第205話 渚さんと失われたもの
「いやぁ、しくじったぜ」
釈放されたルークが頭をリンダのハウスの中でポリポリとかきながら、そんなことを口にしていた。結局のところルークは違法ポルノ動画の出元を口にすることはないまま、渚の金とコネによって釈放されていた。
渚としても良心の呵責とかそんなものが色々とよぎったが、やむなしと泣く泣くその対応を行ったのである。エロが詰まった女などと悪評がついたらと思うと流石の渚も辛かったのだ。
「ハァ、もう最低ですわよルーク。一体どこでそんなもの手に入れたんですの!?」
「どこって……なあ?」
ルークの問いに渚は「知るか」と返す。その渚の反応ははたから見れば潔癖症の少女のソレであったが、事実は違っているのをその場で理解しているのは渚とルークとミケだけであった。
「不潔ですわ」
そんなことはいざ知らずジト目で睨むリンダにルークが肩をすくめて苦笑する。
「アレも遺失技術の一種だったんだよ。ま、没収されたけどな」
(なあナギサ、次はバレないように別ルートで流すからさ。もう一度もらえるか?)
(ああ、アレ。消えたぞ)
「は?」
「なんですの?」
「あ、いや。なんでもない……んだが」
なんでもないと言いながらも、若干焦りが浮かんだ顔のルークが渚に小声で尋ねる。
(消えたって……ナギサ、どういうことだ?)
(見ての通り、あたしの体はちょっと今変化しててさ。ミケが離れた影響で記録していたチップは完全にあたしの制御下になったんだよ)
髪や目の色だけではなく、全体的に肉体を改造した感ある渚の状態はルークも把握していた。だからミケが猫の体に入ったことで渚のチップが今は渚が制御しているという話も理解できた。問題はなぜ消えたかだ。
(で、無意識に消してた)
(な、なんで?)
(さあ? 気持ち悪かったから?)
渚もはっきりとは理解していないが、この身体になってから確認したところ、動画は完全に消去されていたのである。なんとなくではあるが、消去しますか? の問いに同意したような記憶も微かに残っていた。そして、ルークが崩れ落ちるとその後ろにミケがスッと近寄る。
『ルーク、あまり落ち込まなくても大丈夫だよ?』
「おう、ミケ。お前、自分のボディを手に入れたんだな?」
『うん。色々あってね』
その場にいるミケはあくまでドローンの一種であり、魂の宿っていない存在ではあるが、それらをすべて説明する気はミケにはない。だが、それとは別にミケはルークに伝えることがあった。
「色々ね。それで安心していいってのは?」
『実は渚と分離する際に僕が動画のコピーを別のチップにしていたんだ。お金はいくらあってもいいからね。それを後で渡そう。今度は捕まらないでよ?』
「さすがだぜミケ」
ルークがミケをギュッと抱きしめ、その様子を見ていたマーカスが渚を見た。
「ナギサ、そのおかしな男は仲間でいいのか?」
マーカスが懸念しているのは目の前の男が渚の情操教育に与える悪影響である。敬愛する母の妹だが渚は若い。コシガヤシーキャピタルの後ろ盾の窓口でもあるマーカスは言ってみれば渚の保護者に近い。そして、胡乱げな視線を向けているマーカスにルークは興味深そうな顔をする。
「あんた、騎士団の団長のマーカスか?」
「以前はな。現在は職を退き、ナギサの新事業に手を貸している」
「新事業?」
「ああ、それはな……」
ルークが眉をひそめると渚が説明を始めた。
それは先ほどのライアンにしたものと同じ内容ではあったが、瘴気の耐久年数と機械種のコアについてはボカして話していた。渚もルークを信用していないわけではないが、計画の中核にいる者以外に話すには危険過ぎた。ともあれ、ルークもわずかに違和感を覚えたものの特に口は挟まず、最後まで話を聞いて、それから「アゲオアンダーシティ復興計画委員会……ねえ」と呟いた。
「なんだって、そんなことを始めたんだナギサ? 少なくとも俺が見ていた限りでは、お前はそんな大きな視点でものを見るようなタチではなかったと思うんだがな」
「色々と複雑な事情があってさ。で、狩猟者よりもこっちを優先することになった」
「そりゃあ、狩猟者の数も足りない時期にな。局長が嘆くぜ……と、もう話したのか?」
ルークが先ほどの狩猟者管理局でのことを思い出しながらそう口にする。マーカスはその場にはいなかったが、渚とライアンが何かやり取りをしていたような雰囲気はルークも感じ取っていた。そしてルークの問いに渚が頷く。
「まあな。協力してくれるって。ルークを簡単に釈放してくれたのもその一環だってさ」
「俺に協力しろと?」
「そうしてくれるとあたしは助かるけど、局長的には狩猟者の仕事を優先して欲しいから釈放したんだろうな」
「なるほどな。まあ人手不足だからな。考えさせてくれ」
「ああ、簡単に決められることじゃねえしな」
渚の返答にルークが頷くと、それから少し話した後にルークはリンダのハウスを去っていった。
そして、ルークが去ってしばらくした後、マーカスが何かを思い出したという顔で「そうか、あのルークか」と口にする。その様子に渚が訝しげな顔をする。
「マーカスさん、どうしたんだよ?」
「いや、鏖殺のルーク。確かに特徴も一致する」
「なんだ、そのあだ名?」
「最近は聞かなかったが、五年ほど前に野盗専門に狩りを行い、手口の残虐さからそう呼ばれた狩猟者がいたんだが……」
「あいつが?」
「それはないですわよ。ルークは狩猟者の中でも珍しいくらいに穏健派ですし」
渚とリンダの言葉にマーカスが目を細めて、考え込む。
「同一人物かは知らんが……確かアレの動機は復讐だったはずだ。だが、今のあの男の目は……いや」
マーカスが首を横に振った。
「なんでもない。俺の勘違いだろう」
「そうか?」
首を傾げる渚にマーカスが頷いた。
「それでミランさんはどうしたんだよ?」
狩猟者管理局前で渚たちと別れたマーカスは、ミランダやクロたちとともにこのリンダのハウスに戻っていた。けれどもそこにミランの姿はなかったのである。
『ミラン様でしたら、すでにアンダーシティにお戻りです』
「ありゃ、先言っちゃったのか?」
「ああ。一度あちらに連絡して、それから明日にでも使いをよこして案内すると言っていたな」
「……アンダーシティ」
リンダが神妙な顔をした。クキアンダーシティはリンダにとって故郷であり、戻るべき場所であり、目標でもあった。
「まったく。ナギサを招待する前に、逆に渚に連れていかれることになってしまいましたわね」
リンダがそう言って笑った。以前にゲストパスで渚と共に里帰りを考えていたリンダだが、現在の状況は予想の遥か斜め上だ。
それからマーカスとミケがカスカベの町で起きたような襲撃の可能性を口にし、渚たちは警戒しながら夜を迎えたのだが、その日は特に懸念されるようなことは何も起こらなかった。そして翌日、クキアンダーシティの使者がリンダのハウスを訪ねてきたことで渚たちはいよいよ地下都市に向かうことになったのである。
【解説】
生体改造:
一般的ではないものの、一部の施設では高額なアイテール貨を支払うことで肉体自体の改造を行うことも可能である。
ファッションとして発光する染毛やタトゥーなども存在しており、渚の緑化もその手の類と認識されている。