第275話 渚さんとユータラスドーム
『よいしょっと』
渚が音も立てずにスッと部屋の中へと入っていく。
声はドクロメットによって完全遮断され、足音などは光学迷彩効果と共に相殺されていた。そして渚の後ろをチームアルファ、チームブラボー、チームチャーリーのそれぞれのメンバーが続いていく。ここに来るまでのやり取りの中で渚の隠密性と箱庭の世界による把握能力は共有されているために、パトリオット教団側でも渚が先導することに反対する者はいなかった。
『で、ここから分かれて機械種のコアを探しにいくってんだな?』
『そうだ。バイザーにマップデータを映す。チームアルファはこの中央に存在するドーム状の建物に向かう予定だ』
チームブラボーとチームチャーリーに対しての目標地点もマップデータに光点とそれぞれのチームタグが表示されていた。
『それぞれの地点はプライオリティが特に高いエリアだ。当然警備も厳しいだろう』
『ナギサは地下都市も侵入できるほどの実力がありますし、大丈夫だと思いますわ』
『いや、リンダ。地下都市の大部分はあくまで民間施設であって、この基地内のセキュリティはミリタリークラスなんだ。比較するのは危険だし、油断はできないよ』
『そ、そうですの?』
ミケの指摘にリンダが難しい顔をする。地下都市育ちで地下都市に対して絶対的なイメージがあるリンダとしては地下都市以上の存在というものが理解し難いようだった。
『とはいえミケ。この様子ではセキュリティの方はずいぶんとゆるくなっているのではないでしょうか?』
『確かにクロの言う通りかもね。良くここまで汚したまま放置していると思うよ』
クロの指摘に肩をすくめながらミケが周囲を見渡す。確かに部屋の構造はここまで訪れたことのある施設と同じであった。けれどもその場は大いに散らかり、汚れが酷く、まるで汚部屋であった。
『こりゃデキソコナイの生活の跡か? ずいぶんと臭いもキツいみたいだけど』
アストロクロウズによって完全に密閉されている渚たちが直接臭いを感じることはないが、バイザーに表示された周囲の環境グラフから人体に影響が出そうなレベルで相当キツい臭いが漂っているのが把握できた。
『ここでヘルメットを脱いだら鼻がもげて死にそうだ』
『それをやったら鼻がもげるよりも早く黒雨に侵されて死ぬと思いますわよ』
『ああ、そりゃそうだ。この中、黒雨を防いでいないしな』
ここまで通ってきた道も完全に閉鎖されていたわけではなく、この建造物内はすでに黒雨に侵されていた。
『黒雨の影響を受けないデキソコナイには関係のないことだろうからな。それじゃあ行くぞ。機械種のコアを奪取し、全員でワシントンSDCまで持ち帰るんだ』
マーシャルがそう言って全員が頷くと、それぞれのチームがその場で分かれ、互いの目標地点へと向かい始めた。
なお、各チームは光学迷彩によって互いの姿は見えていないが通信によって互いの位置をバイザーで表示させている。特にチームアルファは渚の箱庭の世界によってほとんど完全な状態で互いの姿がバイザーに映し出されている。
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『しかし、デキソコナイってのはどこにいるんだ? 全く会わねえな』
移動中、渚がそんなことを口にする。最初の部屋はデキソコナイに使用されていた形跡があったわけだから、いないはずはないのだが……と渚が思っているとその答えをマーシャルが口にした。
『埼玉圏への襲撃後だから数が少ないんだろう』
『ああ、そういえばそうか』
ここに来る前にハニュウシティではデキソコナイの襲撃があったのだ。襲撃してきたデキソコナイのほとんどはあの場で葬られているのだから、数が減っているのは当然のことではあった。
『それとデキソコナイは室内より外を好むみたいだから、グンマエンパイア周囲にならそこそこの数はいるのだろう。む、窓の外を見ろ。あの先が目標の建物だ』
『アレか』
渚が視線を向けた先にはドーム状の建物が建っていた。
『アイテールの貯蔵庫が近い生産工場。あの中でデキソコナイが生産されていると推測されている。私たちが向かうのはあの地下になる』
『あら、ガードロイドが動いていますわね。あれってデキソコナイには襲われないんですの?』
よく見れば何体かのガードロイドがドーム状の建物を巡回しているのが見えた。
『デキソコナイは敵対行動を取られなければ人間に与した存在以外には攻撃性を持たない。ガードロイドに対してもそうなのだろう』
『人間に与した……ね。おっと、止まってくれ』
渚の言葉にリンダとマーシャルが立ち止まる。すでに箱庭の世界で渚の情報は共有されているために、どちらも渚の意図するところは理解出来ていた。
『デキソコナイが来るな』
『ああ、右に避けろ。変な動きをされても行動予測で避けられるとは思うけど気をつけてくれよ』
それから三人と一匹が右側の壁に寄ると、しばらくして五体のデキソコナイが通路の角から姿を現し渚たちの方へと近づいてきた。
『ナギサ?』
『問題ねえ。リンダ、ジッとしてろ』
渚の忠告にリンダの動きが止まる。クロの制御するマシンレッグは足音ひとつ立てない静音モードとなっているが、生身のリンダの上半身はそうはいかない。パトリオット教団の光学迷彩マントには静音効果も備わっているが慎重になるに越したことはないのだ。それからデキソコナイたちは何をするわけでもなく、渚たちに気づくこともなく、その場を通って渚たちが来た道の方へと進んでいった。
『行きましたわね』
『こっちには気付かなかったみたいだな。で、今の連中が来た方がプラントか』
『そうだ。あまり時間はかけたくない。このまま進むぞ』
『了解。あーいや、ちょっと待ってくれ』
渚が再びマーシャルの歩みを遮った。その様子にマーシャルが怪訝な顔をしているが渚の視線は窓の外の、とある一点に向けられていた。
『ミケ、あれ……もしかして、そうなんじゃないか?』
『あれ? なるほど。この距離でよく気づいたね。ガードロイドに偽装しているのか。これは面倒かもしれないね』
『なんの話だ?』
マーシャルとリンダが首を傾げるが、渚の視線は動かず、警戒心をあらわにしながら口を開く。
『ミリタリークラスの施設。当然警備員も軍仕様ってわけだ』
そう言いながら渚がドーム状の建物の周囲を巡回しているガードロイドを指差した。
『形状を偽装してるが、アレはヤバイ』
『ガードロイドでは……ないのか?』
『ああ、そうだ。あいつは対都市侵入を目的とした、偽装能力を持つ歩兵の天敵』
かつてはその一部であった右腕を左手で握りながら渚が口を開く。
『アレは『ウォーマシン』だ』
直後、ここではないどこかで爆発音が響いた。
【解説】
生産工場:
アイテール変換装置と各種製造ラインがひとつにまとめられた施設の呼称。
宇宙には軍事基地すらも製造する大規模生産工場が無数に存在し、関西圏では長きに渡り生産工場の奪い合いが行われていて、埼玉圏では地下都市内に生産工場があって地下都市の市民や地上の人間に恩恵をもたらしている。またコシガヤシーキャピタルが現在の立場を維持できているのもアースシップ内に独自の生産工場を保有しているからであった。
生産工場の存在は、現在の地球上で生きる人類にとってはまさしく生命線であると言える存在なのだ。




