第182話 渚さんと猫パンチ
「しっかし、空気が美味い気がするぜ?」
ザルゴに対して拳を構えながらも渚が不敵な笑みを浮かべてそう呟いた。
以前よりも体が軽いと感じていた。今まではミケを通して得られていた情報を把握できるようになっているような認識もある。ピクピクと頭の上で何かが動いていて、そこからザルゴやリンダ、マーカスの動きや状態も把握できている。アースシップの周囲に何かしらのバリアのようなものがあるのも感覚的に理解できた。
そして以前とは違い、鳴り続けている雷も渚が気にすることはない。その状況を一言でいうならば『生まれ変わったようだ』という言葉がやはり適切だろう。今、新しい目覚めを渚は感じていた。
『君の内部が周囲の環境に適応した結果だね。ずいぶんと生きやすくはなったんじゃないかな?』
ミケが渚にそう口にする。
今のミケは巨大な猫の形をした機械の塊だ。もはや以前のミケとは全く違う外観だが、渚もソレがミケであることは最初から分かっていた。ミケの腹のなかで治療を受けていても状況はホームの中でずっと見ていたのだ。だからこそ、ベストのタイミングで光学迷彩をかけたままミケから離脱して距離を取り、こうしてミケに集中していたザルゴの背後まで忍び寄ってハイアイテールジェムを奪うことにも成功していた。
「適応したっていうと今なら瘴気も平気ってことか?」
『まあね。耐性は高くなっているからアイテールさえあれば相当な時間は問題ないはずさ。ま、以前もナノマシンを全力投与すれば生き続けること自体は可能だったけどね』
完全に克服できているわけではないものの、渚の身体は以前よりもずっと強化されていた。それが渚の心に余裕を生んでいる。
それから渚が己の右腕へと視線を向ける。その腕はファングと呼ばれていた以前よりもずっと自分の腕のようにフィットしていた。
「こいつも前と違うな」
『強化もしたし、君とより強く結合してもいる。本当の腕以上に君はその腕を理解できているはず。そしてその腕は』
緑色の輝きを帯びた拳にはメテオファングと似た爪が四本装着されていた。その爪には拳から緑光のラインが続いていて、アイテールの光が循環されているのが見て取れた。そして、その名は……
『新たに進化していたその腕の名は……そうだね。キャットファングとでも名付けようか』
その言葉に渚が「え?」という顔をした。
「あの……ミケ? なんかパワーダウンした気がするんだけど」
『そうかなあ。良いと思うんだけど。キャットファング』
そのミケの返しに渚が肩をすくめると『それで』とザルゴが口を挟んできた。対峙する己を無視してのやり取りもザルゴにとっては貴重な情報源ではあったが、それよりも渚に己自身のことを把握される方が危険ではないかと感じ始めたのだ。状況は分からないが『今の渚は』強化された己のスペックを把握しきれていないようだと。であれば、ザルゴにとっては今こそが己に残された唯一の生き筋と感じていた。
『何があったのかは知らないが、お前があの化け物の主人と言うことでいいのかナギサ?』
「主人? というか保護者じゃね? あ、あっちがな」
渚がそう返し、ザルゴが眉をひそめる。
『どちらでも構わん。であれば……』
ザルゴが渚に対して一歩前に出た。このままミケに勝てる算段はザルゴにはない。けれども渚はミケにとって重要な存在であるようで、それはつまりミケにとってのウィークポイントでもあるのだろうとザルゴは推察していた。であればその渚を手に入れることが可能であれば……そう考えたザルゴは再び渚へと照準を定めたのだ。
対して渚も『へっ』と笑って一歩を踏み出す。
「別にいいぜ。タイマンしたいってことだろ。ミケ、手ェ出すなよ」
『そうだね。正直に言って僕はもう動かない方がいいだろうし、その体の使い方は君の頭に仕込んではある。存分にやっちゃいなよ』
