第002話 渚さんと機械の腕
カシュンという音が小さく響いた後、崩れかけた部屋で大型のカプセルがゆっくりと開き始める。緑色の液体が溢れて床へと流れ落ち、中にいた渚もカプセルの縁を掴んで一糸纏わぬ姿のまま、外へと這いずり出ていく。
「うう……」
渚の表情は浮かない。熱に浮かされたような顔でふらついているし、何よりも渚の右腕は二の腕の途中からなくなっていて、それより下の部分は千切れてカプセルの底に沈んでいた。
「ハァ……腕の感覚がない。気持ち悪ぃな、これ」
渚はそう口にしながら、ゆっくりと這ってその場を離れ、近くの壁に寄りかかった。
それと同時に衝撃が部屋全体に響き渡り、驚く渚の前でさらに巨大な瓦礫が落下して、カプセルが粉々に破壊される。
「おいおい、勘弁してくれよ」
先ほどまで自分がいた場所はもう完全に潰れていた。
あらかじめ猫に言われていたとはいえ、わずかな差でカプセル諸共自分も潰されていたかもしれないという状況にショックを受けた渚は、そのままズルリと腰を落として床にお尻をつけた。
『あまりノンビリはしていられないね。渚、身体は動きそうかい?』
そして座っている渚の頭の中に、先ほどまで話していた猫の声が響いてきた。対して渚は周囲をキョロキョロと見渡して声の主を探すが、どこにも猫の姿はない。
「え、猫いるのか? まさかこいつ直接脳内に?」
『妙に余裕を感じる言葉だね。いや、とても正確な指摘だけどね。とはいえ、声だけだと分かり辛いか。じゃあ、これでどうだろう?』
その言葉と共に、渚の目の前に三毛猫が出現する。
「瞬間移動!?」
一瞬で出現した猫の姿に、渚が目を丸くして驚くが猫は首を横に振る。
『いやいや、そうじゃないよ。僕の本体は、君の脳内に埋め込まれているチップの中にあるプログラムのひとつでしかない。今は、そのチップから君の視覚に直接干渉してこの猫の姿を映し出しているのさ』
「何それ、怖ぇ」
渚が思わず自分の頭を触ったが、埋め込まれたような傷がついているようには感じられなかった。
『AR、拡張現実というヤツかな。それよりも、ここは仮想現実とは違って、時間の流れが等倍なんだ。何度も言うようだけど、時間がない。体は動くかい? すぐにでも移動を開始したい』
「お、おう。右手がないけど……血は出てないし。なんか、痛みもない。身体は……痺れみたいのも解けてきたと思うし、なんか気持ち悪い」
腕が千切れているのに痛みがないことに得体の知れない恐怖を感じていたが、生存のための意志が渚を頷かせた。その様子に猫は『そうかい』と返しながら目を細める。
『その右腕に関しては安心していい。ナノマシンが働いて修復中なんだ。生やし直すのはさすがに無理だけど、断面はもう問題ない状態にまで治療されているはずだから』
猫の言う通り、元からそうであったかのように千切れた腕の断面は肌の表面のようになりつつあるのは見えていた。そのことに生理的な違和感を感じつつも、渚は少なくとも猫の想定内の状況であることには安堵する。
『欠損部に代用として直接的に繋げられる分、ちょうど良いと言えば良かったかもしれないけど……まあ、それを今言うのはあんまりな話か』
「え、何だって?」
ボソリと呟く猫の言葉に渚が首を傾げるが、猫は『なんでもないよ』と返すとしっぽを振って部屋の扉の前に進む。
『ほら、そこに一応羽織るものもある。基地内のマップとガイドを出すから付いてきて』
「わーったよって、うわ……空中に地図が出て、地面に矢印が? ゲームみたいだけど。あーもう、これにそって進みゃあいいんだろ」
潰れたカプセルから目を背けて渚がそう言うと、猫が頷いて走り出し、それを靴を履いて簡易着に袖を通しながらの渚が追い始める。
「えーと……ここさ。600年以上、使ってなかったんだよな?」
カプセルのあった部屋を抜けた渚は、妙に小綺麗な通路を走りながら、そう口にする。そこはまったく新しい建物という感じではなかったが、埃のない綺麗な状態であった。
『そうだよ。けれど清掃用ドローンは動いていたはずだから衛生面は気にしなくてもいいはずだ』
そう言い合っている間にも再び地震が起こり、また通路の角からは銃声が響いてきた。
「揺れるし。それに猫、今の音って?」
『彼らが時間稼ぎをしている間に先を急ごう。急がないとこちらまで来るよ』
「お、おう」
