長所と欠点
“原稿用紙100枚以上の小説を書く!”
その目標に向って、僕はひたすらに走り続けた。いや、正確に表現すれば“走ったり、歩いたり、止まったりしながら、どうにかこうにか進み続けた”だろう。止まっている日の方が多かったくらいだ。
それでも、毎日、真剣に小説と向かい合い続けていたことだけは確かだった。ただの1日も気をゆるめたりはしなかった。1文字も書けない日だって、朝から晩まで「次は、何を書こうか?」「次の1行は?次の1文字は?」と必死になって考え続けた。
そのかいあって、最終的に原稿用紙109枚の小説が完成した。実に3ヶ月以上がかかっていた。だが、悪魔の指示がなく、これまで通りの方法で押し通していたら、何も書けずにただボ~ッとし、それまでと同じように広場で小説家志望者たちと無駄な話をして過ごしてしまっていた3ヶ月だっただろう。
それを考えると、随分と充実した時間を過ごせたものだ。
「オマエデトウ!オメデトウ!」と、オウムのピャーロットも、ほめてくれた。
「どうも、ありがとう」と、僕は答える。
「アリガトウ!アリガトウ!」と、ピャーロットは復唱する。
すると、さっそく鏡の中から悪魔が声をかけてくる。
「さあ、読み直してみな。たった今、完成したばかりのその原稿を。自分自身で読み直してみな。ただし、作者としてではなく“読者”として読み直すのだ。自分で書いたのではなく、全然知らない別人が書いたつもりになって、だ」
簡単そうに思えたが、それはとてつもなく難しい行為であった。難行だ。
「他人が書いたモノ。他人が書いたモノ。他人が書いたモノ…」と、僕は何度も何度もつぶやきながら読み進めたが、どうしてもそんな気にはなれない。
どうしたって、あっちもこっちも自分で苦労して書いた思い出がよみがえってくる。
「ああ~、ここはこんな風に苦労したんだよな。こっちは、こう工夫したんだ。ここなんて、読者を驚かせようと仕掛けをしておいたし。でも、この伏線は結局生かし切れなかったな~」などと、次から次へと個人的な感情がわいてきてしまうのだった。
最後の1文字まで読み終えて、ポッ~ンと、僕は自分が必死になって書いた原稿を放り投げた。
「どうだい?感想は?」と、鏡の中の悪魔は尋ねてくる。
フ~ッと、ひと息、大きなため息をついてから、僕はこうもらした。
「酷いもんだ。まったくもって酷いもんだ…」
意地悪そうに、悪魔は続けて質問してくる。
「どこがどう酷いって?」
「どこもここもあったもんじゃない。何もかも全てが、だよ!全部酷い!あちこち誤字脱字だらけだし、ストーリーは支離滅裂!文体は統一していないし、語彙力だってとぼしい。同じキャラクターが毎回違ったしゃべり方をしてるし、性格だってさだまっていない!こんなものは小説とは言えない!」
クククッと悪魔は楽しそうに笑ってから、今度はこう言ってきた。
「そうか、そうか。小説ではないか…では、逆の質問をしよう。その小説とも言えない何かの“よい点”はなんだ?他の小説にはなくて、そいつにはある。そういう長所というか利点というか、そういうものが1つくらいはあるだろう?」
それを聞いて、僕は真剣に考えてみる。そうして、原稿の最初のページから順番にパラパラとめくっていき、流し読みしながら考えていく。
「これの“よい点”か…」
ウ~ンと、頭をひねりながら必死になって探していく。このムチャクチャな小説もどきのよい点。他の小説にはなくて、ここにはある。
それから何十分も原稿とにらめっこしつづけ、ついに僕はこう答えた。
「そうだな…密度は高いな」
「密度?」と、悪魔が問い返してくる。
「うん、そうだ。密度だ。会話は少ないけれども、その分、地の文でビッシリだ。それも意味のない軽い文ではない。どれもこれも意味を持たせるように必死になって書かれている。ポンポン、ポンポンとストーリーが進んでいく。これが読者に伝わるかどうかはわからないけれども、少なくともズッシリと中身が詰まっている。密度は高い」
「フムフム。それから?それから?他にはないか?」
「他には…そうだな。最初はいい。出だしはかなりいいぞ。それに、ラストも。ラストシーンが上手い具合に最初のシーンにつながっている。文章自体はヘタクソだけど、そこだけは完璧だと言ってもいい。凄くいいアイデアだ!」
「ほほう」と鏡の中の悪魔は、感心したようにうなづいた。
「だけど、それだけだ。最初と最後。それに密度の高さ。たったそれだけ。他はもうムチャクチャだ。とても、こんなモノは小説だなんて言えやしない!」
僕はそう言い放つと、再び原稿を机の上にポッ~ンと放り投げた。
「合格だ」と、悪魔は言った。
「え?」と、僕は驚く。
「エ?」と、オウムのピャーロットも後に続く。
「合格だよ。最初の作品でそれだけ書ければ充分だ。分析能力の方も申し分ない。それが、お前の個性だ。才能だ。大事にしろよ、その才能」
「でも…」と、僕は言いかける。
「“でも”は、なしだ。長所は大切にしろ。今後も生かせ。逆に欠点の方は克服しろ。どこを直せばいいかは、わかってるな?たった今、お前が言ったばかりじゃないか」
それから僕は、たった今完成したばかりの原稿に手を入れ始めた。
だが、どこをどう直したって根本的に欠点だらけの作品だ。結局、僕は細かい誤字脱字だけは修正し、他はほとんど何も変えないまま、その小説とも言えないような文字の塊を地下室の一角にしまったのだった。