第192話 渚さんと市長への決断
「なんかウィンドさん、連れてくるって言ってひとりでいっちまったぞ」
渚がシェルタードームの前でそう口にした。
リンダが降りてくると話してからウィンドは渚と山田をこの場に置いてひとりでエレベーター前へといってしまったのだ。その様子に釈然としない顔の渚にミケが肩をすくめた。
『まあ、ウィンドもリンダと話したいことがあるんだろう。君のいないところでさ』
「あたしのいないところってなんでだよ?」
渚が首を傾げながらミケを睨みつける。
『君に突っ込まれても面倒だし、君の意見にリンダが左右されず、己の思うことを口にして欲しい……とか、そういうことを考えてるんじゃないかな』
「あたしは別にリンダに強制する気はねえよ」
口を尖らせて抗議する渚にミケが首を横に振る。
『君はそう思ってもリンダにとってはそうではないかもしれない。それと君に聞かせたくはない話があるのかも。さっきのウィンドの様子はちょっと普通じゃあなかったしね』
ミケの言葉に渚の眉間にシワが寄った。確かに上から届けられた報告を見たウィンドの表情は一瞬硬くなっていた。それが何を意味しているのか分からない渚はやはり自分もいった方がいいのではと腰を浮かせた……ところに山田が自分の持っていた端末を渚に見せた。
「誤解のないように言っておきますが、ガヴァナーが驚いたのはこれですよ」
「なんだよ? リンダとザルゴの会話記録?」
端末のモニターに書かれた文章に目を向けた渚が眉をひそめる。
「ん? これどう言う意味だ?」
書かれている一文は渚を困惑させるには十分だった。何しろそこには関西圏の中心となっているオオサカが消滅し、周辺も壊滅状態で生き残った関西圏のコミュニティも混乱している……というような内容が書かれていたのだ。オオサカが消滅とはどういう意味なのかと渚が考えていると『書かれている通りの意味だろうね』とミケが口にした。
『関西圏が壊滅か。原因は分からないが、これは色々と考える必要がありそうだ』
「ええ、野盗の思惑に乗れば、我々も容易に関西圏をとれるぞ……というような意図がザルゴにはあるのかもしれません」
「そりゃあどういうことだよ?」
『この話をオープンにしてきたということはだよ。ザルゴはコシガヤシーキャピタルと野盗を協力させて弱体化した関西圏を落とさせようと考えているんじゃないかな?』
「そりゃあ……いや、それってどうなんだ?」
ウィンドがアースシップに収容できないコシガヤシーキャピタルの人間を乱暴な方法で関西圏に移住させるつもりであるとの話はすでに渚も聞いている。渚の地下都市復旧計画が成功すればそうする必要はなくなるだろうが、実現できなければウィンドはやはり実行するだろう。そこに野盗の勢力も加わる可能性が出てきた。そして両者が協力すれば確かに関西圏を奪える確率が高くなるだろうということは渚にも分かる。
『今の力関係ならば野盗を一方的に支配して、関西を奪うことも不可能ではないだろうけど……そうなっても死ぬよりはマシとザルゴは思っているんじゃないかな』
「あいつが……そういうもんか?」
渚の問いに山田が頷く。
「そうですね。人の上に立つということは一筋縄ではいきません。ザルゴとてここ十年で急速に野盗を拡大していった人物です。立場は違えど、あの男が有能なのは確かでしょう。今回の件とて、ザルゴなりのギリギリの選択であったのでしょうし、その後のことも彼は彼なりに考え話をしているのでしょうね」
そう言って山田が渚を見た。その瞳には渚を試すかのような色がある。
「ナギサ、あなたもよく考えておくべきです。あなたはガヴァナーに並ぶ道を選ぶことになる。であれば、いつか決断が迫られる。いや、いつだって決断は迫られているのです。あの人のように」
「決断って、あたしはまだ決めたわけじゃ」
渚はそこまで言ってから、少し思案して首を横に振った。
「……いや、そうだな。考えておくべきか」
市長となるべきか否か。それこそが山田の言う決断の最初なのだろう。
そして多少時間が過ぎてからウィンドとリンダがその場に現れた。
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「十年……ですの?」
リンダが苦い顔でそう口にした。
ウィンドが先にリンダに会いにいったのは状況のすり合わせ以上のものはなかったらしく、席に着いたリンダが最初に知らされたのは瘴気のタイムリミットだった。ザルゴから知らされた話のうち、関西圏についてはウィンドたちも全く情報はないが瘴気については違う。実際に瘴気が消えるか否かの問いに返ってきたウィンドの答えにリンダは目を丸くし、その様子に渚が苦笑した。
「そうだぜ。早いのか遅いのかは微妙だろう?」
「ナギサは知っていたんですの?」
訝しげな顔をしたリンダが尋ねると渚は頷いた。
「ああ、野盗の仲間だったドクに昨日聞かされたんだよ。ここのふたりと……それとライアン局長も知ってるな」
「局長も……というと、あのときの機密情報って……そういうことでしたの」
リンダの独り言のように呟いた言葉に渚が頷く。
カスカベの町で野盗を倒した後に渚がライアンと何を話していたのかをリンダはようやくここで知ったのだ。
