱えているマテリアルライフルで敵を撃ち抜いていく。それは防御力に特化した変異デキソコナイをも貫く威力を持ち、纏まった数のデキソコナイも貫通し一挙に崩されていった。
まったくもってそれは嵐の如く。その上に内蔵されたアイテール変換装置には絶えずプロペラントタンクからアイテールが供給され続けているのだから弾数は未だ尽きることを知らない。ここまでやられ尽くされては近接戦しかできないデキソコナイでは掠ることすらもできなかった。もっとも何かしらの中遠距離の攻撃手段を持っていたとしても、この老婆に当てられるかはまた別の話ではあるのだが。
『もしかして、今まででもあのババアひとりでどうにかなったんじゃねえか?』
『いやぁ、施設内はデキソコナイ以外の防衛システムがあるそうですから……どうですかねぇ?』
その様子を眺めていたのはハニュウシティにいるはずのアーガム局長とその部下や狩猟者たちだ。そして彼らが見ている老婆の名はトリー・バーナム。つまりはリンダの祖母であり、埼玉圏でも最強の一角に数えられるワンマンアーミーだ。
『にしてもだ。マジにルークたち、グンマエンパイアに侵入してるのかよ』
アーガムが呆れた顔でサイレンが鳴り響き続けている施設を睨みつけた。
渚たちのあずかり知らぬことではあったが、パトリオット教団内には以前よりコシガヤシーキャピタルのスパイが潜伏しており、そのスパイは今回のグンマエンパイアの襲撃を掴んですぐに埼玉圏に情報を流していたのだ。それは渚の件で協力関係にある地下都市にも共有されたことでトリー・バーナムにまで届き、こうして狩猟者たちを引き連れてのグンマエンパイア襲撃が行われることになったのであった。
『あんたらもボサッとしてんじゃないよ。孫が中で戦ってんのになんてザマだい。動かないならあたしの射撃練習の的にしちまうよ』
『ああ、クソ。了解だ。野郎ども、ここでデキソコナイを根絶するぞ。長年の戦いに決着をつけるんだ。棚ぼただがなぁ』
ヤケクソ気味にそう指示を出したアーガムに従って狩猟者たちもトリーと連携をとって戦闘を開始し始め、そしてそれは中で戦う渚へと向かうデキソコナイの増援を食い止めることにも繋がっていくのであった。
【解説】
チャリオット:
トリー・バーナム専用の武装車椅子。
以前に渚と対峙した時とは違い、今回はリミッターを外した状態となっている。とはいえ、これもまだ通常モードであり、武装を追加することで様々な状況に対応できるよう設計されている。