第268話 渚さんとアメリカ大統領
「思ったよりもホワイトハウスだな」
「そうか。お前は知っているのだったな」
渚が次のエリアに入って、その中心にたどり着くと、そこには彼女の記憶の中にあるアメリカ合衆国の大統領がいるというホワイトハウスが建っていた。敷地の面積こそ狭いが、建造物の形は確かに彼女の知る建造物そのものだ。もっとも周囲を警護しているのは人型と犬型のガードマシン、それにマーシャルと似た装備の警備兵たちだ。
それから渚たちが中へと通され、外交官応接室へと案内される。
「なんか凄えな」
「そうですわねぇ」
どこか映画かドラマで見たような光景に渚が物珍しげな顔で部屋の中を見回し、リンダもVRシアターでもなければ見たこともないような光景を物珍しげに観察していた。
それからしばらくすると外に出ていたマーシャルが再び部屋に入ってきて口を開いた。
「これから大統領執務室へと向かうことになる」
「おう、こっちはいつでもいいぜ」
「それは結構。ただ、大統領はナギサと一対一で話がしたいと言っている」
「そいつはどういうことだ?」
その言葉にルークが訝しげな顔をしてマーシャルを睨みつけた。
ルークも渚とパトリオット教団の因縁は把握しているし、この場で渚をひとりで向かわせることに抵抗を覚えないわけがなかった。しかし、マーシャルは少しだけ目を細めて渚を見た後に「少なくとも」と口にした。
「彼女に危害を加える意図はない。大統領の要望だ。あの人は彼女にシンパシーを感じているようだからな」
「シンパシー?」
「これは大統領の個人的な望みだ。もちろん、断ることもできる。その場合でもお前たちがここに来た件に関して何も聞かずに無碍に追い返すつもりはない」
その返答は渚たちの想定とはいささか離れたものであった。
『マーシャル・ロウ。君たちは随分と渚に配慮をしているようだね』
「何かしらの齟齬があるようだな。彼女の行動を我々が妨げることはない」
「嘘つくなよ。あたしはあんたらの仲間に一度攻撃されてるんだぜ?」
「……攻撃?」
そう返したマーシャルの表情は明らかに困惑したものだった。
それからわずかな沈黙の後にマーシャルが「すまない」と返す。
「それについてはこちらも把握していない……が、可能性としてゼロとは言えない。それは後で確認を取らせてもらいたいのだが」
その言葉に渚がミケを見た。
『判断は任せるよ渚。ただ今はひとまず言われた通りにしたほうが話は早い気がする』
「んー、分かった。ただしマーシャル、ミケは連れてくからな。こいつはあたしのナビゲーションAIだ」
「いいだろう。もとよりお前たちはセットの存在だ。それを拒むつもりはない。それでは案内を呼ぼう」
マーシャルがそう言うと、手を叩いて外にいた女中を部屋へと入れた。
「あんたはいかないのか?」
「私の役割はあくまでここまでの案内だ。お前たちと相対して確実に対処できる者が私しかいなかったからな」
実際に渚たちを対処できるか否かはともあれ、それが可能なのはパトリオット教団内でもマーシャルぐらいのようだ……ということであった。それから渚とミケがリンダたちと別れて、大統領執務室へと案内される。そして、そこには一人の男が立っており、それは渚も知っている人間であった。
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「えっと……ジョージ・ワシントン?」
渚が思わず呟く。そこにいた人物を見て、そうとしか言えなかったのだ。
渚もその人物を詳しく知っているわけではない。けれども現在の強化された渚の認知力が脳内の記憶を検索した結果、そこにいる男がアメリカの紙幣に描かれたアメリカ合衆国初代大統領の肖像画にそっくりであるという結論を出していた。それはただ顔立ちが似ていると言うだけではない。髪型も服装も全く同じで、時代を考えなければ本人であるようにしか見えなかった。
「ようこそナギサ、それにミケ。私はジョージ・ワシントン。この国の大統領だ」
「あんたが大統領? だ、だから昔の大統領のコスプレをしてるってことか?」
戸惑いながら口にした渚の問いにジョージが苦笑する。
「この格好はコスプレではないよ。いや……意味としては正しいかもしれないが、もっと大掛かりなものと捉えてほしいかな」
『それはつまりただのそっくりさんということではないということかな?』
「ふふ、まあそうだ。さすがにナビゲーションAIは賢いな。なぜ分離しているのか私にはよく分からないが」
