第171話 ウィンドさんと上級騎士長
時間はレインボーブリッジへの攻撃よりわずかに遡る。
深夜より始まった野盗の首都襲撃。黒雨に被せられた形で起こった危機的状況に対して、当然のことながらコシガヤシーキャピタルのガヴァナーであるウィンドは対応に追われ、アースシップの指揮官室で防衛作戦の陣頭指揮をとっていた。
ウィンドはチンチクリンでおちゃらけた性格ながら、この首都や騎士団の全てを掌握し、指揮をとることができる数少ない人間でもあった。彼女がガヴァナーという地位にいるのは常に実力を示し続けているからだ。多少のお茶目な性格を無視できるくらいには、彼女は仲間たちから信頼を受けていたのである。
「ガヴァナー。ソウカ方面展望台の戦闘は継続中です。外部協力者がその場より弾き飛ばされたとの報告もありましたが、落下時にブースターを用いて着地できたことをモニターで確認しました」
「あんがと山田くん。悪いね、こんなことまでさせて」
席から立って、いくつものモニターと地図をにらみながらウィンドがその場にいる山田に謝る。多くのスタッフがいる中でもウィンドが一番に頼りにしているのはこの山田であった。
「なーに、安心して土いじりができるようになってもらわねば困りますからね。他に人材がいないのですからお付き合いしますよ。古い馴染みですし」
対して山田は手でクイっと眼鏡を上げながらそう返した。
ノーミン最高責任者であり、このコシガヤシーキャピタルの頭脳のひとつでもある山田はウィンドと同時期に生み出された再生体だ。また特別な条件で選ばれたウィンドとは違い、山田はただその性能の高さゆえに生み出された者で、かつての戦争時などでは山田シリーズが大量生産され運用されていたとも記録には残ってはいる。もっともこのコシガヤシーキャピタル内でに彼は野菜を愛するひとりの男という立場を貫いていた。
ともあれ、そんなふたりを中心に組まれたこの首都の防衛体制は本来であれば野盗などがそうそう抜けるものではないはずなのだが、今回は初手で外街方面のセキュリティの一切を切断されるというヘマをやらかしているし、現在も野盗の侵入を許し続けている。
「しかしガヴァナー、外街を解放し過ぎたのはやはり仇になりましたね。通常のものとは別に、独自のラインも切られたとは……正直に言ってセキュリティが甘過ぎたとしか思えません」
「そう言わないでよ。外街は基本的には開放するのがうちの方針なんだから。緩衝材としても有用ではあるんだからって……山田くんも認めてたでしょ」
ウィンドが苦笑して言葉を返す。
コシガヤシーキャピタルの首都にはクレーターの内と外にそれぞれ街がある。内街はコシガヤシーキャピタルに管理されて地上のアンダーシティとも言われているほどに繁栄しているが、外街は言ってみれば埼玉圏内の都市周囲に住んでいるアウターのキャンプ地を拡張しているものに近い。
それでも外街のクレーター上部に近付くに連れてナノミストの影響が大きく住みやすくなるため、外街内での格差が生まれて独自の社会を形成していた。そして、コシガヤシーキャピタルは外街の上層の者たちを内街への移住権を餌にする形で首都全体を管理していたのである。
「それでも警備に関しては、こちらだけで握っておくべきだと忠告はしましたが」
「んー、下手に反発されても困るしねえ。ま、後の祭りだよね。どうせ、ここから先はそれじゃあ駄目だろうし」
ウィンドがギュッと拳を握り、その反応に山田は眉をひそめた。
昨日にドクがアウラに接続して聞き出した『浄化物質の制限時間』だが、実のところアウラの監視を常に行なっていたウィンドたちも情報のやり取りを観測することで内容を把握していた。
それは彼らもずっと求めていた情報ではあったのだが、アウラの影響がどう及ぶか分からぬ故に今まで手出しできていなかったのである。
アウラのコミュニケーターとして存在しているウィンドも、その実態はアウラのバイタルを測るために用意された再生体でしかない。
そもそもがアウラとは直径1キロメートルを超える巨大なアイテール結晶侵食体だ。そんなものがこの首都の遥か地下に存在している。その恩恵は大きいが、刺激すれば大惨劇が起きかねないのは、アウラを知る誰もが理解していることであった。
またカスカベの町の地下でドクの身に起きたことだが、実は『アウラが敵対行為に対して防衛を試みた』というわけではない。
ただ接触されたと感じたアウラが気になったから意識を向けただけで起きた現象であり、ドクがアイテール結晶侵食体になったのは、いわば少し触れて確認をした……というだけなのだ。
何かしら気に障ることをしただけでもアウラは一瞬で都市を壊滅させるだけの力を持っている。だからドクの行った行為はウィンドたちにとっても非常に危険なものではあったのだが得られたものも大きく、今の己らの置かれた実態を知らされたウィンドはコシガヤシーキャピタルという組織の方向性をすぐさま変えねばならぬ状況に追いやられていた。
「時間は有限。選別はしないといけない。まあ、非道はこちらで受けますよガヴァナー。君は彼らの希望でいるべきだ」
