悪魔の特訓
さっそく、その日から悪魔の特訓が始まった。
鏡の中の悪魔は、最初にこんな禁止令を出してきた。
「もう広場には行くな。あんな奴らと関わっていては、書けるものも書けなくなる。レベルの低い人間と触れ合っていると、無意識の内にその影響を受けてしまう」
それに対して、僕は反論した。
「でも、そこでいい影響を受けるコトだってあるだろう?」
悪魔は、即座に答を返してくる。
「確かにな。だが、それは微々たるものだ。悪影響は、それ以上に大きい」
僕は、さらに反論を続ける。
「いい影響だけ受けて、悪い影響は受けないようにすれば?」
「無理だな。自分ではその気はなくとも、自然自然と低レベル者に浸食されてくる。それは、どうしようもない。誰にも止めようがないのだ。“朱に交われば赤くなる”という言葉もある」
「だけど…」
「“だけど”は、もうなしだ。“でも”も“だって”も使ってはならない。お前が目指すのは、“世界最高の小説家”なのだろう?その辺にゴロゴロといくらでも転がっている有象無象のゴミクズたちのコトではないのだろう?」
「それは、そうだけど…」
「だったら精進するんだな。一切の欲望を断ち、自らを極めるのだ。能力を極めよ。烏合の衆となるな」
「わかった」と、僕は渋々了解した。
「その代わり…」と、鏡の中の悪魔は言いかけた。
「ん?」
「その代わり、ある程度のレベルにまで達したら、他の人間たちに触れることも許可してやろう。小説を書く能力が上がり、少々のコトでは影響を受けないレベルにまで達したならばな。それまでは、独り孤独に研鑽を続けるがいい」
その提案は、とても魅力的に思えた。僕自身のレベルも上がり、他の人たちと会話することもできるようになる。そうすれば、今よりももっとずっと高度な話をすることもできるようになるだろう。
「よっし!それでいこう!僕、がんばるよ!」
「OK!じゃあ、さっそく実戦訓練に入るとするか」と、悪魔は言った。
悪魔からの最初の課題が言い渡される。
「では、とりあえず小説を1作書いてみろ。何日かかっても構わん。何週間でも、何ヶ月でもいい。内容も問わん。そうだな…原稿用紙400枚。と言いたいところだが、おそらく今のお前ではそれは無理だろう。200枚、あるいは100枚でもいいか。最低限、原稿用紙100枚の作品を仕上げてみろ」
「100枚か。それならば、どうにかなりそうだな…」と、僕はつぶやいた。
「甘く見るなよ。慣れた者なら、100枚程度どうということもないだろうが、初心者にはそれすらキツイ。いずれは、この程度雑作もなくできるようにならねばならんが…ま、今は苦労してでも完成させればよい」
「ほんとに内容は何でもいいの?」
「ああ、構わない」
「小説の基礎とか、そういうのは教えてもらえないの?ストーリーとかキャラクターとか」
「そんなものは関係ない。そういうのは“普通の小説家”が覚えるものだ。普通に暮らし、普通の物事を考え、普通の小説を書き、普通の一生を終える。どこにでも掃いて捨てるほどいるような、何の特徴もないありきたりの連中だ。お前が目指すのは、それではないのだろう?」
そう。僕が目指すのは、史上最高の小説家。究極の作家。凡人で終わる気などはない。だったら、ここは悪魔の言葉に従ってみるのも1つの手か。そう考えて、僕は同意する。
「そうだね。僕が目指すのは、そんな所じゃない。遙か高み。究極の世界。誰もまだ見たことのないような史上最高傑作を生み出してやる。そのためには、最初からハードルを下げていてはいけない。高く高く飛んでみせる!」
「それに、そんなモノは後からどうとでもなる。“小説の基礎”なんてものは、ある程度実戦経験を積み、能力を上げさえすれば、瞬時に学べるようなモノなのだ。また、そうでなくては困る。せめて、そのくらいのレベルにまでは到達してもらわねば…」
「わかった。がんばってみる!」
こうして、僕は原稿用紙で100枚以上の小説を書き始めた。
ところが、これが思った以上に厳しかった。
確かに、悪魔の言った通りだ。100枚どころか10枚もキツイ。どうにかこうにか最初の10枚を書き終えたが、20枚に達したところで、もうストーリーに詰まってきた。
「これ、最初から書き直してもいいかな?」と、オズオズと僕は悪魔に尋ねてみる。
「駄目だ。そんなコトをしても、どうせ同じコトの繰り返しだ。それよりも、最後まで書き通してみろ。最初は誰でもそんなものだ。一番最初は辛くとも、やがてそれがいい経験に思える時が来る。どんな無理をしてでも書き通せ」
「そういうモノかな…」
「そういうモノだ。ストーリーなどムチャクチャでよい。キャラクターも死んでいて構わない。会話ばかりでもいいし、地の文がズラ~ッとならんでいても構わん。とにもかくにも最後まで書き終えろ。それが、お前の個性となり才能となる」
悪魔のその言葉を糧にして、僕はひたすらに小説を書き続けた。