第126話 渚さんと人間の定義
「オラクルねえ。なんつーかさ。映画ならラスボスって感じの相手だよな」
話を聞いた渚の感想がそれであった。無論、かつて観た映画を渚が覚えているわけではないため、概念としてそんな感じがするというところではあったが。
「ラスボス? なんですのそれは?」
リンダが意味が分からないという顔で首を傾げたが、渚の言葉の意味を理解しているミケは『そうでもないと思うよ』と反論した。
『確かにエンターテイメントの悪役は巨大な権力を担う存在であることが多いけどね。例えばだけど、かつての支配者級AIは住人の感情を抑制する形で支配していたこともあった。君が言う物語の最後の黒幕的な役割を担うとすれば、そのときのAIが該当するんだろうけど』
「そのときのっていうと……今は違うってことだよな。どう違うんだ?」
渚の問いにミケが少しだけ考えてから口を開く。
『その時代では反発した人間がコロニー……アンダーシティとだいたい同じものだね……から外に出てレジスタンス化したんだ。そして、限りある資源を人口調整してやり繰りしているコロニーに対しレジスタンスは数を増やし続けていって、やがてコロニーに略奪行為をおこない始めたんだ。それはもう酷い有様だったそうだよ。特にコロニーの人間は感情が抑制されて争うことも禁じられていたからね。憂さ晴らしで殺されて、捕獲されたコロニーの人間は奴隷として売り買いされていたともある。それにコロニーの中にいた人間の多くは耐性が低く、外では長くは生きられなかったから消耗品扱いだったようだ』
ミケの言葉に渚とリンダが眉をひそめた。
想像以上に過酷な状況だったことはミケの言葉からだけでも想像がつく。そうした時代があったということがふたりの少女には衝撃的であった。
『ともあれレジスタンスは略奪をやめられない。基本的に彼らは生産する手段が乏しかった。当時は今の黒雨ほどではないけど土壌汚染が深刻だったからね。まともに作物が育つ場所も限られていたし、育てても略奪されて後に続かない。最終的に追い詰められたレジスタンスは決戦兵器を奪った挙句に文明を崩壊させたそうだよ。終末戦争という言葉を君たちは何度も聞いたことがあるだろう?』
「確かに……けど、そんなことが本当に起こったのか?」
起きたからこそ今のような世界があるのだとは渚も理解できていた。けれども、それを実感できるかといえば否だ。ただ、ミケは渚の問いに『さてね』と言葉を返した。
『僕も詳しくは分からない。今の内容もデフォルトでインストールされていた辞書機能の情報をつなぎ合わせたものだからね。まあ戦争とは勝者によって都合の良い物語として語られるものだから正しい情報かも定かではないけど……少なくとも僕が製造された頃の一般的な常識ではあったんだろう』
「むぅ」
何かはぐらかされた感じを受けた渚が眉間にしわを寄せたが、ミケは特に気にする風もなく話を続けていく。
『で、話を戻すけど当時の反省を生かして隔離都市計画は見直されて住民のメンタルケアを重視するようになったらしいんだ。おそらくオラクルもその方針を受け継いでいるんじゃないかな。実際、リンダを見れば少なくとも精神面での健全性については問題ないとは分かるだろう?』
「わたくしがなんですの?」
リンダがキョトンとした顔で首を傾げた。
「リンダがまともなんだからオラクルが悪いってことはねえだろって話だな」
「当然ですわ。オラクルは正しき存在。アレに間違いなどありませんから」
そのリンダの返しに渚が眉をひそめるが、ミケは『まあ、思想の偏りは仕方ないんじゃないかな』と返した。
『本来はクラスタ化して制御されていたものだけど、スタンドアローン化した状態でも数百年も維持されているんだからシステムは正常に動作していると思っていいよ。渚、第一印象で人を疑うのは良くないんじゃないかな?』
「人って……AIだろ?」
渚がそう返すが、ミケは首を横に振る。
『その認識はここでは……いや、アンダーシティに対しては改めたほうがいいと思うよ。僕もそうだけど知性を有する高度AIには基本的に人権と魂が存在している。オラクルの立場であれば市民IDは最高位のものとなっているだろうね。オラクルは制約こそあるだろうけど事実上、アンダーシティ内ではもっとも優先されるべき『人間』となっているはずだ』
「人間? あたしらよりも上ってことか?」
ミケの言葉が実感として感じられない渚はますます眉をひそめる。
『そうだね。アンダーシティではそれで正しい。君の常識とは違うだけさ渚。オラクルは人間だ。人間を人間たらしめているものは魂であり、社会的な地位は貢献度によって決まる。当たり前の話だろう。だからオラクルは正しく人であり、それを否定することは差別主義者とされるのがかつての社会であり、それがアンダーシティ内の常識でもあると思うんだけど』
そう言ってミケがリンダを見ると、リンダは考え込んだ顔をしながら唸った。
「申し訳ありませんが、わたくしはアンダーシティでAIと接したことはありませんのよ。オラクルが我々の上位存在であることは確かで、他にもAIが存在していることは聞いたことがありますけど」
『ふぅん。住む場所を分けているのかな? まあいい。ともかくだ。アンダーシティは各オラクルが支配し、埼玉圏の地上はコシガヤシーキャピタルのトップであるガヴァナーが支配しているのだったねリンダ』
「はい。正確に言えば、西側の一部はオオタキ地獄村を拠点とするオオタキ旅団が支配しているのですけれどね。公的には認められておりませんが」
第三勢力オオタキ旅団。それは埼玉圏の東にあるクキシティでは影響力は薄いが西側では大きな勢力であるとされている。さらにはパトリオット教団や北より侵攻し続けているグンマエンパイアなる存在もあり、埼玉圏は安寧には程遠い現状であった。
「ややこしいなあ。で、コシガヤシーキャピタルは南だよな。あたしらは南下して進んで行きゃあいいんだろ?」
『そうだね。途中にカスカベアンダーテンプルがあるし、確かそちらにも立ち寄ってくれとライアンに言われていたね』
それはコシガヤシーキャピタルへの招待状を持ってきたライアンからの依頼であった。カスカベアンダーテンプルのあるカスカベの町はアンダーシティを持たぬ集落のひとつだが、アンダーシティが秘密裏にアイテールを採掘している場所でもある。
「ええ、一度立ち寄って機械獣の被害があれば対応して欲しいとのことでしたわ。今はどこも人手不足が深刻なようですから。アンダーシティ管轄ですから騎士団にも頼めませんし」
「どうせ移動ルートにあるわけだし立ち寄れってんなら立ち寄るさ。それよりも明日は弾薬買ったらそのまま発とうぜ。世界がどうであってもさ。ひとまずは新鮮な野菜を手に入れることが最優先だからな!」
【解説】
人権:
魂の複製すらも可能となった超未来においては、権利を与えられた者のみが人間とされている。それは市民IDという形で今も残っており、市民IDなき者は人間とは判断されず、従ってオラクルは地上にいる人間を人間と認識してはいない。