ミケの言葉に渚が頷くと、さらに腰を落として右腕に力を込めて肘からガコンと何かを飛び出させた。
『なんだ? ソレに腕にシリンダー? ファングではない?』
その様子にザルゴが眉をひそめる。渚の右腕に装着されているマシンアームは明らかにハンズオブグローリーシリーズのファングとは異なるものだ。
まるで猫の手のような形状のソレをザルゴは警戒しながら己の右にある未だ稼働中の二本のファングの指と指を絡め合わせ、そのまま前に突き出してタンクバスターモードを起動した。
『まあ、いい。ナギサ、死んでくれるなよ。お前が生きていないと俺は逃げる手段がなくなるからな』
そう言いながら、ザルゴは重ね合わせられた緑光の拳を振り上げながら渚に向かって一気に突き進む。ザルゴがこの場を切り抜けるには渚の確保が必須ではあるが手加減して勝てる相手でもない。だからこそザルゴは渚の力量を信じて全力で向かっていく。
「ま、やってみるさ」
対して渚もキャットファングのブースターを加速させて駆け出していった。
「この腕の能力は……へぇ、こいつは使えるかな」
渚がそう呟きながらザルゴの巨大な緑光の拳へと踏み込み、キャットファングの掌底を振り上げた。そして手のひらから出ている肉球らしきものが緑光の拳と接触した次の瞬間、ガコンと肘から伸びた撃鉄が腕の中に入ったかと思うと右腕から拳大の薬莢が飛び出した。
『な!?』
「いっけぇぇええ!」
ザルゴが驚く前でアイテールの光が二人の間に放射される。それははたから見れば両者の間に巨大な緑の円盤が出現したかのようにも見えただろう。床のコンクリートは斬り裂かれ、衝撃波で湖面が波打った。
『アイテールライトに干渉して、方向性を捻じ曲げただと?』
タンクバスターモードの緑光の拳が消失して驚愕するザルゴの前で渚が「へっ」と笑う。それは残念ながら技術的な意味が分からぬが故のごまかし笑いではあったが、ザルゴの認識自体は正しい。肉球は接触した段階でアイテールライトのコントロールを奪い、その方向性を変異させていたのだ。結果として緑光の拳は渚には届かず、周囲へと逃がされた。
けれどもザルゴの目はまだ諦めてはいなかった。
『よくぞ我が一撃をしのいだ。けれどもそちらのファングも終わりだろう。であれば……』
そう叫ぶザルゴの腹から腕が飛び出す。それは右についた三本のマシンアームと同じもの。ザルゴの腹は機械化しており、その中にもう一本のファングが仕込まれていたのだ。ここまで隠し抜いたザルゴの切り札に流石の渚も驚きを口にする。
「嘘だろ。四本目のファング!?」
『ああ、これこそが最後の手だ』
ザルゴが勝利を確信した顔をしたが、渚の表情には驚きはあっても焦りはない。
「そうかよ。けどこっちもな」
そう口にした渚のキャットファングのシリンダーらしきものがガコンと動いた。
「まだ手はあるんだぜ」
渚はキャットファングのブースターを噴射して掴もうとするザルゴの腕を避けて上昇し、さらに肘から撃鉄を再びあげた。
『それはまさか、カートリッジ式のタンクバスターモードだと? なぜそんなものが!?』
「悪いなザルゴ。細かいことはミケに聞いてくれ」
そう口にした渚の右腕の撃鉄が再び落ちるとキャットファングの先に緑色の巨大な猫の手が出現し、そのままザルゴに向かって振り下ろされた。
『くっ、ぉぉおおおおおお!?』
そしてその一撃はまるで猫が虫を叩き潰すかのように、ザルゴを腹から伸びたファングもろともコンクリートの地面へと押し潰したのであった。
【解説】
キャットファング:
マシンアーム『ファング』を機械種ミケが改造した、新しい渚の右腕。
シリンダー装填のカートリッジ式にすることで、出力を上昇させたタンクバスターモードを最大三度撃ち放つことができるように進化している。また指向性を持たせたアイテールのコントロールをジャックする機能なども搭載されている。