第213話 渚さんと初めての師匠
「なあ、師匠。こうか? こうすりゃあいいのか?」
「まだ意識して使ってるね。拡張されたものとはいえ、尻尾はもうあんたの一部だ。それを使いこなせないのはアンタがそいつを自分のものだと思っていないからさ」
臀部から伸びている尻尾をギュルンギュルンと高速回転させている渚と、それにダメ出しをしている祖母。1時間ほど兄のアルとの会話を楽しんだリンダが地下闘技場にいる渚たちに合流したときに目に入った光景はそうしたものだった。
オマケになぜか渚がトリーを師匠と呼んでおり、リンダは動揺した表情でベンチの上で丸くなっていたミケへと視線を向ける。
「あ……あのミケさん、何があったんですの?」
『色々あってね。渚がトリーに弟子入りしたんだよ』
「色々?」
『まあ、渚もトリー・バーナムと出会ったことで自分に足りないものが見え始めたってことだろうね。地上では彼女を上回る技量の人間がいなかったから格上の相手に挑むことができなかった。欠点を指摘できる人間がいるということは渚にとっても良い傾向だと思うよ』
ミケの言葉にリンダも「なるほど」という顔をした。
渚は実力こそ確かではあるのだが、様々な部分がチグハグでアンバランスだ。故にこの時代においても相当に歪な存在として浮いてはいたのだが、一方でそれを許容させるだけの力も持っていた。どれだけ壁があろうとも強引に飛び越えられるのではないも同然だった。けれども、そこにトリー・バーナムという越えられない壁が現れたことで渚はようやく成長するための機会を得たのである。
ともあれ合流しても渚とトリーのやり取りは終わっていないため、リンダはその場に立っているマーカスへと声をかける。
「それでマーカスさん、お婆様との話し合いは終わったんですの?」
「話すというほどの内容はなかったな。ナギサが懐いてからはずっとあの様子だ。だから兄弟水入らずのところ悪いとは思ったが呼ばせてもらった」
「はははは。お祖母様は地上の戦士を時折招いてはこうして地下闘技場で遊んでいるからね。お祖母様のお目にかなったということはナギサもやはり只者ではないんだろう」
アルの言葉にリンダが「当然ですわ」と口にして頷く。リンダにとって渚は相棒であると同時にトリーと同様に尊敬するべき人物でもある。だから驚きこそしたものの、ふたりが師弟の関係になったことは喜ぶべき状況であった。
それからしばらくしてようやく尻尾の振りにトリーの合格が出たところで渚が満面の笑顔でリンダたちのいる闘技場入り口に近付いていく。
「よぉリンダ、師匠ってすげえな。話に聞いていた以上だったぜ」
渚がグッと拳を持ち上げて、これまでにない興奮した顔をしていた。その後ろでトリーがやれやれというジェスチャーをしているが、師匠という言葉も含めて否定していない様子から渚のことを受けいれているようだった。
「ふふ、お祖母様と話が合うのですわね。何よりですわ」
「まあな。それでそっちはどうだ? 兄ちゃんとは話せたのかよ?」
渚の視線がアルの方に向けられると、アルも「勿論さ」と口にして微笑んだ。
「ええ、そうですわね。地下都市はあまり変わりありませんから地上での話ばかりになりましたが」
「ふふ。君たちの生活はエキサイティングだねナギサ。そんな中に妹がちゃんと順応できてることには驚きだけど……それはつまり僕の想像を超えてリンダが成長したということなんだろうね」
「もうお兄様ったら」
そのやり取りを見ていたトリーがうんうんと頷く。
「なるほどね。ヘルメスを使い潰すだけの経験は積んできたってわけだ」
「お祖母様。使い潰す……というほどのことは。壊れたのはわたくしの実力不足故のことです」
「なーに、生きて帰ってきたのなら上等、目的も果たしたなら立派なもんさ。胸を張りなリンダ。あんたはあたしの自慢の孫さ」
「……お祖母様」
トリーの言葉にリンダが感極まった顔をしながら膝をついて車椅子に乗ったトリーに抱きついた。
「甘えん坊なのは変わらないようだね」
トリーがリンダの背をポンポンと軽く叩きながら笑った。
「久方ぶりですのよ。少しぐらいいいじゃありませんか」
「そうだね。本当によく頑張ったよアンタは。だからリンダ、地上に戻ったらアンタにもご褒美をあげよう」
「本当ですのお祖母様。けれど、一体なんでしょう?」
そのリンダの問いにトリーがいたずらっ子のような顔をして笑った。
「そりゃあ、とってもいいものさ。今のアンタなら大丈夫なはずだ。それとアル、ナギサたちを連れてきてくれてありがとうよ。あたしは堪能したし、とっとと市役所で用を済ませて戻ってきておくれ。できれば夕食が冷めちまう前にね」
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「さて、お祖母様を待たせている。さっさと市役所に向かおうか」
トリーと別れ、バーナム家を出た一行は再びビークルに乗って今度は市長の待つ市役所へと向かうこととなった。そこはこの第二階層よりさらに下にある第四階層に存在しているクキアンダーシティの中心部である。
「市役所って、さらに二階層地下にある建物なんだったよな。ええと、確か第一階層は商業区だったってことは……アルさん、地下都市って階層ごとに役割とかが違ったりするのか?」
「ああ、そうさ。第一階層は商業区と居住区があり、この第二階層は居住区のみとなっているんだ」
「第三階層は製造区。食料を含めた様々なものが作られているエリアですのよナギサ」
『へぇ。つまりは生産工場があるんだね。アイテールを使って様々なものを生み出しているのがそこなのかい?』
「そうさ。もっともアイテール変換だけをしているわけではないけどね。食料用の畜産や農業も行われているし、地上から買い上げた機械獣のパーツを選別し加工して電化製品に変えたりもしている」
『なるほど、機械獣のパーツはそこで利用されていたんだね』
「機械獣のパーツはかつての文明の頃の水準を保って生み出されるからね。そのまま使用できるものもあるし、分解し再構成させれば持っていないパーツも生み出せる。利用しない手はないさ」
そう言っている間にもビークルは若干傾斜になっている道をあがり、その先にある大型エレベーターへと入ると入り口の扉が閉まり始めた。
「そして、これから僕たちが向かう第四階層は都市の心臓部、機関区だ」
「へえ、じゃあ第四階層が最下層なのか?」
その渚の問いにアルは首を横に振った。
「いや、そこからさらに第五階層と第六階層があるんだけど……僕も入ったことはないな。基本的に機密エリアには許可されていない人間もAIも立ち入れないようになっている。万が一があるといけないからね」
そんなことを話している間にも渚たちは第三階層を抜け、そして第四階層へと出るとそのまま市役所と呼ばれる中央の柱に向かって移動を開始したのであった。
【解説】
アンダーシティ:
アンダーシティは基本的にはすべて同じ構造であり、ダンジョンとなったアゲオアンダーシティもクキアンダーシティと似通った造りをしている。