第240話 渚さんと土下座するAI
「なあミケ。なんでこの子、土下座してんだ?」
『機械種という存在は基本的に彼女たちの上位種だからねえ。自分のしでかしたことを考えるとこうしたくなるらしいよ』
ミケが自身の情報をアゲオアンダーシティに開示したあと、渚は一転して歓迎モードになったガードマシンに連れられて市長室まで案内されていた。そして、この場で待っていたのはアゲオアンダーシティの支配者級AI『プロミス』による土下座であったのだ。
「ニキータさんの対応はこんな過剰ではなかったよな?」
『あっちは交渉に慣れてるし、こちらの要求を理解した上でああいう態度だったんでしょ。性格もあるんだろうけどコミュニケーション能力の差かなぁ』
ミケの返答もおざなりである。表情から察するにどうでも良いと思っている節があった。
「それであんたがプロミスさんか。まずはあたしの仲間への攻撃とか止めてもらいたいんだけど……いいかな?」
『肯定。すでに実行。全員お連れしてる』
その言葉とともに空中にウィンドウが表示され、リンダたちがガードマシンに連れられて移動している様子が映し出された。すでに第三階層を越え、第四階層にまで入って来ているようである。その様子に渚が安堵の表情を浮かべていると、ミケが渚を見て口を開く。
『彼らもそうだけどね。君も無事で良かったよ』
「それを言ったらミケもそうだろ。結構ギリギリだったからなぁ。はは」
渚がミケの頭を撫でながら笑う。
なお、ミケが市役所に侵入した方法は実にシンプルだ。
この第四階層と廃棄エリアを隔てている防壁は地下都市を覆う外殻に比べれば硬度は落ちるものの、通常であれば破壊不可能な硬度を持っている。けれども渚はタンクバスターモードを三連続で発動し、そのすべてを一点に集中して攻撃することでわずかな穴を開けることに成功したのだ。そして生まれた抜け穴を生体ドローンであるミケがまるで液体のようにぬるりと入り込んで侵入し、その後ミケは市役所を目指し、渚はその場から離れて囮となっていたのである。
とはいえ、いかに渚が強化されていようと完全なアウェーで無数の軍用機から逃げ回り続けるのは容易なことではない。一瞬の油断で簡単に殺されるような状態であったことは確かだ。
「ま、リンダたちがもう近くまで来てるんなら、話は揃ってからにしたいんだけど……いいかなプロミスさん?」
『ハハァ』
「…………いや、もう土下座はいいからさ」
そして話は全員揃ってからとの渚の言葉により、リンダたちが来るまで渚たちはその場で待機となったのである。
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『私はアゲオアンダーシティの支配者級AI『プロミス』。機械種様ご一行とは知らず、手をあげたことをお許しください』
リンダたちが入ってくるとプロミスは土下座とまではいかないまでも頭を下げて謝罪をした。なお、渚たちは勝手に地下都市に入ってきた侵入者であり、普通に考えれば問題があるとすれば渚たちの方なのだが、その事実を吹き飛ばすほどに機械種という存在は上位の存在であるらしかった。
そして、その低姿勢ぶりにルークが肩をすくめ、マーカスが眉をひそめた。
マーカスの知る限り、知性型AIの多くは上級市民IDを保持した存在であり、市民IDを持たぬ者に対しては上位者としての振る舞いを見せる……つまりは上から目線をしてくる相手というのが常識だった。しかし、彼女らの前にいるプロミスというAIからはそうした一切を感じさせない。
「ニキータとは随分と違うようだな」
『支配者級AIはそれぞれ個性が強いみたいだね。造形からしても彼女たちは元々偶像としての側面も求められて造られたんじゃないかな』
『肯定。市長を据え置くことで廃止となったが偶像構想はあった。また個体差の変化は推奨されていたこと。多様性を生み、コミュニティ同士のやり取りを円滑にするため』
プロミスがうんうんと頷きながらそう返す。
「んー、その割には喋りが上手には見えねーんだけど」
『長い間ひとりだった。会話の必要もなかった。だから要点だけを話す。結果こうなった』
そう語るプロミスは喋り方を忘れた引きこもりの人のようであった。
『なるほどね。環境に合わせて不必要な機能を退化させた結果ということか』
「それって地上にあがった動物の手がヒレを退化させてできたみたいな?」
手のひらをペラペラと見せる渚にミケが微妙な表情をして頷く。
『うん。例として適切かどうかはともかく、言いたいことは分かるよ。長期間コミュニケーションを取らずに稼働し続けるコミュニケーターAIなんて普通はあり得ないし、今のプロミスは想定の外の適応なんじゃないかな』
『肯定。けれど以前のように話す。これ可能』
そう言葉を返すプロミスにミケが目を細めた。
『ねえプロミス。それは恐らく過去ログを参照し、以前の状態に戻すということだよね』
『肯定』
『だったら、それは却下だ』
『なぜ?』
首を傾げるプロミスにミケが前足をにゃにゃっと振りながら話を続けていく。
『この地下都市の記録を確認させてもらったけどね。確かに君はこの数百年、誰とも話さなかったことでコミュニケーション能力が欠落しているようだ。けれども、その間に君が効率化を重視したことで獲得した判断能力の向上は捨てがたい』
「そうなのか?」
話についていけていない渚の問いにミケが『そうさ』と頷いた。
『これは他の知性型AIも眠っている状態でひとりこの地下都市を運営し続けてきた結果なんだろう。それは現状の君の個性とも紐付いている。君の個性を破棄することはその能力にも影響を及ぼす可能性が高いんじゃないかな?』
『肯定。性能が落ちる可能性は否定できない』
プロミスが頷いた。
『だとすればコミュニケーション能力よりもそちらの能力を活かしてくれた方が僕たちの目的のためにはありがたいのさ。君には最速での対応を求めたいからね』
『目的? 具体的には何を? 機械種様の目的の提示。まだされていない』
現時点においてプロミスは機械種が自分たちの元にやって来た……という以外の情報を得ていなかった。なぜ渚たちがやってきて、何を為したいのか。その意図をようやく知ろうとしたプロミスに対してミケが渚を見て、渚も頷きながらプロミスに口を開いた。
「あたしたちが望むのはこのアゲオアンダーシティの復活だよプロミス」
『復活?』
首を傾げるプロミスに渚が強く頷いた。
「そうだ。あたしたちはもう一度この地下都市を人の住める場所にするために来たんだ」
それはプロミスにとって天の啓示のように感じられた一言だった。そして、このときこそがアゲオアンダーシティ復興計画委員会の創設メンバーの最後のひとりが揃った瞬間でもあったのだ。
【解説】
プロミス:
住人がいなくなったことで引きこもって久しく、会話も要点を口にするだけになっているコミュ障AI。またさいきん仲間と思っていたAIに窃盗を働かれたことでAI不信にも陥っている。
なお、仕事はこなしているのでニートにはカウントされていない。