第197話 渚さんと案内人
首都を出立してから2時間、渚たちは昼になる前にカスカベの町に立ち寄っていた。武装ビークルでクキシティまで直接向かえば夕方前には到着していたはずだが、渚たちはこの町に用があった。
そしてオオタキ旅団の占拠から解放され、すでに落ち着きを取り戻している町の中を通り過ぎながら渚たちが向かった先にあるものはカスカベアンダーテンプルの地上施設であった。
「よく来てくれたなリンダ、ナギサ。あのときは助かった」
「ようこそナギサ、リンダ。それにそちらは……なるほど、コシガヤシーキャピタルもことの重要性を理解しているということですか。ようこそマーカス上級騎士団長」
案内された応接室で待っていたのはこの町の狩猟者たちを取りまとめているノックスと、クキアンダーシティの市民であり施設の管理官を務めているミランであった。渚たちはこのカスカベの町でミランと接触するようにウィンドから指示を受けていたのである。
「マーカス?」
ノックスがミランの言葉に一瞬目を細めて考え込み、それから改めてマーカスを見てギョッとした顔をする。
「き、騎士団の?」
「マーカスだ。よろしく頼む」
その肯定の言葉にノックスがさらに驚きをあらわにした。
ノックスもマーカスのことは見たことがあったらしく、その表情に若干の怯えの色が見えた。対してマーカスは特に気にした風でもなく「騎士団はもう辞めた」と一言ノックスに返した。
「今はナギサたちに厄介になっている。俺のことは気にしなくとも結構だ」
そのマーカスの言葉にはノックスだけではなく、ミランも目をぱちくりとさせて渚たちを見た。対して渚の方は少しだけ苦笑しながら肯定の頷きを返した。
渚は理解していなかったが、この界隈においてコシガヤシーキャピタルの騎士団を束ねているマーカスは想像以上に広く認知されていた。事あるごとに強権を振りかざし介入してくる騎士団を狩猟者は嫌う傾向にあるのだが、騎士団のトップであるマーカスは埼玉圏の最強の一角として狩猟者からも一目置かれていた。プラチナクラスの狩猟者ヘラクレスとどちらが強いかは酒場で一夜に二度は話題になるテーマである。
そんな大人物が、ここ最近活躍し続けているとはいえ新人の狩猟者と共にいるのだからノックスが驚かないはずがなかった。もっとも、その衝撃からすぐさま立ち直ったのはミランの方だ。マーカスが埼玉圏内でどれほどの人物として見られていようが、クキアンダーシティの住人という立場からすれば所詮は地上の人間……ということであった。
「事情は分かりませんが、あなたがいるならば私も心強い。道中はどんな危険があるかもしれませんからね」
今後渚たちをクキアンダーシティに案内する予定のミランがそう言って頷く。
「場合によっては私が単独で運ばねばならないところでしたが……」
少しばかり安堵した顔でミランがそう口にした。
実のところ渚の検査が長引きハイアイテールジェムを輸送するのが遅れていたため、クキアンダーシティはさらに長期化するようであればミランに回収を指示する予定であったのだ。
もっともカスカベの町占拠で野盗に襲われた上に、ミランは以前のバーナム家の襲撃の件も知っていたので単独輸送には難色を示していた。そのため渚たちと共に戻れるならばそれに越したことはないとミランは考えていたのである。
「ところでミランさん、地下の様子はどうだい?」
「地下? ええ、問題はありませんよ。中央の部屋のアイテール結晶もこそぎ取って使用可能にはなっていますし」
「そうか。ならいいんだ」
渚がそう言いながら少しばかりホッとした顔をする。
どうやらドクとミケランジェロはただのアイテール結晶侵食体と偽装したまま、未だにアンダーシティにはバレていないようだった。
(ふぅ。どうやら問題ないみたいだなミケ……ん?)
