第165話 ウルミさんと雷の夜
『黒雨か』
夜半過ぎの首都コシガヤシーキャピタル。その内部にある騎士団の演習場倉庫の中で、強化装甲機を着込んだ完全武装状態のウルミがそう呟いた。
周囲にはカモネギ従騎士団の面々が、こちらも彼らにとっては最大の対人装備を整えて立ち並んでいる。
『嫌な時期に……いや、そうじゃないわね。だからこそか』
雷の光と音をフィルタリング処理で軽減させている強化装甲機内とはいえ、まるで雨のように雷が降り注ぎ続けている状況にはウルミも辟易としていた。もっともそれは防護服の上に身体強化用の補助外装を付けただけでアース処理も大してされていない従騎士たちにとってはさらに辛いはずである。
黒雨による大量の雷は埼玉圏に住む者にとって必ず遭遇するものではあるものの全員が適応できるわけではなく、雷恐怖症にかかる者は相応に多い。従騎士の入団試験には雷恐怖症の有無も条件に入っているためにこの場で渚のように動けなくなるような者はいなかったが、現実として落雷の恐怖はあるのだから怯えていない者もまたいなかった。
『ウルミ先生。カモネギ従騎士団揃ったけど、どうすんだ。このまま待機でいいのかよ?』
強化装甲機を着たビィがそう尋ねてくる。
現時点でのビィはカモネギ従騎士団の団長であるのだから強化装甲機の装着は当然許されているのだが、今回はビィだけではなく副団長であるケイもアイも同様に強化装甲機を装備している状態だった。
それらは元々予備として置かれているものだが、それを遊ばせておく状況ではないとのガヴァナーの判断から使用が許可されていた。
『今はこのままでいい。状況が分からぬ以上、無闇に外に出て無駄に感電したくはないだろう?』
ウルミの言葉にビィを始め、従騎士団たちが苦笑する。
今は屋根のある倉庫の中だから良いが、外では常に落雷の危険がある。雨も酷く、視界も最悪で、また距離を離れると通信も通じなくなる。当然雷鳴でまともに音も届かぬ状況だ。本来であればこのような状況での襲撃など正気の沙汰ではないのだが、だからこそ鉄壁の護りを誇るコシガヤシーキャピタルを襲うのであれば今以上の機会もない……と渚の報告を聞いたガヴァナーはそう予測し、現在ウルミたちは集合していた。
これはウルミたちに限った話ではなく、現時点での首都内にいる騎士団全員が同様に戦いのための準備に入っていた。
『お前たちも知っているように首都内にいる騎士団の戦力は通常の半数だ。今はグリーンドラゴンの動向をうかがうためにコエドベースに移動しているのだからな。そして本日、狩猟者管理局より届けられた情報により野盗による襲撃の可能性は高く、可能性がもっとも高いのはこの黒雨の間だ。ウチの親分は頼りなく見えるが頼りにはなる。あの人が予想したということはそうなると思っておいた方がいいのは理解しているな』
ウルミの言葉に全員の表情が引き締まる。
ガヴァナー・ウィンド。この街のトップは見かけからして頼りなさげな印象こそあるものの、実際にはそうではないのはこの町で生まれ育った団員たちの誰もが理解している。
埼玉圏という不毛の地をまともに生活できるまでに仕上げた最大の功労者。彼女がいたからこそコシガヤシーキャピタルはここまで繁栄してきた。多少どころではなく落ち着きがないという欠点こそあるが、彼女を尊敬しておらぬ者などコシガヤシーキャピタル内では存在していない。
そして、決して望まれぬガヴァナーの予測はやはり的中してしまう。
『ウルミ上級騎士。聞こえるか。外街に異変ありだ』
『マクシミリアンか。こちらウルミだ。どうしたの?』
『外壁との通信に障害が発生。状況からして正面ゲートまでの通信網が切断されたと思われる』
その言葉にウルミが舌打ちする。
ナノミストの効果範囲内である内街とは違い、クレーターの外側である外街から外周を囲っている外壁までは瘴気の影響により無線が通り難い。そのために有線の通信網を引いているのだが、通信兵のマクシミリアンからの報告はそれが通じなくなったというものであった。
『まったく、外街の警備兵は何をやっていたのかしらね』
アンダーシティほどではないにせよ移住権が厳正な内街とは違い、外街は外来の人間が多く住んでいる。つまりは野盗への協力者が潜んでいる可能性も高いということであり、そうした人間についてはコシガヤシーキャピタルでも把握はしていて監視ができているはずだった。だが、それが機能していない。
『警備兵からは連絡がない。殺されたか、取り込まれていたか。どちらにせよこれは相当に周到な相手だぞ』
マクシミリアンの言葉に『分かっているわよ』とウルミが返す。
カスカベの町も野盗側の者が内部に潜んでいたために、抵抗らしい抵抗もほとんどできずに占領されていた。そのことは渚とリンダを通じてすでに報告を受けていたし、同じ轍を踏まぬよう数時間前に警備兵には状況の連絡も済ませていたはずだった。
それがこのザマだ。少なくとも出がかりは完全に相手にしてやられたというのがウルミの認識であったが、それでも動揺するほどのことではない。今はまだ想定内。基本的に街の建物は他のシティのものと同様に堅牢で、敵の狙いはアースシップであることも知らされているため、作戦目標外である街の住人への被害はそうないはずだというのが騎士団内での見解となっている。
そして外街から展望台、内街、そして埼玉海という巨大な水の壁があるため唯一の入り口となるのは船までかかっている橋、そのすべてを攻略しなければアースシップへは辿り着けない。
『マクシミリアン、それでこちらはどう動く?』
『レインボーブリッジにはマーカス騎士団長がついた。上級騎士ウルミとカモネギ従騎士団は正門との連絡がつかない以上、外街経由で内街への侵入の可能性を想定してルートC5に沿って移動して奇襲に備えてくれ』
『なるほどね。承知したわ。それでナギサ……外部からの応援部隊は? こちらに付けてくれるって聞いているけど?』
『ああ、彼女らはすでに移動しているはずだ。展望台で合流を……いや、待て。なんだって?』
マクシミリアンからの唐突な反応にウルミが『どうした?』と尋ねる。明らかに何か良くないことが起こったという声だった。
『まずいぞウルミ。ミサトゲートだ』
『何があったの?』
ミサトゲートは首都コシガヤシーキャピタルの東側に位置するゲートだ。東京砂漠などに向かう際に騎士団が使用する無骨なゲートだが、マクシミリアンは続けて『機械獣だ』と震えながら声を出した。
『機械獣の襲来だ。なんて数だ。ミサトゲートに大量の機械獣が押し寄せている。ウルミ、お前たちはそちらに向かえ。このままだと街が機械獣に蹂躙されるぞ』
そして、コシガヤシーキャピタルの長い夜が始まった。一方で渚たちは今……
【解説】
黒雨による雷の雨とその対策:
降り注ぐ雨の中に混ざっている黒雨を瘴気が除去を行う際に発生する放電現象が雷の雨の正体だが、埼玉圏内ではその降り注ぐ雷の雨を蓄電器に溜め込むことで日々の生活のための電力を得ている。
結果として周囲の建造物は避雷針の役割を果たしてもいる。そのため建物の周囲にいれば落雷の危険性は抑えられるが、それは落雷しないというわけではなく、当然黒雨の際に外に出ることは推奨されていない。




