第020話 渚さんと介護ロボット
「いやはや、凄いもんだね」
リミナが驚きを通り越して呆れたような顔になって、その光景を眺めている。とはいえ、そんな顔ができるのも深刻な状況を脱せたからこそであった。
何しろ、瞬く間に目の前の狩猟者たちが治療されていったのだ。医者と看護師たちが急ぎ容体の確認を行っているが今のところ異常らしきものはなく、その光景には一緒にいるリンダも目を丸くしていた。
「ナノマシン治療を行うマシンアームなんてものもあるのですね。わたくし知りませんでしたわ」
「まあ、あんまり見ないからねえ。メディカノイドやメディックマシンに比べてコンパクトにしている分アイテールの消費量は大きいし、マシンアームは高価なのに戦闘用じゃない。それにメディックマシンも持っていけないような前線に赴くことが多いんだよね、坊さん連中は」
「そ、そうなんですの」
リンダは前線と聞いて眉をひそめた。
リミナの言う前線とは群馬圏との境界線にある森の近くのことである。まだ新人狩猟者であるリンダはそこまで行った経験はなかった。
『リミナが言う通りに元々が治療用ではないこのマシンアームだと、アイテール変換効率は専用プラントに比べて落ちるからね。メディカロイドやメディックマシンがあるなら、そちらを使うべきなのはその通りだね』
そして、リミナの話を横で聞いていたミケがそう口にする。
(そうなのか? まあ、確かにアイテールが結構減ってるなあ。使いすぎたか)
マシンアームから出したシリンダーの中身を見て、渚がぼやく。
『そうだね。そもそも以前はアイテールの生成には莫大なコストがかかっていたんだ。ナノマシンだってアイテールを経由せずに生成していたし、治療に使うなんて勿体ないことほとんどしなかったんだよね』
(けど、今だと……機械獣から穫れるからな)
その機械獣がアイテールを何から生み出しているのかを思い出して、少しだけ気が重くなった渚にミケが頷く。
『そういうことだね。機械獣がいるから今は気軽にアイテールが使える。正直に言って金の価値が銀にまで落ちたようなもんだね』
ミケがやれやれという顔をした。
カルチャーショックを受けているようである。
ともあれ、渚にできることはすべて行った。ナノマシン治療は命を繋ぎ止めるのには最善だが、その後は医者に出番を譲る必要がある。ここから先で渚ができることはもうないのだ。
それから立ち上がった渚にリミナが声をかける。
「ともかくご苦労様だナギサ。まったく、大した娘だよ。本当に」
「ま、こっちの腕がいいだけだけどな」
そう返して、渚が自分の右腕をリミナに見せた。もっとも、それも渚の力ではある。それからリミナの後ろにいたリンダも近付いてきて頭を下げた。
「わたくしからもお礼を言いますわ。本当にありがとうございます。おかげで仲間が救われましたわ」
その顔は赤みさして、うっすらと涙も溜まっていた。
「気にすんなよ。えっと、あんたはリンダだったっけ?」
「ええ、そうですわ。ナギサとお呼びして良いかしら?」
その問いにナギサが「おうっ」と笑顔で頷く。それからリンダが少しばかり、怖ず怖ずとした様子で話を続ける。
「それではナギサ。その今回の件、本当に感謝いたしますが……治療費はいかほどになりますでしょうか?」
実のところ、今この場に狩猟者の取りまとめ役の人物がおらず、リンダは感謝と共にどう対応して良いのか分からず少しだけ焦ってもいた。
「いや、つってもこっちが勝手にやったことだしなぁ」
一方で渚は己の行いで儲けるという発想がない。だが、それにミケが抗議の声を上げる。
『渚。こちらは僕たちしかできない治療行為を行い、アイテールの消費もしている。対価はもらうべきだ』
元々この治療はミケの提案であったのだ。それも自分たちの今後のことを考えての交渉材料にしようとしていたのを、渚はさっさと治療だけを先に進めてしまったのだ。
(いや、そうだな。これはあたしの方が悪いか)
少しばかり怒った顔のミケに対して、渚はバツの悪い顔をしながら頷いた。それから渚がリミナを見た。
「ええと、リミナさん。こういうときってどうすりゃいいんだ?」
その問いにリミナが少し考え込む。
「適正な価格ってのがあるにはあるが、今回は特に緊急だったからねえ。まあ、どちらにせよ勝手にやったからって、ただ働きってのはなしさナギサ。そいつはその行為の価値を下げることだ。医者にボランティアになれって言ってるようなもんだからね」
