第159話 渚さんとチンチクリンの秘密道具
唐突にナビゲーションロボの中から現れたチンチクリンを渚は凝視する。いつからいたのかとも思ったが、そのナビゲーションロボは入り口から渚を離れず尾いてきていたのだから最初からということになる。つまり、ずっと中で待機していたのだろう。
(どういうことだ? 子供がガヴァナー? というかなんでロボの中に体育座りで?)
『何が目的なのかは分からないけど、こちらを直に観察したかったんだろうね。本当に彼女がガヴァナーだというなら、見た目通りの相手ではないのかもしれないけど。それよりも僕としては彼女が君によく似ているのが気になるんだけど』
(んー、そうかぁ。けど言われてみればそうかも?)
渚は改めてそのチンチクリンの姿を見た。
自分よりも背が小さく、胸はなだらかと言うよりは平ら。若干だが盛り上がりのある渚とは違い、完全なる壁であった。その背格好や壁具合から渚は自分の姉をわずかにだが連想したのだが、ただヘラッと笑っている表情は彼女の姉とは似ても似つかない。
(まあ、姉ちゃん……笑わなかったからなぁ)
何しろ渚の姉は話せばユーモアのある人物ではあるのだが笑わない……というよりは感情がまったく表に出ることのない人物であった。「私、感情がないからね」と中二病のようなことを口にもしていたという記憶もあったのだが……
(同じ人種だからそう思えるのかね)
ともあれ渚にとって目の前のウィンドという謎のチンチクリンが自分に似ているのは同じヤマト族だからなのだろうという結論に至った。
「んー、猫ちゃんと相談中かな?」
そして己の中で辿り着いた結論に納得した渚に、不意打ちの言葉がぶつけられる。それにウルミが眉をひそめ、渚の目が見開かれた。
「な、なんで?」
驚く渚にウィンドはしてやったりといういたずらっ子のような顔で笑った。それから「チッチッチ」と言いながら指を振った。
「話をするなら私を混ぜてくれないとねえ。ほら、竜卵を埋め込まれている以上はマトリクス付きのサブシステムは組み込まれているはずだからね。で、採用されるであろうミケランジェロシリーズならば大抵は猫のはずだから。ま、私はカンニングをしているから元々知ってはいたんだけどね」
『曲者だね』
ミケが一言そう感想を漏らした。
『まあ、こちらのことを理解してるなら話は早い。渚、端末越しで会話を望むかを聞いてくれるかい?』
「了解。ウィンドさんだっけか。うちの猫、端末越しからなら話せるけど呼ぶか?」
未だ事情の掴めていないウルミの前で渚がそう問うと、ウィンドは首を横に振ってから懐から何かを取り出すと渚に投げ渡した。
「こいつを使ってくれた方がいいかな。実際の猫ちゃんにも会ってみたいしね」
「おっと。なんだよ、これ?」
渚が受け取ったのはいくつものスリットが入った金属製の箱だった。それが内部でわずかに振動して起動すると、渚の横にいたミケの姿がわずかにブレたように思え、次の瞬間にウルミが「猫?」と口にした。
「え、ウルミさん。ミケが見えてる?」
それに驚いたのは渚だ。ミケは渚の視界に直接映し出される幻影に過ぎないはずなのだ。だから視覚を共有もしていないウルミがミケを見れるはずはない。だが、ウィンドも同様にミケのいる場所を見て「三毛猫かぁ」と口にした。
『へぇ、これは面白いね。渚、これはフィールドホロの発生装置だ。多少の力場を発生させられるから声や、ほら触った感じも出せる』
そう口にしたミケが肉球で渚の手をポンと叩くと確かに感触がそこにはあった。
「凄えな、これ」
「それは遺失技術の一種だけど、まあ私も猫ちゃんと話したいしね。それはあげよう。それでウルミ。彼、ミケというらしいんだけど、渚のナビゲーションAIの一種だよ。あ、三毛猫だから彼女かな?」
『彼で結構だよ。一応、人格は男性に設定されているし、AIに伴性遺伝も何もないからね。ガヴァナー・ウィンド、ウルミ、初めまして。渚の保護者のミケだ。もっともウルミとは初めてではないけどね』
