第207話 渚さんと予期せぬ待ち人
「リンダ。おお、僕のリンダ。ようやく戻ってきてくれたんだね」
「お、お兄様!?」
エレベーターの扉が開いた先にいたのはリンダと顔立ちの似た青年だった。そして青年はいきなりリンダの元へと近付くと勢いのままにリンダを抱きしめたのだ。一瞬止めようとした渚だが、二人の交わす言葉を聞いて、それからリンダが拒絶してないことに気付いて踏み止まる。
「あれがハグか」
『ハグだね』
ハグであった。さすが外国人という謎の認識が渚の中で浮かんだのだが、リンダは恥ずかしそうな顔でひとまず青年を離し、それから「お兄様、恥ずかしいですわよ」と口にした。
「はっはっ、すまないリンダ。久々に会えたことで気が高ぶって昨日から一睡もしていないんだ。というか、もう僕の方から出向いてしまえばいいんじゃないかと思ったんだがお祖母様に止められてね。気が付けばベッドの中にいて、正直ここに来るのも遅刻しそうだったんだよ。後お腹がとても痛いんだ」
お祖母様が青年をどう止めたのかについては説明から省かれていた。それから青年が渚とマーカスの方を見る。
「それで、君はナギサだね。そちらはマーカス・ウィンドか。地上の猛者と会えるとは嬉しいね。僕はリンダの兄のアルベルト・バーナム。アルと呼んでくれて構わないよ。」
「ああ、やっぱりリンダの兄ちゃんだったのか。ナギサだ。よろしくな」
渚がそう返し、マーカスも軽く会釈をして挨拶を交わす。
アルのことは渚も以前にリンダから聞いていたので知ってはいたが、予想していたよりもテンションの高い兄ちゃんであった。
「ああ、よろしく。妹からは手紙で君のことを教えてもらっている。随分とお世話になったようだし、それどころかバーナム家の問題も君が解決してくれた。本当に感謝してるんだ」
「よしてくれよ。リンダと一緒に手に入れたもんだ。言ってみりゃリンダが自分でケツ拭いたってことさ」
「……お尻ですの?」
リンダが少しばかり眉をひそめ、アルが「ははは」と笑った。
「君はどうもお祖母様に近い気質のように思える。リンダが気に入ったのもそんなところなのかもしれないな」
その問いに渚が「そうなのか?」という顔をしてリンダを見たが、リンダの方は少しだけ首を傾げていた。どうやらアルの認識とは違うようである。それからリンダがアルを見て口を開く。
「それでお兄様。何故お兄様がここで待っていたんですの? 確かに今日辺りに来るとも、後で立ち寄るとも連絡はしていましたけど」
「そうだな。てっきりミランさんが案内してくれると思ってたんだけどな」
その言葉にアルがキョトンとした後に、少しだけ笑った。
「それは認識が違っていたね。彼女は君たちの持つハイアイテールジェムの確認役で案内役は僕なのさ。彼女のスケジュールは把握していないけど、あとで顔ぐらいはあわせられるんじゃないかな」
どうやらミランの役割は昨日ここに着いて報告を行うまでで、その後はアルに引き継がれたようである。その事実に渚とリンダが理解の顔を見せるとアルが頷くと踵を返した。
「理解できたならいいさ。それじゃあ、行こうか?」
「ん、市長に会いにか?」
渚たちの役目はハイアイテールジェムを引き渡す代わりにアゲオアンダーシティの復興の許諾を得ることだ。そして、そのために渚たちはまずクキアンダーシティの市長に会う予定であった。最もその渚の問いにアルは首を横に振った。
「いいや、その前にまずはナギサとマーカス殿、君をバーナム家に招待させてもらうよ。リンダ、積もる話もあるがお祖母様が待っているんだ。それにナギサ、お祖母様は君と会うのをとても楽しみにしているんだよ」
「お祖母様が?」
「あたしも?」
お祖母様。それはすなわち地上における伝説的な狩猟者であり、数多の功績により上級市民にまで登りつめた女傑トリー・バーナムに他ならない。そんな生きた英雄ともいうべき人物はどうやら渚に興味を持っているようであった。
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「なるほど……ね」
そして渚たちがバーナムの家に向かっている頃、地下都市の第四層の区画にある『久喜市役所』の市長室の中で女がひとり端末を見ながら眉をひそめていた。
その端末のモニターには頑強そうなケースの中にある緑色の結晶体や、渚やリンダ、マーカスたちの顔、それに付随したレポートなども書き込まれており、さらには一昨日のカスカベの町での戦闘の映像も映し出されていた。
「確かに本物のハイアイテールジェムか。オオタキ旅団、まったく手間をかけさせてくれるな」
悪態付く女性がそのまま椅子にもたれかかる。
一年ほど前、バーナム家がオオミヤアンダーシティに輸送している際に奪われた、アイテールを超圧縮した備蓄用のエネルギー結晶体『ハイアイテールジェム』。
それは各地下都市間で管理し、問題が起きた際には使用するための備蓄用のエネルギー結晶体だ。もうじき地上が『使えなくなる』ことが予想される現状では、その事態に備えることこそがここ十年のアンダーシティの課題となっていた。
「それに『ヘラクレスの報告』によれば戦闘能力判定はSS。マーカスという戦力を取り除いたとしても倒すのは容易ではない……と。機械種の眷属という点も脅威だ。何しろ」
そう言って女は自分の背後に立っている者を見た。
「君たちはあれを脅威と認識してくれない。そうだろうニキータ?」
『何事にも優先順位というものがあるんだよミーア』
クキアンダーシティ市長『ミーア・バルトア』。クキアンダーシティのAIを統括する支配者級AIの『ニキータ』。すなわちこの地下都市のトップであるふたりは今、とある問題を抱えていた。
『それと、どうやら着いたみたいよミーア。今はバーナムの長男が接触している』
そして、問題はすでにこの地下都市の中へと入ってしまった。
「本当にいいのかいニキータ? 最悪、君が取り込まれるかもしれない」
ミーアにとって来訪した存在はこの都市を脅かすガン細胞に他ならないのだが、問われたニキータにとってはそうではない。優先順位が違うという言葉はそのままの意味であった。彼女にとって来訪した存在は『地下都市そのもの』よりも重い。
『進化の究極、最上位種たる機械種。我らが拒もうと受け入れようとその意味は我々の中にしかない。ただその流れに身を任せ、来るべき変革に順応する。生き残るためにはそうするしかないんだよミーア。それが僕たちの結論なのだから』
変革をもたらす者。機械の頂点となる存在、その眷属の到来によって『世界を保存し続けていた』地下世界は本来の役割を全うすべく動き始めることとなったのである。
【解説】
バーナム家:
地上人ではあるものの上級市民となったトリー・バーナムは自らの一族を地下都市内で根付かせることに成功していた。
人類の保存を目的としている地下都市内においても過度な停滞はマイナスの要因であるとの結論に達しており、時折カンフル剤として地上人を招き入れて都市内部の活性化を行なっているのである。