第267話 渚さんとワシントンSDC
『私はパトリオット教団の陸軍大将マーシャル・ロウ。竜卵の苗床、お前をホワイトハウスに案内するようにと大統領より命を受けてこの場に来た』
その言葉に渚を含めた全員が訝しげな視線を男に向ける。
男の纏う光学迷彩機能が付いている外套の内側には強化装甲機を縮小し身体のサイズに合わせたようなアーマーが見えており、持っている銃は渚たちの所持するものと同じ標準型ライフル銃のCAT-035Rだった。
そしてマーシャル・ロウを名乗る男の纏う空気は明らかに強者のものだ。それは渚が知っている中ではマーカスとウルミに近い。或いはマーシャルが本気になればヘラクレス、トリー、ザルゴにも届くのではないか……という予感すらも渚は感じていた。
仮に戦闘になればマーシャルだけではなく待機している教団員たちとも戦わなければならないし、今の渚たちの戦力であっても状況がどのように転ぶのか分からない。また渚にとってパトリオット教団とは非常に複雑な因縁を持つ組織だ。いかに助けを求めてきたとはいえ、警戒せぬという選択肢はなかった。
『お前を……ね。アンタさ。随分と馴れ馴れしいがあたしの友人か?』
『そういうつもりはないが……な』
若干面食らった男の反応に腹芸のできないタイプかと思いながらも渚が続けて口を開く。
『あたしをアンタらの所有物なんて考えてるならぶっ飛ばすぞ』
『それこそない話だ。お前は自由の身の上だ。お前を縛るものなど何もないのだからな』
その返しを聞いたミケが『ふぅん』と口にしながらヒゲを揺らす。
『自由の身の上ね。それは興味深い話だけど、ともあれ渚……ひとまずはここで立ち往生するよりは彼に従った方が良いんじゃないかな』
『分かってるよミケ。こっちとしても案内してくれんなら万々歳だ。けど、あの機械獣を越えてこいつらの本拠地のホワイトハウスとやらまで行くには厳しくないか?』
そう言った渚の視線の先の意味に気づいたマーシャルが眉をひそめる。
『我らが本拠を……コシガヤシーキャピタルから教えられたのか?』
『おや、どうしてそんな答えに行き着いたのかな?』
『コシガヤシーキャピタルは我らが拠点に間諜を送り込んでいる。それが誰かまでは尻尾を掴めていないが、ヤツらのリーダーであるウィンド・コールは狡猾な女だ。我らを揺さぶりにきたとも考えたのだが』
『うーん、あの人が狡猾ねえ』
渚が思い浮かべたのは満面の笑顔でスイカを頬張っているチンチクリンの姿だった。
『アレの見た目は擬態のようなものだ。甘く見れば痛い目を見るし、引きこもるだけの地下都市と違って動きが早い分非常に厄介な相手だ。お前も気をつけるべきだろう』
その言葉はどこか渚を心配しているようであった。
そしてウィンドに対してのマーシャルの懸念については渚も理解はできている。ウィンド・コールは己が手の及ぶ限り最大限の努力を惜しまないが、こと決断においての甘さはない。命の選別をすべき時にはするし、身内を助けるためならば、そうではないものを切り捨てる冷徹さも持っている。
そしてパトリオット教団はウィンドにとって身内ではないのだ。場合によっては排除対象、関西圏の侵略を考えていたようにこの場を奪う可能性も考えている可能性は否定できない。
『まあ、それはいい。機械獣を心配する必要はない。我らが本拠ワシントンSDCまでは地下通路を通って移動が可能だ。それで我らが案内を受け入れるか竜の苗床?』
『案内してくれるってんならこっちとしては断る理由はないさ。そのためにきたんだしな。ただ竜の苗床っていうのは止めろ。あたしは渚だ』
『承知した。それではナギサ、お前たちをホワイトハウスのあるワシントンSDCへと案内しよう』
そしてマーシャルが渚たちに背を向けて歩き出し、渚たちもマーシャルに続いて進み始める。それから少し進んだ先には地面からせり上がった出入り口があり、渚たちはそこから降りて地下通路へと入っていった。
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『あー、ここって軍事基地と全くおんなじ構造してんだな』
そして渚が地下通路を進みながらそう口にする。
この地下通路は渚が目覚めた軍事基地のものと酷似していたのだ。
『まあ、この手の施設は基本的に統一の規格で作られているからね。宇宙のプラントで建造して地上に降下させているんだよ』
