第239話 AIさんと相当狭い場所も通れる液体猫
『何が起きている?』
その声がしたのはアゲオアンダーシティ第四階層にある市役所内の市長室からだった。もう人間が数百年と訪れていないその部屋の中ではひとりの少女の幻影が立っていた。
そして彼女の口から漏れた言葉は自問自答。誰かの返事を期待したものではない。何しろ彼女以外の知性保有型AIが眠りについてから久しいし、判断AIは現状を危険度D判定の襲撃を受けていると判断していた。話にならない。
『何が起きている?』
もう一度彼女は己に問うた。
現在、第二階層から第三階層に入るためのゲートで戦闘が発生している。
今より二時間前にアイテール回収型ドローン一体と市民ID未所持の人間四人がこのアゲオアンダーシティに侵入し、第一階層及び第二階層を通過したのだ。
対する地下都市の方針は従来通りの監視であり、迎撃は巡回用のガードマシンに一任し、念のため禁止区画内部の防衛強化を優先するに留めていた。
そして侵入者たちは巡回の警告を無視し、強制退去を拒絶し、さらには第三階層へ通じる門を襲撃し始めたのである。
『問題なのはその襲撃の意図』
各種監視用のセンサーによって取得したデータと相手の実際の戦闘評価が一致しない。いきなりアイテール回収型ドローンが特攻してきたこともそうだが人間ひとりが戦闘にほとんど加わっていないし、その他の者たちも想定よりも推定評価と乖離がある。
とはいえ、それでもミリタリークラス以下のガードマシンでは歯が立たぬほどの性能であり、現状は禁止区画内を巡回していたミリタリークラスのガードマシンも導入し続けて交戦状態を継続していた。
『む?』
そして今、戦闘評価の差異から襲撃者の目的の予測が彼女の中で完了した。
89.78パーセントの確率で彼らは『この場で戦闘を継続すること』を目的として行動していると少女は推測する。さらには内1名は当初侵入した者とは別個体であるだろうと。
『つまりは陽動……かも?』
導き出された情報は彼女の疑問を肯定する。
であれば、その場から消えたひとりは何をしているのか?
少女はすぐにアゲオアンダーシティ内の監視データを洗い直すが『存在が確認できない』。つまりは現状で彼女は襲撃者のひとりを見落とし続けている可能性があった。
『……やられた』
問題なのは第三階層へ通じる門を攻撃している襲撃者たちだ。少女の導き出した推定戦闘評価では実戦闘評価を覆すことはできない。導入できる戦力を増やすことは許されないのだ。で、あるにもかかわらず倒されたミリタリークラスのガードマシンの補充はせねばならない。一エリアへの定数以上のガードマシンの導入の禁止、それはアンダーシティに与えられた枷であった。
この迂遠な対応はかつての設計者たちがアンダーシティを信用していなかったためのものだ。彼らは地下都市が反乱を起こす可能性に恐れを抱いていたのである。また今がそうであるように、その方式では都市を守れぬ可能性もあったが、そうなれば襲撃者ごと都市を破壊すれば良い……という判断もそこには含まれていた。
このルールを定めた者たちにとっては地下都市の価値などその程度でしかなかったということだろう。だから彼女は門の前に戦力を導入し続けなければならなかった。
「けれど、これはこちらを知っている者の行動」
現在行われているのは地下都市防衛の死角を突いた攻撃だ。故に彼女はこれが他の地下都市、恐らくはクキアンダーシティの支配者級AIであるニキータの手引きによるものだろうと予測を立てたが、現状ではその結論は意味のないものだ。どうあれ門は守り続けねば破壊されてしまうし、彼女はそれを許容することはできないのだから。
また問題は消えた一名だが、以前の侵入ルートは元々最重要の監視を行なっていたし、そちらに侵入者の反応はなかった。
であればと少女は襲撃者のここまでのルートを辿り、主に監視の緩い場所を予測し、そこから別の侵入ルートを検索していく。形跡は一切残ってはいないが、予測だけは立てられる。そして可能性が高いのは崩壊した廃棄エリアからの侵入、住人がすでにおらぬためにアイテールを使用した復旧の許可が降りず修理の目処も立たなかったために放棄されたエリアだ。
『こういうことがある。だから事前にもっと予算を組んでおくべき』
少女が苦々しい顔をする。中間管理職の悲しさか、彼女は都市運営を任せられてはいるが、それだけの存在であった。
『住人がいないから予算は大幅削減。なのに以前のように稼動できる状態にしておけと。無理に決まってる。維持費だけで年間予算のほとんどを食いつぶすのに』
恨み節が口から漏れる。この数百年、否……地下都市を運営してからというもの彼女の負担は日々増え続けている。効率化という名の作業の圧縮は彼女を楽にするばかりかさらなる仕事を押し付けられる結果となっていた。何ひとつかえりみられず、増えた仕事は効率化で対応しろとの指示に彼女のストレスは日々増大しているのである。
『仕方ない。当たりをつけて対応する。まずは廃棄エリアのスキャンを』
そして、いなくなった一人を探そうとした瞬間だった。ズドーンという轟音が聞こえたのは。
『何?』
音が発生した場所は彼女がいる市役所からも見える廃棄エリアの壁であった。分厚い複層型強化プラスチックの壁は本来の地下都市の外壁には劣るが非常に強固なものだ。それが今、何かの攻撃を受けていると少女は把握する。
『残りの襲撃者?』
すぐさま監視カメラが動き、壁の外側を映すとそこには巨大な腕で中指を立てながら壁を殴っている少女の姿が見えた。そして、それは間違いなく消えた少女であった。
『大きな猫の手? 駄目。壁が壊される』
少女はすぐさまミリタリークラスのガードマシンを集合させるよう指示を飛ばす。
轟音はさらに二度ほど鳴り、小さな穴が空いたところでガードマシンたちが攻撃を開始した。少女はそれを察知してその場から逃走を開始したが、それ以上の攻撃を許すつもりも逃がすつもりも彼女にはない。すぐさま穴を応急処置の速乾性の硬化ジェルで固めるようガードマシンに指示し、同時に禁止区画に入った侵入者の追撃も行わせていく。
『第二階層の襲撃はこれの陽動。けれども阻止した。後は追い詰めて処理する。これですべて終わり』
『まあ、そうなる前にこれでチェックメイトなんだけどね』
『猫?』
市長室の中のフィールドホロで顕現している彼女、アゲオアンダーシティの支配者級AI『プロミス』の前にはいつの間にか三毛猫がいた。
そしてその猫は「にゃー」と鳴いて肩をすくめると自分の尻尾を彼女の本体に通じているプラグに突き刺したのである。
【解説】
タンクバスターモード・ファックスユーチャージ:
渚は中指を立てるジェスチャーをファックスユーと誤って覚えていた。誰も意味を説明しなかったし、口にすると「そういうことは言うもんじゃありません」と怒られるだけで訂正もされなかった。ミケも教えてくれなかった。FAXの意味も知らない渚はそういうものだとしか覚えていなかったので、この技はそういう名前になった。