第238話 渚さんと隠れんぼ
『ここまでは順調だな』
『うん。正直言って拍子抜けしているくらいだよ』
アゲオアンダーシティの3Dマップを視覚に投影しながら渚とミケがそう言い合う。その3Dマップは上の階層で渚たちが確認していた時に比べて、より詳細なものに変わりつつあった。それはここまでの渚たちの移動時に得た情報により現在のアゲオアンダーシティの形へと自動修正されていった結果である。
『とはいえ、アンダーシティもすでにこの区画は捨てているみたいだからね。禁止区画だから狩猟者は立ち入ってはいないけど、セキュリティが甘いのも仕方がないか』
ミケがそう言ってポンポンと瓦礫を飛び越え、渚がそれに続いていく。
(それにしても寂しいところだよな)
そんなことを思いながら渚が周囲を見回す。
この場は地殻変動によって稼働不能となった第三階層で、かつてアンダーシティの要の製造区であった。周囲には何かしらの機械が埃を被った形で並び立ち、大型アイテール変換装置なども無数に転がっていた。
500年ほど前まではこの場では地下都市の運営のために様々なものが作られていたのだろうが、今となってはこの場の空虚さを告げるオブジェでしかない。その中を渚たちは通り過ぎていく。
『転がってるのってアイテール変換装置だよな? こんなのも修理できるのかな?』
『そうだね。ちゃんと解析したわけではないけど不可能ではないはずだよ。アイテール変換装置は自己修復機能もあるはずだし、アイテールの供給さえあれば修復どころか同じ本体すらも生み出せる』
『だったらなんで直さずに置きっぱにしてんだよ?』
『ここは廃棄された区画だからじゃないかな。使う相手がいないんじゃあ直しても意味はない。それどころか修理して稼働可能の状態にしたら誰かが盗みに来るかもしれないんだから』
何しろ狩猟者たちがダンジョンと称して遺失技術狙いで入り込んできているのだ。稼働可能な大型アイテール変換装置などがあると知られれば、危険を冒してでも忍び込む者は後を絶たないだろう。
『盗みにねえ。バカでかいし持ち運べねえんじゃないの?』
『強化装甲機だってあるし、不可能ではないさ。まあ、分解して運んでもいいわけだしね。おっと、渚。正面だ』
『ああ、こっちでも感知してる。横から通り過ぎようぜ』
『了解』
ふたりの進行方向にいたのは二体のガードドッグだ。
もっともガードドッグたちは渚とミケがいることに気付いていない。
渚もミケも光学迷彩や遮音機能、その他各種センサーを誤魔化す機能を有している。力場を発生させることで重さをゼロにして圧力センサーの感知を回避し、移動時の風の流れすらも相殺している。ふたりの隠密性能はミリタリークラスでも上位に位置し、所詮は地下都市クラスで扱われているガードドック程度では看破出来るものではなかった。
そして渚とミケはまったく音も立てずにガードドッグたちが歩く通路の横に設置された補強用フレームの上へと飛び乗って、そのまま真横を通り過ぎていった。
『しかし、本当にここらへんは警備が薄めだな。あるのは監視カメラと動体センサーの類ぐらいか』
『他にもいくつかあるけど、普通に誤魔化せるレベルだね。ただ、問題はこの先じゃないかな』
ミケがそう口にする。何しろ渚たちがいるのは廃棄エリアだ。本来はもう必要とされてはいない場所で地下都市内で守る重要性は低い。
『そうかもな。まあ第三から第四までショートカットできるのはこっちとしては助かるけど。ただ順調過ぎて何か見落としねえのか心配になる』
3Dマップの修正は徐々に進んでおり、現時点でもこの廃棄エリアは第四階層にまで続いているだろうという予測が出ていた。合わせてチップがルート計算をし、渚とミケは総合的に安全と判断されたルートを辿って移動しているので、今のところ問題は発生していない。
『僕もそう感じるけど、結局のところは中間をどう通ったとしても出入り口さえ限定してそこだけを守ればいいわけだからさ』
『そりゃあそうだな。となるとどこで仕掛けてくるかってことだけど』
渚は足の速度を緩めずに思考する。
必要なのは市役所の市長室に辿り着くことだ。そこに直接支配者級AIと接触できるターミナルがあるとクキアンダーシティの支配者級AIであるニキータから渚は聞いていた。
実は地下都市の運営を任されている支配者級AIの本体は市役所内に設置されているために彼女らはその場から逃れることができないのだという。身を以てその場を守るようにされているのだ。そうすることで人を模したAIである彼女らは己の生存を優先し、通常以上のスペックをもって防御を固めてくれる……という設計者の意図がソコにはあった。
魂すらも解析でき、再生すらも可能な時代。けれども、存在が実証されたからこそ魂に宿る意志の可能性を信じる者も多かったのだ。それはある種の信仰ともいえるもので、時折一見して非効率と思われる形でその信仰の名残を見せることがあった。
なお、地下都市自体は支配者級AIのバックアップを取っているし、代わりをすぐにも用意できる。その場が破壊されれば切り捨てられるだけという支配者級AIとは実は雇われCEOのようなポジションでもあった。
『なあミケ。結局支配者級AIに接触するのはあたしかミケ、どっちでもいいんだよな?』
『うん。機械種に属しているとあちらが認識すればいいわけだからね』
ミケの返しに渚が頷く。
この世界のAIなどを含む電子的存在にとって機械種とは自身らの上位種としてあり、命令のプライオリティは軍部クラスに準じられる。すでに軍はなく、地球外で生活している天上人たちを除けばこの命令を覆せる存在はこの埼玉圏にはない。だから本来であれば命令を下すだけで地下都市は従う必要があるのだが、それができないのは黒雨対策として地下都市の中枢への命令を届かせる手段がないためだ。
そのために渚たちは直接支配者級AIに接触できる市役所に向かっているのだが、それは必ずしも渚とミケの双方が行く必要はない。故に妙案を思いついた渚が『だったらさ』と口を開く。
そしてそれから二分後、渚たちは第四階層の廃棄エリアとその境となる隔壁の前へと辿り着き、第四階層への侵入作戦を開始したのであった。
【解説】
廃棄エリア:
今話における廃棄エリアとは、これ以上の崩壊を防ぐための補強用フレームが設置され隔壁で隔離されたアゲオアンダーシティ内のエリアのことを指している。
各種監視装置やガードマシンの巡回はあるが、通常のエリアに比べて監視は甘く、侵入は今の渚たちならば難しくはない。
とはいえ禁止区域でミリタリークラスのガードマシンに守られてはいるので狩猟者が潜っている第一階層や第二階層よりは危険な場所ではある。
※次週は正月休みとなります。次の更新は1月12日です。
みなさん、良いお年を。