技術だけで書かれた作品はツマラナイ
小説を書くのに必要なのは、間違いなく才能だ。だが、才能というのは生まれながらに持っているモノではない。誰もが生まれた時には平等。その人生の過程で、“何を学び、どう生きたか?”で変わってくる。
それに、だからといって努力が必要ないわけじゃない。努力なしだと作品の方が完成しないし、技術が身につかない。
たとえば、本を読むのもそのためにあるのだ。本を読んで、語彙を増やす。他の作家が使っている細かいテクニックを身につけていく。そういう努力も、また必要だろう。知らない単語は使いようがない。
それでも、努力だけでは決定的に欠けているモノがあると断言しよう。
技術のみで書かれた作品はツマラナイし、味気ない。まるで氷のように冷たく、人形のように魂が抜けてしまっている。
そうではなく、情熱で書かなければ!熱き熱き情熱で!それこそが才能の正体なのだと。
「…というコトだろう?」と、僕は鏡の中に向って語りかけた。
「その通り」と、鏡の中で悪魔が同意する。
「もう、それは散々聞き飽きたよ。完全に覚えてしまったくらい」
才能の話は、悪魔から何度も何度も聞かされていた。“才能だけでは駄目。努力だけでも無意味。その両方がそろわなければ、一流の小説家にはなれないのだ”と。
最初、僕には何もなかった。
小説の才能など何1つ与えられてはいなかった。あえていうならば、“情熱”だけ。たった1つ与えられた才能があったとすれば、それだけだった。
心の底から燃え上がるような情熱の炎。根拠のない妙な自信。それ以外は全て、あとから身につけた。他の能力は後天的に身につけることができるのだ。
「この森にやって来て、何年が経過しただろうか?」と、僕は時々ボンヤリと考える。
3年だろうか?5年だろうか?おそらくは10年以上の時が過ぎ去ってしまっていただろう。
だが、その時間は決して無駄ではなかった。小説だけは書きに書きまくってきたし、完成した原稿は山のように積み上がっていた。もちろん、そこで身につけた能力は数知れず、書ける小説の幅も格段に広げることができた。
「随分と差がついてしまったな…」と、僕は思う。
この森にやって来たばかりの何もできなかったあの頃の僕と比べてもそうだが、この小説の森に住む他の小説家志望者たちと比べても、それは同じだろう。
もちろん、中には有望な者もいたし、たゆまぬ努力を続けている者もいた。「これは!」と思う作品を書く者もいたが、全体から見るとそういうのは少数だった。ほとんどは、まともに小説なんて書いちゃいない。ただ、広場でだべって、レストランで食事を楽しんで、それだけで満足している連中だった。
「そういうのを相手にしている暇はない。もっと高みを目指さなければ!」と、僕は決意をあらたにする。
なにしろ僕が目指しているのは、“一流の作家。その中でも、超一流”“史上最高の小説家”“小説の神”なのだから。
そのためには、理想はいくら高く持ってもいい。ハードルはいくら高く設定しても高すぎるということはない。下を見ていては、意味がない。上を見なければ!それも、遙か高みを!
「仮に、その理想に届かなくとも、今はそれでいい。理想の7割や8割だとしても、それでも他の者たちよりは先に行っている。それに、いずれはその理想にも到達する」
悪魔の言った通りだった。
最初は、ムチャクチャだった僕の小説も、高い理想を掲げて書き続けている内に、徐々に良くなっていった。あんなにあった誤字脱字は、今はほとんどゼロに等しいし、ストーリーだってちゃんと筋の通ったものになってきている。相変わらず読者向けの小説はあまり書いていないが、それだって一応は書けるようになった。
昔、設定したハードルは、とっくの昔にクリアーしていたし、新しく設定し直したハードルにも迫りつつある。その繰り返しで、どんどんレベルは上がっていく。
技術だけではなく、感性や情熱を込めた作品作りができている。あとは、このまま進んでいくだけで、いくらでも成長でき、いい作品が書ける気がしていた。