渚が頷いて再び猫を追って走り出し、何度となく続く振動に身を揺らしながらも通路を一心不乱に走り続けていく。そして、壁にXと書かれた区画へと入り、さらに進んだ先にあった扉の前に辿り着くと、
『ここだ渚。さあ、開けるよ』
猫が扉を開いて中へと入り、猫を追う形で渚も部屋の中へと飛び込んだ。
「おっと、こりゃあなんだよ!?」
その部屋の中を見て渚が声を上げる。
部屋の中にあったのは3メートルほどの大きな人型の機械だった。
それが金属のベッドの上に横たわり、何かの装置とケーブルで繋がれていた。
「もしかしてロボット? 猫、こいつであの機械獣ってのを倒すつもりなのか?」
若干興奮気味の渚の問いに、猫が首を横に振る。
『いいや、このウォーマシンはコアが外されてるからこのまま起動させることはできないんだ。パーツの予備として保管されているだけのものだしね。今必要なのは、こいつの右腕だ』
猫がそう口にした途端に、ロボットの右腕が肩から外れてガシャンと音を立てて床に落ち、渚の方へと転がってくる。
「うおっ!?」
驚く渚の前で落ちた腕が緑色に輝き始めた。
「なんだこりゃ!?」
『君に必要なものさ。ほら、見てみなよ』
続けてまるで玉ねぎの皮がむけるようにパリパリと金属の層が剥がれ落ちて腕が縮小し始めると、最終的に渚のものほどのサイズにまで縮んでいった。
「ロボットの腕が小さくなった?」
『この基地でも最高ランクの義手に該当するのがこれさ。ハンズオブグローリーシリーズAT532、通称『ファング』』
「ファング……」
『本来であれば義手なんかに使うような安いものじゃないんだけど、今は非常事態だしね。ほら、拾って』
「お、おう……って、うわ!? ウネウネ動いて腕に絡みついてくる。蜘蛛かよ。キモッ」
渚がロボットの腕を手に取ると、それは突如として八つの補助腕を展開して渚の右腕の断面部へと近付いて変形し、そのまま肩部までを覆う形で渚自身へと接続していった。
その過程で渚が「アイタッ」と悲鳴を上げる。
「おい、猫。なんか今チクっときたんだけど大丈夫なのか!?」
『神経と直接接続させたからね。痛覚は切っておいたけど、繋がったときのわずかなズレが痛みになったんじゃないかな』
何だ、それ? という顔をする渚に猫が肩をすくめる。
『けど、これでも随分と人道的な仕様には変わってるんだよ。昔は死ぬほど……というか、実際に発狂死するほどの痛みを伴うこともあったらしいから』
「ゲッ……」
その説明に渚が苦い顔になるが、猫は気にせず話を続けていく。
『ともかく、これでナノマシンの供給プラントの問題もなくなったわけだし、君の体内に造ったナノマシンコロニーは自死させておこう。あまり内部で異物を造ると身体に良くないものができるしね。数日は排泄物に奇妙な色のものが混じっているだろうけど、気にしないように』
「え? 排泄ぶ……何?」
『それは』
渚の疑問に猫が答える前に再び床が揺れた。それには渚が恐々とした顔をして、猫も目を細める。
「さっきから地震ばっかだな。日本が地震国だって言ってもこれは酷いだろ?」
『基地の外のセンサーが死んでいてよく分からないけど、振動のパターンからして自然のものではなさそうだ。それと、どうやら君を造った人間たちは全滅したようだ。機械獣がこちらに来るよ』
「待ってくれよ。機械獣ってあの映像のヤツだろ? それにドアは閉まっているし、だったら」
『いや、マズイね』
「ハァ? なんだよ、アレ!?」
渚が叫んだ。いつの間にか扉が赤く熔解しかかっているのが見えたのだ。
『獅子型……とでもいうのかな? タテガミのようなものが正面へと伸ばされて熱を発している。ほら、これだ。見えるかい?』
渚の視界に、この部屋の外の通路の映像が映し出される。
「おい猫。こいつ、まじデケぇぞ」
その様子を見て渚が叫んだ。
そこには猫の言う通り、まるで獅子のような姿をした巨大な機械獣がタテガミを伸ばし、その先を緑色に輝かせながら扉を熔かしている光景があったのだ。
【解説】
ナノマシン:
一括りにされてはいるが、実際にはナノマシンの統合制御システムを作中ではナノマシンと称している。その種別は有機型、無機型、複合型などに加え、長い歴史の中で第100世代を超えており、用途によって組み合わされて様々な形で生成される。
なお、それらは専用AIによって制御されており、ナビゲーションAIでも生成結果を指示する以上の把握はできていない。