『その件については後で説明をするかもしれない。ただ僕らも今の自分たちの立ち位置が分からなくてね。君たちの説明を聞いた上で判断はしたいと思うけれども』
そう返したミケにジョージは満足そうに頷いた。
「それで結構だ。『君たちの全てを尊重する』。私は竜卵計画がそうすることで完成すると聞いている。とはいえ今は私の話か」
ジョージが胸に自分の手を当てて、渚とミケを見た。
「私はデザインヒューマンだ。過去の人物像を再現することを目的として作られた再生体。つまりはジョージ・ワシントンを再現した人間ということだね」
「デザイン? 過去の人間の再現?」
渚が首を傾げた。
「ああ、再生体とは過去の人物の情報を元にアイテール変換装置で生み出された者のことだ。その流れ自体は私も変わらないが、過去の人物の情報という点で他とは違う。本来、出力に必要な人物情報は肉体と魂、記憶の情報に至るまでを正確にスキャンしたものだ。けれども、ジョージ・ワシントンのそのレベルの精度の人物情報など存在しない。何しろオリジナルは映像技術が未発達だった時代の頃の人物だからね」
「そりゃあ、そうだろうな」
何しろ記録に残っている最古の写真でさえジョージ・ワシントンの死後のものだ。ジョージ・ワシントンの個人情報など文字の記録と肖像画などでしか存在していない。
「当時の情報を元にAIと識者たちが共同でデザインして作り上げたと聞いている。その魂に至るまで完璧に……という話だが、証明はできないのだからそれは眉唾だな」
「魂って……」
『渚。魂の存在は証明されているし、コピーができるのも君は知っているだろう。それはすでに解析を終えているということだ。そして、すでに解析されているのであれば新規で作ることも理論的には可能で、実際にソレが行われて作られたのがデザインヒューマンだよ。もちろん彼の言う通りに本物のジョージ・ワシントンの魂との比較はできないから本当にオリジナルと同じなのかは分からないけどね』
ミケのその言葉にジョージも頷く。
「まあ、私はあくまで象徴的なもので本物と同じである必要はないよ。ふむ、ナギサ。何か難しい顔をしているね」
「…………」
『どうしたんだい渚?』
その問いに渚がひどく困惑した顔でミケを見た。
「なあミケ。このジョージさんが過去の人間を再現された再生体だってのは分かったんだけどさ」
そう言って渚がまるで自分に問いかけるように口を開いた。
「私の時代って……そりゃあ映像は残ってるし、遺伝子情報なんてのも調べられるようにはなっていたし……ジョージさんの頃よりも発展していたのは分かるけど」
本来、出力に必要な人物情報は肉体と魂、記憶の情報に至るまでを正確にスキャンしたものだ。
先ほどのジョージの言葉が渚の脳裏をちらつく。気付くべきではないと何かが声をあげ、それでも湧き出た疑問は口から這い出ようと渚の中で暴れていた。
肉体情報。これはまったく不可能な話だとは思わなかった。遺伝子研究も進み、DNAの解析も進んでいた。もちろん渚にその手の詳しいことは分からないし、現実的なハードルの高さからして実際には無理なことではあったのだが、知識のない渚にとってはないとは言えなかった。
記憶情報。脳内の情報を抜き取り保管する。その時点で渚の中では無理だという結論が出ていた。さらに魂となってはもうサッパリだ。何しろミケたちの話を聞いた限りでは渚の生きていた時代より数千年後に解析されたものなのだ。
もちろん、渚は自分のオリジナルが生きていた時代にそれらの情報を習得する手段があるとは思えなかった。いや、もしかしたらあるのかもしれないが……より現実的な手段が目の前に出てしまっては、生まれた疑問に目を背けることなどできるはずもない。
「だったら、あたしの時代は……あたしはどうなんだよ? 姉貴は……いや」
自分の中の根本となるものが足元から崩れていく音がした。
「あたしは本当に由比浜渚なのか?」
【解説】
ワシントンSDC:
SDCは第二コロンビア特別区の略である。
アカギマウンテンの地下に存在しているパトリオット教団の本拠地。
かつての強いアメリカを復活させようと日々黒雨の除去と、かつての人間の暮らしの再現を目的とした研究を進めている。
ホワイトハウスこそかつての建造物を模しているが、地下空間内でのアメリカの再現などできるはずもなく、それぞれの名称のほとんどは役割に応じてただ当て込んだものに過ぎない。
なお、彼らが信奉する大国としてのアメリカ合衆国は西暦2100年代に一度解体されており、月界人の地球再開発計画が始まった西暦5000年前後に再び国家として復活したが、こちらも後の終末の獣の騒動によって壊滅している。