リミナがそう釘を刺す。ミケ同様にリミナもなあなあで済ますのを良しとは考えていないようである。
「むぅ。じゃあ、アイテール分? 相場とかあんのか?」
その言葉にリミナが考え込むと「少し待ってな」と言って、その場を離れていった。どうやら村長と狩猟者のまとめ役と相談するようである。
そして、それを見送る渚にミケが横から『ちょっといいかな』と声をかけてきた。
『提案があるんだけど、いいかな?』
**********
「よいしょっとぉ」
そして、治療が終わって1時間後。
ビークルに戻った渚は中にあるテーブルの上に、動かないメディカロイドを置いていた。人の形こそしているが、形状はまさしくロボットそのものであり、それは先ほどまで医療室の隅に転がっていたものだった。
「で、ミケ。本当にこれを報酬にって……良かったのか?」
そして、渚がメディカロイドの上でくつろいでいるミケを見て尋ねる。
狩猟者たちの治療の報酬にミケが要求したのは、この壊れたと言われていたメディカロイドだったのだ。
『まあね。君が納得してくれているなら問題はない。二束三文で買い叩かれるのも嫌だから放置していたものだと彼らも言っていただろう。どちらにとっても悪くない話だったさ』
「それは分かってるけどな」
渚がミケの言葉に頷く。
あの場で渚はミケの要望により壊れたメディカロイドを要求したのだ。
金銭的価値からいえば、先の治療の報酬がメディカロイドというのはあり得ぬ話ではあるのだが、それは十年以上も放置されているだけのガラクタ同然のシロモノだ。
村長であるバルザは渋ってはいたが、最終的には折れて、アゲオ村で一旦治療費を引き受け、狩猟者たちの取りまとめである狩猟者管理局に請求する形を取ることで、渚は動かないメディカロイドを譲り受けていた。
「でもさ。本当に動くのか? なんか、リミナさんたちも無理だって言ってたよな?」
『いや、彼らの言うマシン技師たちも匙を投げていたって話も仕方がないと思うよ。内部にロックがかかっていて再起動は不可能。壊れているだけならともかく、ロックがパーツごとにも及んでいて解除不可能なんだから買い取りもつかないわけさ』
ミケの言葉の通り、マシン技師という専門家でも修理できず、二束三文で売られるのを嫌ったバルザがそのまま残していた……という経緯がそのロボットにはあった。
『このままだと分解しても主要なパーツもただのガラクタにしかならなかっただろうし、僕らに使われるのであれば、このメディカロイドにとっても良いことだろうさ』
「村長は結構渋ってたけどな」
相場を調べてきたリミナに交渉し、所有者であるバルザに尋ねたときには何ともいえない顔をしていたが、リミナの「このままだと本当にガラクタ同然で売り払って終わるだけだろうに」との一声を受けて諦めたようだった。
『ま、ちょうど良かったよ』
「ちょうど?」
『このビークルにしても人手がね。君と僕だけじゃあどうかと思ってたし、外に出るときにビークルを放置しとくのも心配だっただろう?』
ミケの問いに渚も「まあなぁ」と返す。
ビークル自体の装甲は厚く、電子ロックにより中への侵入も難しい。とはいえ、時間をかければドアを破壊することも可能だろうし、ビークル自体が稀少品かつ有用な乗り物で、なおかつ今の渚の家でもあるのだ。
村の中とはいえ置きっぱなしの状況には不安があったため、寝る場所を用意するとは言われたものの渚は結局ビークルに戻ってきていたのだ。
「けど、前報酬も込みだぜ。高くつかなきゃあいいけどな」
『それについては君も同意したろ?』
「ああ、そうだったな。まあ、せっかく助けたのに死なれたら後味悪いしな」
ミケの問いに渚が頷く。
最初に治療したノックスこそすぐの戦線復帰は無理だったが、あの場で寝ていた半数は渚の治療によって戦いが可能なまでに回復していた。
そして彼らはみな、他の狩猟者たちと共に翌日にはクキシティへの強行隊に参加を希望し、渚も村長の要望でそれに参加することになったのだ。
そしてメディカロイドはその前報酬も含まれていた。
村長であるバルザが同意した最後の条件がそれであり、ひとまずは街との連絡を繋げることを優先に彼は考えていたということであった。
『当初の予定よりも戦力が多いし、状況次第になるけどね。ただ数が多ければ、状況が悪化しても僕たちが逃げ出せる確率は上がる』
「……お前、ひどいこと考えるな」
