コールミー
午後9時27分。
耐えきれなくなり、私は携帯を開いた。
家に帰ってから、ずっと、
電話をかけたい、という願望と、
電話をしてしまったらこの先どうなってしまうのか、という不安の間で揺れていた。
そんな葛藤の中、ついに今、電話をかけて彼との関係を進展させたい、という想いが勝ったのだ。
とは言っても緊張はする。
震える手で番号を押していく。
「あっ、間違えた…」
手が震えているせいか、何度も番号を押し間違え、全て消してはまた最初からやり直す。
それの繰り返し。
きっと、少しでも時間を稼いでいたかったのだろう。
何を話そうか。今日目をそらした事を彼はどう思っているのだろうか。もう私の事なんてどうでも良いのではないだろうか。
たくさんの思いが複雑に交差しあって、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「こ、こんにち…ばんわ!!!!」
そのせいか、はたまた、
ワンコールで電話が繋がってしまったことへの驚きからか私は最悪なスタートをきってしまったのだった。
(おかしな挨拶をしてしまった…!!)
「ごほんごほん。こんばんは、端野由佳です。」
咳払いをして誤魔化した、ことにして私はいつも通りの平静を装った。
『…。』
「あの…?」
全く返ってこない返事に不安になる。
やはりさっきの挙動不審がいけなかったのか。
「ごめんなさい。もう一回かけ直します…」
終わった事は仕方ないが、せめて初めからやり直そうと携帯を耳から話した時、初めて彼の声が私に届いた。
『ちょっと待って、切らないで!』
「は、はい。」
彼の焦った声に思わず頬が緩む。
彼と話をしている。
その事実が歯がゆくて恥ずかしくて仕方がなかった。
『…まさか、君が電話してくれるなんて思ってなかったから…驚いて。えっとー、』
彼は私がさっきしたようにごほんと咳払いをした。
『こんばんは、皆藤風です。』
彼は律儀に、私がしたように自分の名を名乗り返した。
「はい…。」
私の携帯から彼の声が流れてくるなんて、夢みたい。
いや、これは夢の中なのではないだろうか。
もし本当なら私は彼に何を話していいかわからない。
本物の彼と話すなんて今の私にはレベルが高すぎる。
しかし、嬉しいことにこれは夢ではなく現実。
早くも2人の間に沈黙が流れ始めた。
私はこの沈黙に少し焦ったが、どうやら彼は違うらしい。
彼はこの沈黙を楽しんでいるようだった。
この沈黙を噛み締め、味わっているようだった。
私はそんな風に感じた。
しかし、この沈黙を破ったのもまた彼であった。
『今日、電車であった時話しかけようとしたんだ。』
電車に乗ろうとした時、電車の中に彼の姿を見つけ思わず乗るのを躊躇ったほど臆病な私は、電車に乗っている間ずっと俯いていた。
私が顔をあげたのは、彼が電車を降りる寸前の時だった。
『それに、目が合った時、逸らされちゃったから』
私は電車の中と同じように俯いた。
『あっ、そういうことじゃなくて!君に嫌われてるのかなって、それで電話してもらえたことに驚いたんだ。…そう。』
彼は言葉にしたことでより納得したようで、一通り話し終えると口をつぐんだ。
「そうなんだ。」
また流れ始める沈黙。
しかし、もう私は焦ったりなどしなかった。
部屋をぐるりと見渡して、机の上に置いてあるCDを手に取った。
「ねぇ、雪のプリンス、って知ってる?」
私はそんな感じに、身の回りで見つけたものを会話の話題につなげていった。
それはギリギリのところでやっとつないだ、ひどく拙いものであったが、彼も同じだと思った。
だから、私達は夜通しそんな風に、少しずつ継ぎ足し継ぎ足しで会話をしていったのだった。