渚がチップを介し、ミケに対して口には出さずに意思を伝えたのだが返答がない。
実のところ、現在のミケは本体から分離したスタンドアロン状態のドローンだ。人格構成こそ本体と同一ではあるが、マトリクスが宿っていないためにドローンのミケでは渚のチップに介入する権限を持っていない。なので現状では渚自身がチップを操作してミケに無線通信経由で連絡を送っていたのだが、いつの間にかミケはその場から消えていたのである。
**********
『やあミケ。こちらの呼びかけに応えてくれてありがとう』
渚がミケがいないことに気付いて首を傾げている頃、当のミケはこのカスカベアンダーテンプルの施設の屋上にまで上がっていた。そして、ミケの目の前には緑の水晶でできた猫ミケランジェロが佇んでいる。
『やあミケランジェロ。どのみち、話はしに行くつもりだった。先に声をかけてくれて助かったよ』
ミケランジェロの言葉にミケがそう返す。カスカベアンダーテンプルに向かう途中でミケはミケランジェロから暗号通信で連絡をもらっていたのである。また、ミケもその後にミケランジェロへ現状を伝えるレポートも送っていた。
『状況については今送られたデータで理解できた。ザルゴが負けることは想定されていた事態のひとつではあるが、その後については予想を大きく覆された感じだよね』
『そうなのかい。チップを寄越した時点である程度は予想できていたと思っていたのだけれども?』
ミケはドクとミケランジェロが今回の事態をあらかじめ予測できていたのだろうと考えていた。だがミケランジェロは首を横に振って否定する。
『残念ながら渚が雷恐怖症だというファクターは予想外だったよ。アレがなければ、予測のズレはそこまでなかっただろう。ガヴァナー・ウィンドがザルゴと直接対峙して五分と五分。そこに渚が介入すれば七割はザルゴが敗北すると読んでいたからね』
『ふむ』
ミケランジェロの言葉にミケが目を細める。
『とはいえ、結果として渚が強化されたということは喜ばしき事態だ。その上に君たちは機械種を使ったアンダーシティの復旧を行おうとしている。これは面白い展開だね』
『そうかい。だけどただ観客としているだけではつまらないんじゃないかい? 僕としては君たちを招きたいと思っている。ドクの知識が必要だ』
ミケの言葉に『理解している』とミケランジェロが返す。
『ドクも乗り気だ。問題はクキアンダーシティだね。あちらが僕たちを認め、他のアイテール結晶侵食体とトレードという形が取れるならそれが一番スマートなのだけれども』
『これから交渉に行く予定さ。君たちのことは取引の材料にしても?』
『ドクとしては問題ないそうだ。ずっと隠れんぼも好みではないと言っていたしね。一週間で愚痴を言い始めたからどのみちバレるのも時間の問題だろう』
そう言うミケランジェロに、ミケがにゃーと鳴いて返す。
『なるほど、君も苦労しているようだ』
『大したことはない。むしろ、侵食体となったことで彼女の情緒も安定した。以前よりは気も楽になったよ』
そこまで言ってからミケランジェロが目を細めてミケを見る。
『それと君の言う機械種を核にしたアンダーシティの件だが……僕はそれにはパトリオット教団の協力を仰げないかと提案する』
『彼らとはあまり関わり合いになりたくはないのだけれども。それはどうしてだい?』
自分たちを生み出した相手ではあるが、ここまでの経緯を考えれば警戒して当たり前。協力するべき相手だとはミケには思えない。
『心情は察してあまりあるが、彼らは先駆者でね。ノウハウを記録している可能性がある』
『先駆者? 機械種の?』
『それもあるね。ただ、実は彼らは機械種を核とした都市のノウハウを持っている可能性がある。君も知っているだろうがパトリオット教団は北アメリカ大陸から逃れてきた者たちの子孫だ。正確にいえば彼らはアメリカ領にあったフリーダムコロニーというアンダーシティの前身から逃れてきた移民なんだ』
『フリーダムコロニー……』
ミケがミケランジェロの言葉を反芻する。聞き覚えはないはずだが、どこか引っかかる名だとミケは感じた。
『そこはかつて機械種をコアとして繁栄していた都市だ。おそらくだけどチップはその機械種から株分けされたものだろうね』
『なるほどねぇ』
ミケが頷き、その様子にミケランジェロが肩をすくめながら話を続けた。
『君がしていることは一種の先祖帰りに近い。そしてかつてと同様の道を君たちが歩もうというのならば、フリーダムコロニーの情報を有している可能性のあるパトリオット教団の協力を仰ぐのもひとつの手だということさ。まあ、判断は君の主人に任せるべきだろうけどね』
【解説】
フリーダムコロニー:
機械種をコアとして世界中のコロニーを束ねていた、まさしく世界の中心だった都市。終末の獣に破壊され、そこに黒雨が降り注いだことで住人の多くは死に絶えた。その後の暗黒時代を越え、アンダーシティなどといったものも生み出されはしたが、人類は栄光を取り戻すには至らず現在に至っている。