『宇宙で作って地上に落とすのか。それって手間じゃないのか?』
『地球産の素材なら輸送コストを考えればそうかもしれないけどね。ただこれらの建造に使われる素材は他の惑星から持ってきているんだ。だからコストを考えれば宇宙で組み立てたほうが安くつく。細かい作業は地上で行うけどね』
『そういうもんか』
そんなことを話しながら渚たちが進んでいくと、その先に地下基地と同じような瘴気のシャワーを浴びる部屋が用意されていた。そこで渚たちは黒雨除去の洗浄をされ、次に広々とした土のあるエリアへと案内される。
「ここからはヘルメットをとっても大丈夫だ」
すでに自分の素顔を晒したマーシャルの言葉に従って渚たちがヘルメットを取ると、渚の姿を見たマーシャルが目を丸くする。
「それは……ずいぶんと身体を弄ったものだな。平和な世界の記憶を持っているのだからそういうことはあまりしないと思っていたんだが」
マーシャルの言葉の通りに、今の渚は緑色の瞳と髪、それに猫耳と尻尾(尻尾は渚と直接繋がってはいないが)が付いた姿をしている。それはもはや肉体改造の域にあり、自然な人間のものではない。
「事情があんだよ、事情が。ていうかあたしのことを調べてたんならこうなった理由ぐらいは知らねえのかよ?」
『いや渚、コシガヤシーキャピタルや地下都市が僕たちの情報を外に漏らさない限りは彼らがこちらのことを詳細に知るのは無理だと思うよ。それに漏れていたのだとしたら彼らが真に興味を惹かれたのは僕の方だろうしね』
その言葉にマーシャルが首を傾げた。マーシャルには渚の現在の姿の意味もミケの言葉の意味も理解するだけの情報を持っていない。
「ふむ、ナビゲーションAIも奇妙なことになっているようだな。いや……それは私が考えることではないか」
「質問があるんなら受け付けるぜ。答えるかどうかは別だけど」
「そうか。では、それは後でお願いしよう」
「あっそ。別にいいけど。それにしてもここで作物を作ってたんだな」
渚が周囲を見渡しながらそう口にする。渚たちが入ってきたエリアは、コシガヤシーキャピタルの湖底ドームに近い環境になっており、見渡す限り目の前には麦畑、遠くを見ればトウモロコシやその他の野菜などの畑も確認できる。
「ここでは農作物の生産を行っていて、別のエリアでは畜産も行なわれている。良き時代のアメリカを参考にしているが、自給自足で精一杯というところだ」
「アメリカを参考にって……アメリカの農場っていうと地平線まで続く馬鹿でけえモンってイメージがあるんだけどな」
「国土の狭さは如何ともしがたいが、一応外の宮城圏内で大規模農場の実験を進めてはいる」
「それ、機械獣に襲われないか?」
「農業用ロボットであるファーマノイドを使っている。それと機械獣には作物の一部を渡しているから襲われることはないな」
「作物を渡すと襲われない? それはどういう理屈だ」
後ろで聞いていたダンが眉をひそめて質問をすると、マーシャルが「機械獣の性質だ」と返した。
「連中は一定のエリア内では決まった数しか増殖しないし、決まった量以上の狩りはしない」
「それは本当なのか?」
「確かだ。大体アレが普通の生物のように食いたいだけ食い、増やせるだけ増やすのであれば、地上は今頃食い尽くされているはずだろう。生態系に影響を及ぼさぬ範囲で、ヤツらはヤツらなりのルールに従って動いているのさ」
マーシャルの返答にダンが唸りながらも「なるほどな」と頷いた。
渚は、地下基地で見た映像内で『生態系に過度な影響を及ぼさぬように計画的なアイテール供給を行うアルゴリズムが与えられている』という説明があったことを思い出す。
だとすれば、何もない埼玉圏だから機械獣は人を襲うのだろうかと渚は思ったが、埼玉圏外でも機械獣は人間を襲うのだ。であれば何か別の条件もあるのかと渚が考えていると農業エリアの出口が見えた。マーシャルの話ではホワイトハウスはその先にあるとのことだった。
【解説】
ファーマノイド:
農業を担当するサポート型ロボット。
パトリオット教団は黒雨を克服した後のため、宮城圏でワンアイラブ麦という麦を実験的に大規模栽生産している。ただし収穫した麦は黒雨に汚染されているため食料には使えず、ファーマノイドに使用する燃料の原料か機械獣の餌となっている。
なお、ファーマノイドはコシガヤシーキャピタルの埼玉海で栽培されている食用藻の生産でも活躍している。