『君の安全が第一だからね。それに彼らが全滅でもしたら、残された僕らが決死隊にされかねない。今回できたコネクションを生かすためにも前向きに行動すべきさ渚』
「なるほどねえ。まあ、それは今はいいや。それでこいつ、動きそうなのかミケ?」
渚がテーブルに寝ているメディカロイドを見る。
『問題はないよ。壊れたのではなく、スリープモードに入ったことでロックがかかって動かせないだけだしね。ロックを解除するには正規マスターの認証が必要になる。そのマシン技師というのは、パスワードのクラックもできないレベルなんだろう』
その言葉に渚が首を傾げる。
どうやらパソコンのスリープモードと同じようだとは理解はできたが、それを外す手段が彼女には思いつかない。
「ミケ、正規のマスターなんているのか?」
『もういないけど、君をマスターに設定し直す。すでに村長の家から解析は行い続けていたし、アイテールも注入して、これでどうだろう』
「お、おお?」
ミケが何かをすると、ガコンとメディカロイドが動き出し、それからゆっくりと上半身が立ち上がった。
『システム再起動。コンディションイエロー。稼働に支障はありませんが、メンテナンスの必要はあり。おはようございます。マスター渚』
「あたしの名を口にした!?」
唐突に喋りだしたメディカロイドが、さらに名乗ってもいない渚の名を口にした。渚はそのことに驚きの顔をしたが、ミケにとっては想定内のことのようで、うんうんと首を縦に振っていた。
『問題なく動いているね』
「つか、ミケ。お前、何したんだよ」
眉をひそめて渚がミケを見たが、ミケは前足で頭をかきながら『大したことじゃないよ』と返した。
『マシンアームの権限コードを使ってロックを解除したんだ。ビークルもロック解除できていただろう? ミリタリークラス以下のロックなら大半は可能だからね』
「なあミケ。お前結構、重要なことをさらりと口にしなかったか?」
引きつった顔をした渚にミケが『そうかな?』と返しながら、メディカロイドを見た。対するメディカロイドもミケに反応する。どうやら、このメディカロイドはミケの姿が見えているようであった。
『それでメディカロイド、君の名前はあるのかい?』
『ミランダと申しますミケランジェロ。マスターの指示あれば変更いたしますが、如何致しましょうか?』
『だ、そうだけど?』
ミケとミランダに顔を向けられた渚が、首を横に降る。
「いや、名前があるならソレで良いよミランダ」
『はい。ありがとうございます。ミケランジェロから仕事の内容については指示を受けております。掃除、洗濯、身の回りのお世話から、車の運転や留守番まで一通りは対応可能です。お好きにお使いください』
「お、おう」
ズイと身を乗り出すミランダに、渚は少し引きながら頷いた。
「なんか、やけに積極的じゃねえの?」
『彼女もまた長年動けなくてストレスが溜まっていたんだろう』
ミケの言葉に渚が眉をひそめた。
「ロボットにもあるのか……ストレス?」
『その問いの答えはイエスです、マスター。我々の思考回路は人間を模しておりますので、ストレスもあれば、解消するためのロジックも設定されています』
「マジかよ。なんで、そんなものがあるんだ?」
その渚の問いに答えたのはミケだった。
『不便を楽しむとでも言うのかな。許容範囲内であれば、マスターとは共依存の関係性を維持することがパートナーAIにとっては求められるのだそうだよ』
「うーん、難しいこと言うな。そうなるとミケもなんかストレス解消とかあんのか?」
『ああ、僕の場合は猫のように振る舞うのがそれだね』
その返答に渚が「へぇ」と口にすると、ミケの耳がピンと立って入り口へと視線を向けた。
『おっと渚、お客さんだ』
「ん?」
ミケの言葉と共に、ビークルの外部カメラの映像が渚の視界に映し出される。そこに映ったのはミミカとリンダだ。ふたりがこのビークルに向かって歩いてきている映像が映し出されていた。
『ミミカと村長の家にいた、リンダという狩猟者が来たよ。先ほどの言葉の通り、今日はこちらに泊まるつもりなんだろうね』
それはすでに約束していたことであった。
村長の家での報酬の一件後、世間知らずな渚を案じたリミナは、渚にリンダとミミカとのコミュニケーションを提案していたのである。
【解説】
坊さん:
メディスン系統のマシンアーム所持者は一般的に坊さんと呼ばれている。
人を救うために前線に赴くことも多い彼らだが、法外な報酬額を希望するナマグサと呼ばれる坊さんも少なくはない。