ミケがそう口にした。
「そっか。初めましてミケ。ウルミ、彼は渚と共に君や君の生徒を助けてくれていたんだよ。感謝はしておいた方がいい」
「あ、なるほど。そういうカラクリでしたか。初めましてミケ。的確な判断で我々を救出してくれたのはあなただったというわけね」
ウルミは渚に感じていた違和感の正体の一端をようやく把握できたと感じた。時折見せる渚の外見や性格から想定できない行動や発言も第三者が介在していたものであるのだとすれば、それは確かに納得のいくものだったのだ。
『別に僕は渚が望んだことへの助言をしているだけだよ。僕はあくまでナビであって主体ではないから』
ミケがそう言って前足で顔を洗う動作をする。
「そうは言ってもね。いくら姿を隠しても気付く人間は気付くし、違和感だってあるよ。自分をさらけ出してみた方が不審がられないと思うけどどうかな?」
確かに先ほどの言動からウルミが何かを感じ取っていたのは渚も理解できたし、眼爺にも以前に見破られていた。他の人間にだって何かしら感じ取っていただけならば、きっと無数にいたのだろうとは渚も分かっている。
『そうだね。ここ最近は端末越しから人を選んで顔を出すようにはしてたんだけどね。ま、僕としてもこの方がノビノビできるから良いかな』
「いいのか?」
首を傾げる渚にミケが頷く。
『うん。前にも言ったけど、猫の姿で行動しているのはAIのストレス解消の一環なんだ。君以外の多くの反応を元に猫として振る舞えるのであれば、僕としてはその方が生理的によろしいんだよ』
「ふーん、よく分からないけど」
「まあ人間と共存するAIは敢えてストレスを付与し、その解消として人間と接するように組み込まれているんだよ。相互の協力関係はコミュニケーションの基本だからね。用途にはよるけど」
ウィンドの言葉に渚が分かったような分からないような顔をしていると、ウルミがコホンと咳払いをした。
「それで和んでいるのはいいが、そこのチンチクリン。ナギサが話した襲撃の件、騎士団としては流せる話ではないのだけれど続けてもらってもいいかしら?」
「はっはー、チンチクリンとは失敬だねウルミ。いや、そんな顔しないでよ。ウルミの顔はただでさえ怖いんだから」
「ガヴァナー」
さらに睨み付けてきたウルミに少しばかり腰が引けたウィンドが両手を挙げて降参のポーズを取った。
「あーはいはい。分かってるよ。私は物事を円滑に進めるために下準備をしただけなんだってば」
「それでガヴァナーは知ってたんですね?」
「ま、カスカベの町が襲われたのはね」
その言葉に渚が眉をひそめる。
「知ってたって、カスカベの町が襲われることをかよ?」
渚の咎めるような声にウィンドがブルブルと首を横に振った。
「あーいやいや。そうじゃないよ。私が知ったのはついさっきだもの。何しろ急な接触があってね。いきなりだったから私も押さえるのには苦労したんだよ。だからギリギリ止まったでしょ? 流石に仕掛けた方は間に合わなかったけど」
「?」
ウィンドの言葉に渚が眉をひそめた。
何を言っているのかは分からないが引っかかるものもあった。
けれども、その言葉に先に反応をしたのはウルミの方だ。
「接触があっただと? ラボが騒いでたのはそれか」
その問いにウィンドが頷く。
「そうだよ。だからね。この街が襲われるってことは私も知らない情報だ。どういうことか教えてもらえるかな渚、ミケ?」
【解説】
フィールド・ホロ:
ナノミストを散布し何もない空間上に光の反射を発生させる技術である。ナノミスト同士がクラウドネットワークを形成して空力計算を行っているため、ある程度の風力であれば逆に利用することで空間固定を安定させることも可能。
何もない場所に映像を表示したり、光の集積装置として利用する他、大規模展開することで光学兵器として使用されることもあり、埼玉圏を黒雨から滅却消毒する際にも使われている。




