第210話 渚さんと伝説の鬼ババア
「まったく。ナギサ、あんたはリンダを殺す気かい?」
「そりゃあ、どういう意味だよ?」
リンダとアルと玄関口で分かれた渚は車椅子に乗って先に進むトリーの後に続いて歩いていたが、途中のトリーの言葉に眉をひそめた。
「まあ、確かに迂闊ではあった。説明をしていなかった俺の落ち度だが」
マーカスもトリーの言葉を是としているようで、どういうことかという顔で渚がミケを見た。
『うーん。ナギサ、どうやらアイテール結晶侵食体はこの地下都市では禁忌に近いものらしいよ。まあ、予想はできていたことではあるけどね』
「話しちゃマズイってのはなんとなく察してたけどさ。ミランとライアンは知っていたし、そこまでのことなのか?」
渚の問いにトリーが頷いた。
「地を流れるエネルギーを結晶化させる存在だ。無限にエネルギーを生み出せる……というのは正確な話ではないが似たようなものだからね。存在を知れば誰もが欲しがるだろうし、そりゃ慎重にもなるさ」
「まあ、確かにな」
それは渚も認識している。先ほどはちょっと口を滑らせたが、あのメンツならば……と油断した面もあった。
(ていうとさ。ミケ、『あの件』ってやっぱ不味いのか)
『それはまあ交渉次第さ。ただ、どうにかはなるんじゃないかな。僕の予想が正しければ……だけどね』
渚とミケがそんな『声に出さない会話』をしている間もトリーが話を続けていく。
「ハイアイテールジェムも侵食体に比べれば微々たるものだが似た性質があってね。表面に結晶ができるんだよ。ま、内蔵されたエネルギー量に比べりゃあ大した問題じゃあないんだけどねえ」
『だからリンダが知っていると死ぬと?』
ミケの問いにトリーは「可能性の問題さ」と返した。
「ナギサとミケ、あんたらを市長達は注視している。それにマーカスもコシガヤシーキャピタルの重要な人間だ。だけどリンダは違うんだよ。あの子の命は地下都市にとっては取るに足らないと見られている。一度市民以下という評価を下されているからね」
「リンダはあたしの相棒なんだぜ?」
「それじゃ足りないんだよ。あの子の価値はまだ示されていない。だから迂闊なことを言って余計な危険に晒したくはないのさ。まあ、家の中なら問題はないがね」
そう言いながらトリーが進む先は屋敷の地下であった。
バリアフリーのため階段ではなく斜面となった廊下を進んでいるが、少なくともすでに渚たちが入った階から二階分は降りていた。それから辿り着いた部屋を見たミケが目を細めてトリーに視線を向けた。
『ところでトリー。これはどういう状況なんだい?』
「どういうというと何がさ?」
トリーがそう言って、そのただ広く、周囲にはボロボロのガードマシンなどが並んでいる部屋へと入っていく。その中に入って渚は周囲を見回しながら「なんか、地下闘技場みたいな?」と口にした。
『そうだね。地下都市だし』
なぜ地下闘技場などという言葉が出たのかは分からないが、ミケの指摘ももっともであった。そもそも今いる場所は地上より遥か地下だ。
「……そうだねぇ。実はね。リンダから聞いているんだが。アンタ強いんだろ?」
渚は「おや?」と思った。この部屋に入った段階で、何か空気が変わった気がしたのだ。それに渚は目の前にいる老婆の周囲の気配が歪んでいるような錯覚を感じ始めていた。その様子にマーカスが額に手を当ててため息をつく。
「ナギサ、先ほどまでは孫可愛がりなところもあったがな、その人は元々そういう人間だよ。なぜ地上の英雄トリー・バーナムがこの都市にいるか分かるか?」
「地上での実績を認められたことで地下都市の上級市民になったとは聞いていたけど……違うのか?」
渚の言葉にマーカスが苦い顔をして首を横に振る。
「そのニュアンスは若干間違っている。トリー・バーナムは現在進行形で実績を認められ続けている『現役の戦士』だ」
「え? でもマシンレッグを……」
「あたしにゃ、これがある!」
その言葉の直後にガコンッと音がして、トリーの乗っている車椅子が変形していく。フレームが可変し流線型の形状に変わり、左右からは小型のガトリングが、タイヤからは無数のスパイクが飛び出し、背もたれからはモーターとブースターがせり出てきた。
『武装車椅子!?』
ミケが驚きの言葉に老婆が笑いながら両腕の裾をめくり、はち切れんばかりの筋肉を見せつけながら笑う。
「あたしはね。孫から話を聞いてからアンタがここに来るのをずっと楽しみにしていたんだよ」
「は?」
「だからさ。ちぃと遊んでくれないかいナギサ?」
そして車椅子の左右から取り出したライフルをペロリと舐めながら鬼のような顔をした笑顔の婆がゆっくりと渚を見たのであった。
【解説】
トリー・バーナム:
クキアンダーシティ専属の現役狩猟者であり、現段階においてもその戦闘能力は維持され続けている。なお、その事実を知っているのは極一部の者のみであり、クキアンダーシティの鬼札として彼女は存在している。