やせっぽちのエルサーン
翌朝、僕は小説を書く気満々で目が覚めた。
「これから心機一転、心を入れ替えてがんばるぞ!!」と、やる気は満々だった。
そうして、それを実際に言葉にして、口に出して言ってみる。
しかし、実際の執筆作業は全く進まなかった。
“小説を書くぞ!”という気だけはあるのだが、どうにもそれが行動に結びつかない。完全にやる気が空回りしてしまっている。
仕方がないので、僕は机の前でウンウンとうなり、散歩に出かけ森の中を歩き回っては、お腹が空くと例の木のある場所へと向かい果物をとって食べる。眠くなったら、ベッドにもぐり込みグッスリと眠る。翌朝、またやる気満々で目が覚める。
と、こんな生活を繰り返すのだった。
「なぜ、こんなにも小説が書けないのだろうか?」と、僕は一生懸命に考えた。
こんなにも心の中はやる気で満ち満ちているのに、執筆の方は全然進まない。原稿用紙1枚どころか、1行も、ただの1文字も進みはしない。
この時の僕は、それが“単なる実力不足”だなんて考えもしなかった。考えたくもなかった。
それどころか、「僕にはたぐいまれなる才能があって、ほんとうはバリバリと傑作が書けるはずなのだ!」と信じて疑わなかった。「ただ、調子が悪いだけ。アイデアが降りてこないだけ。運がよくないのか、条件がそろっていないか、きっとそのような理由なのだろう」と、そんな風に甘く考えていたのだった。
*
こうして、何日も何週間も、ただ無駄に時だけが流れていく。
もちろん、その間に小説なんて全然書けはしない。ただ、アイデアのカケラのようなものだけが、ノートの切れ端にたまっていくだけ。
ただ、1つ収穫もあった。
アイデアに詰まって森の中にある広場に出かけると、同じように小説を書けないで悩んでいる人たちと遭遇する。そういう人たちと、仲間になれたのだ。
最初の日に出会ったモジャモジャ頭のオコモ以外にも、そんな連中が山ほどいた。僕らは“小説が書けない”という共通の悩みを持っていたおかげで、すぐに打ち解け合い、仲良くなれた。
そうやって、お互いをなぐさめ、傷をなめ合って生きていった。それで、心は落ち着き、不安は取り除かれていった。「この世界には、何1つ問題はないのではないだろうか?」とすら思えた。ただ1つ、“相変わらず小説は全然書けないまま”という点を除けば。
そんな小説仲間の1人に、エルサーンという男がいた。
エルサーンは、背丈こそ飛び抜けて高いというほどでもなかったが、体はガリガリにやせていて、今にも倒れてしまいそうな感じがした。台風でもやって来たら、一番に吹き飛ばされてしまい、そのまま見えないほど遠くまで飛んでいってしまうだろう。
エルサーンは、いつも上着のポケットに1匹のカメを忍ばせていて、時々、そのカメがポケットからニュッと顔を出してきて、こちらを眺めるのだった。その様子は、ちょっとばかし卑猥な感じがした。
カメの名は“トートル”といった。トートルは無口な奴で、滅多にしゃべらない。そういう意味で、僕の飼っているオウムのピャーロットや、オコモの相棒であるヘビのスネックとは全然違っている。
エルサーン自身も、そんなにおしゃべりな方ではなく、大体自分の小屋で1人で小説を書いて過ごしていた。なので、顔を見ること自体まれだった。
エルサーンの悩みは“執筆ペースが遅いこと”だった。
毎日毎日、一生懸命に原稿用紙に向い筆を走らせるのだが、一向に進まない。走るというよりも歩くといった方が近いだろう。1日に10時間以上も机について、原稿用紙2~3枚とかそんなものだ。1日5枚も進めば、奇跡的な日というわけだ。
そんなだったから、みんなからバカにされていた。
「お前、もっと速く書けないのかよ」
「半日も座っててそのペースとは、効率が悪すぎやしないか?」
「残念だけど、才能ねえな」
いつも、そのような言葉を浴びせかけられていた。僕自身も、言葉にこそしないとはいえ、似たようなコトを思っていた。
そんな時、やせっぽちのエルサーンは、いつもヘラヘラと笑って、こう答えるのだ。
「僕、何をやっても遅いから。小説を書くのも遅いんだ。でもね、小説を書くのって楽しいんだよ。心の底からワクワクするんだ。ほんとだよ」
それを聞いても、みんな、「だらしのない奴だなぁ」などとあざけるばかりだった。
でも、実際の所、僕はエルサーンよりも小説が書けていなかった。他のみんなも似たようなものだった。
もちろん、いざペースに乗りさえすれば、バリバリと書けるだろう。少なくとも、その自信だけはあった。効率だっていい。短い時間でたくさんの量を書くことはできる。
「アイデアさえ降りてきて、ペースに乗りさえすれば、すぐに最高傑作が書けるはず!」
そう思いながら暮らしていた。でも、実際はそうではなかった。
そもそも、そんなに長い時間、机に向ってもいなかったし、小説について考えているわけでもなかった。1日の内、大半の時間をブラブラと散歩したり、ボ~ッとしたり、似たような境遇の仲間と話をしているだけに過ぎなかった。
そんな僕らが、エルサーンのことをバカにする権利などあったのだろうか?