「まあ、今後の行動指針にも関わってくるから……どっかのタイミングで話そうとは思ってたんだけどな。何しろ色々と面倒が付随するらしいんだよ。なあミケ?」
『そうだね。それにリンダ、君はアンダーシティ側の人間だ』
「それがどうかしましたの?」
首を傾げるリンダにミケがヒゲを揺らしながら言葉を返した。
『瘴気がなくなるという事実が地上で広まった場合、アンダーシティは地上と距離をとる……いや、リスクを回避するために地上を捨てる可能性があると僕は考えている。だから情報が漏れる危険をあまり犯したくはなかったんだよね』
「アンダーシティが地上を捨てるってそんなこと……ありませんわ」
「いいや、あるよ」
リンダの言葉を即座に否定したのはウィンドだった。
そして断言したウィンドにリンダが眉をひそめたが、次のウィンドの言葉を聞いて目を見開いた。
「実際にこの埼玉圏の地上は一度全滅してる。今の埼玉圏は実際には全滅後に復旧した後の、二度目の世界なんだよ。コシガヤシーキャピタル設立以前の話だけどね」
「は? マジかよ、それ?」
それには渚も驚きの顔をウィンドに向ける、山田の方も頷いてウィンドの言葉を肯定した。
「ガヴァナーの言葉は事実です。かつて地上は一度アンダーシティと対立して決裂したことがあります。その際は百年ほどアンダーシティは地上とは交流を持ちませんでした。そして、現在の関西圏の人間はその頃に生き延びた者たちの子孫と言われています」
その言葉に渚とリンダは目を丸くしたが、ミケは『なるほどね』とだけ返して頷いた。
『それでもアンダーシティにとってはその判断は誤りではなかったんだろうね。彼らが継続している以上はね。ただ地上の人間にとっては……そうではないはずだ』
「アンダーシティの加護のない世界など考えられませんわ」
『そうだね。アンダーシティの協力が得られなくなった時点で浄化物質を抑えるナノミストの地上への供給が止まるかもしれない。そうなれば、それだけで地上の人間の全滅は時間の問題だ。関西圏を含む浄化物質の影響範囲外に逃げるか……ただ、それもアストロクロウズなしでは難しい。黒雨があるからね。ただアストロクロウズは数が少ない。ほとんどの人間は外に出れない。となれば地上の人間がとる行動はアンダーシティへの移住だろう』
「それは……無理でしょう」
リンダが苦い顔をしてそう返した。アンダーシティの移住権、つまりは市民IDをとるのがいかに難しいかをリンダはよく知っている。知り過ぎているほどに知っている。それが容易ではないことも、人数が限られていることも。
『そうだね。でなければ君は今こうして苦労をしていない。ただ、どうしようもなければ地上の人間は無謀でもアンダーシティに潜り込もうとするだろう。そうでなければ死んでしまうからね』
「対してアンダーシティにとって地上の価値というのはアイテールを供給してくれているという一点だよ。まあ後は人口調整の口減らしや逆に有用な人材のスカウトもあるけどさ。そこは内部でもどうとでもなる。そしてアンダーシティはアイテールを自給できるシステムを元々持っていて地上から回収しているのは備蓄に過ぎないんだよ。リンダ、集めたアイテールは『ハイアイテールジェム』という形で凝縮し各都市に均等に回していた。君はその仕事の途中で襲われたようだね」
ウィンドが語った話をリンダは正しく理解している。ザルゴの所持していたハイアイテールジェムはリンダの父親から奪ったもので、リンダが足を失ったのもそのときなのだ。
「どうであれ、地上との途絶は彼らにとっては決して取り得ない選択ではありません。一方でコシガヤシーキャピタルはアンダーシティに頼らない道をこれまで模索してきましたが、アンダーシティが閉じこもっても、瘴気が消えても残念ながら我々には現状を維持することが難しい」
そこまで言ってから山田はため息をついた。藻粥の材料である食用藻はこの埼玉海で生産されているが、それも黒雨が降り注げば全滅するのは目に見えている。彼らのこれまでの苦労が未来に葬り去られることは確定していた。それからウィンドがリンダを見る。
「じゃあ、どうしますのよ?」
「そうだね。危険を承知で関西圏を奪う選択を私とザルゴは考えたが……渚はアゲオアンダーシティを改修して地上の人間のシェルターにしようと提案してきた」
その言葉にリンダは渚と、それからウィンドを交互に見て眉をひそめる。
「そんなこと可能なんですの? いえ、たとえ可能だったとしても廃棄された都市には今もAIは生きています。都市が死んでいるように見えるのはあくまで人間にとっては……というだけですのよ。他のアンダーシティが許してくれると思いますの?」
その言葉にウィンドが「そこなんだよねえ」と口にし、リンダが「そこ?」と口にして首を傾げた。
「そう。確かに各アンダーシティは連盟のような形で協力関係にあってね。人はいなくてもアゲオは現在もその協力関係の中にいる。だから……」
ウィンドが渚とリンダを交互に見ながらこう口にした。
「君たちには一度アンダーシティに行ってもらって、彼らを説得して欲しいんだよ」
【解説】
アンダーシティの協力関係:
現在、埼玉圏内に点在する各アンダーシティには上下関係はなくそれぞれがスタンドアロンで活動している。もっとも不干渉というわけではなく、秘密裏にハイアイテールジェムの受け渡しをするなど協力関係にはあるようだった。




