80歳の小説家ゴーリキじいさん
この小説の森には、ゴーリキじいさんという老人が住んでいた。
ゴーリキじいさんは、僕らとは違っていて本物の小説家であった。若い頃は、プロの小説家として大活躍し、一世を風靡した。
「なぜ、こんな経歴も肩書きも立派な人が、この小説の森に迷い込んできているのだろうか?」と不思議なくらいだった。
ゴーリキじいさんは80歳の老人で、いつも大きなこげ茶色の馬をつれて森の中を歩いていた。カブトムシみたいに深い色をしたこげ茶色だった。
広場にもよくやって来て、みんなに小説のイロハを教えてくれたものだ。
「小説を書くのに、決して手を抜いてはいかんぞ」とか。
「質だけではなく量も書けるようにならんといかん。ワシが若い頃には、ほとんど睡眠時間などゼロに近い状態で書き続けたもんじゃ」とか。
「書き始めた作品は必ず最後まで完成させなさい。それができぬと、段々と小説が書けなくなっていくものじゃ」といった感じで、小説に関するアドバイスをくれた。
僕自身は、鏡の中の悪魔から似たような話を何度も聞いていたので、目新しい発見はそんなになかったが、それでも高名な小説家にあらためて言われると、「ウンウン」とついついうなづいて納得してしまうのだった。
そんなゴーリキじいさんを、みんな心から尊敬していた。僕も尊敬していた。
ゴーリキじいさんは小説についてのアドバイスだけではなく、人生に対する教訓のようなモノもよく口にしていた。
「人にはやさしくしなさい」だとか。
「人に接する態度は、必ず自分にも返ってくる」だとか。
「人生は短いものだ。時を大切にしない者は、後から後悔することになる」といった感じのセリフを吐いては、森に住む人々を諭したものだ。
そんな時、決まってゴーリキじいさんは最後にこうつけ加える。
「人生を長く生きてきた者の言葉じゃよ。聞いておいて、間違いはありゃせん」と。
全くその通りだ。人生を長く生きてきた人の言葉には重みがある。説得力がある。しかも、これまで数々の栄誉に預かってきた高名な小説家の言葉なのだ。間違っているはずなどない。
しかし、そんなゴーリキじいさんに対しても、鏡の中の悪魔は容赦なかった。
「あんな老いぼれジジイ、何がわかるというんだ?小説家なんてものは、人として立派である必要はない。それよりも自分を極めろ!能力を極めろ!さらなる高みを目指し1分1秒でも努力しろ!人に構っている暇などありはしない!」などと汚い言葉を吐いた。
僕は、悪魔のそんな言葉を聞いて、「なんでそんな酷いコトを言うのだろう…」と悲しくなりさえした。
それでも、悪魔は止まらない。
ひたすらに「人として立派になる必要はない!作家として立派になれ!人にやさしくしている暇があったら、自分を極めろ!」と、わめき散らすのだった。
こういうところは、小説の鬼…いや、悪魔なのだ。まったくもってその言葉通り小説の悪魔。小説に対してだけは容赦がない。
さらに、鏡の中の悪魔は、こんな風につけ加える。
「あんな老いぼれジジイに比べれば、お前の方が余程レベルが高い。今のお前の方がな」などと言い始める。
「まさか…」と、僕は驚く。
僕も自分の能力には自信を持っている方だが、それにしてもゴーリキじいさんに比べれば、まだまだ劣る。「いずれは追い抜かしてやる!」という気概はあったが、現時点で上回っているとまでは思ってはいない。さすがに、そのくらいの分別は持ち合わせていた。
「いや、ほんとだ」と悪魔は念を押してくる。
「さすがにプロの小説家と比べるのは、お門違いというものじゃないかな~?」と、僕は素直に自分の思いを口にした。
「奴とお前とでは決定的な違いがある。お前の方が遥かに上回っている部分だ。それがわかるか?」と、鏡の中の悪魔。
「若さとか?」と、僕は即答する。
「違うな。小説を書くのに年齢など関係ない。そこに差はない。たとえ、5歳の子供が書こうとも傑作は傑作。何百年生きた仙人が書こうとも、駄作は駄作だ。そこの所がおもしろい世界だとも言えるがな」
「じゃあ、なんだろう?」と、僕は頭をひねって考えてみる。でも、なかなか思いつかない。
「ま、考えてみな。答は非常に単純だ。ビックリするほど単純な答えさ」
そう悪魔に言われ、それからしばらくの間、僕の頭からはその疑問がこびりついて離れなくなってしまった。