「私はそうするつもりはないけど……ただ今は目の前の相手の対処だね。あー、テステス。戦況はどうかな、マーカス?」
そしてウィンドが続けて通信を開いた相手は上級騎士長のマーカスだ。
彼こそはウルミたち上級騎士を束ねる、騎士団の頂点にいる男であり、この首都の守護神とも謳われている人物であった。
『はっ、ガヴァナー。一時期は混乱がありましたが、外部協力者から外街付近の詳細情報をもらい、現在対応は順調に進んでおります。こういう事態を見込んで彼らを雇い入れていたとはさすがガヴァナー、やはり『母上』は偉大です』
その言葉にウィンドが「んーまあね」と曖昧に返した。マーカスはウィンドに育てられた義理の息子であり、極端なウィンド信者であり、つまるところマザコンであった。
『ところでガヴァナー。あのナギサという少女、ウルミが随分と買っていましたが……何者です? 見た感じですが、母上に似ているようにも見受けられたのですが』
その問いにウィンドが目を細める。
答えるべきか否か。ウィンドは少しだけ悩んだが、彼女が今話しているのは義理とはいえ息子。母親としてはそれを伝える義務があると感じた。
そしてウィンドが通信のラインを個人のものに変えてからマーカスに口を開く。
「オフレコだけどね。あの子、私の妹らしい。血縁上の……ということにはなるけど」
『なんと。そうなると私の叔母上ですか!?』
驚きのあまり声を大きくしたマーカスにウィンドが「静かに」と言って不機嫌な顔をした。それを見てホッコリしたマーカスであったが、すぐさま今の言葉の意味を考え直し「もしかしてオリジナルの?」と問い返した。
つい先ほどガヴァナーの隠し子説を口にした団員をボコボコにして貴重な戦力をこの状況で医務室送りにしてしまったマーカスではあったが、普段は沈着冷静な男であり、またマーカスは母親であるウィンドの素性も知っていた。
「うん。ただね。私はオリジナルがアイテール結晶化したときに固定された情報から構成された再生体だから、それより後に生まれた彼女のことは知らないんだよね」
ウィンドが少しだけ寂しそうに笑う。
実のところ、すでにウィンドは渚の素性を知っていた。同時に己とも縁深きことも把握していた。ただ、ウィンドは地下に眠るアウラがかつて人間であった頃をコピーした複製体ではあるのだが、複製された情報はアイテール結晶に侵されて固定される前のものであった。結晶化したが故にオリジナルの、人間としての生はそこで止まっている。
そして渚はウィンドのオリジナルが結晶化して固定された後にオリジナルの両親から生まれた少女が元の再生体だ。だからウィンドが保持している記憶の中に渚の存在はなかった。
「ま、あちらも私を姉と認識してなかったことにはちょっとホッとしてるかな。再生体とはいえ、実の姉から知らぬという顔をされるのはかわいそうだからね」
「そうですな。さすが母上、お優しくあられる」
マーカスが強く頷いた。マーカスもウィンドに「誰?」と言われたら年甲斐もなく泣き崩れる自信があったので渚には少なからずシンパシーを感じていたのである。
「ただ、好感は持てる娘だよ。縁があったのだから大事にはしてあげたい。ま、そういう事情だからマーカス、無駄話はお終いね」
ウィンドの言葉にマーカスが「はい」と返事をすると、二人は再び通信の範囲を全体に戻した。
「それでマーカス。野盗は三つに分断したけど、対処に問題はないよね?」
『はい。ソウカ展望台で怪腕のモランを、外街の第三経路で神脚のラッガを、ウラワゲート経由の通路で地獄耳のザイカが率いている野盗をそれぞれ押さえています。ソウカ展望台の戦力比も外部協力者によりどうにか……それよりもミサトゲート側の機械獣の群れが厄介です』
その言葉にウィンドがモニターのひとつを見た。そこに映っている光景は百鬼夜行ほどではないにせよ、明らかに異常な数の機械獣の群れであった。
『ウルミを中心に対処させていますが首都内の騎士団の三分の二と自警団にも参戦させてどうにか保たせているところです。野盗の対応を終え次第、部隊を向かわせねば危険かもしれません』
「そうだね。しかしミサト経由かマッドシティが手を貸したのかな?」
その名に周囲がざわめく。マッドシティ、その名の由来は定かではないがそれは埼玉圏に隣接する危険な都市のひとつであった。
『連中がこちらに弓引くとは考え辛いですが、あえて見なかったふりをした可能性は否定できませんね』
「だね。まあ、あとで問い詰めよう。それよりも団長のザルゴが見当たらない。こういう集団戦では必ず出てくる百目のロデムの姿もない」
『となるとやはり3つに分かれた野盗と機械獣は陽動?』
これだけの規模の襲撃である。最大戦力であるザルゴ本人が来ていないとは考え辛いとふたりは認識していた。そして、その直後である。
「え!?」
ウィンドの目の前でマーカスを映し出していたモニターが緑の光に包まれたのだ。
【解説】
義理の息子:
長き時を生きているウィンドにとってマーカスのような存在は少なくはない。ウィンドのもっとも大きな力とは、その手腕でも、特殊な能力でもなく、人と人との繋がりであった。