全てが高レベルだと、逆にツマラナイ
今回、鏡の中の悪魔から出された指令は、「1ヶ月間、毎日小説を書き続け、1つの作品を完成させろ」というものであり、内容も枚数も完全に自由であった。
にも関わらず、僕は自分で勝手に「毎日、原稿用紙で8枚以上は書く!」という条件をつけ足してしまっていた。そのおかげで、大変な苦労をすることとなる。
四苦八苦しながら、どうにかこうにかノルマの枚数をこなしていく毎日。
それも、書き殴るわけにはいかない。決して書き殴らず、丁寧に丁寧に書き進めていかなければならないので、どうしたって時間がかかる。
前回の「毎日、最低4枚以上」というノルマは、2~3時間もあれば軽くこなせていたが、その倍の時間が必要。いや、倍で済めばいいのだが、枚数が増えたことにより、執筆ペースは遅くなってしまっていた。
最初の3~4枚くらいはよいのだが、5枚、6枚と書いていると、段々とペースが落ちてくる。最後の7~8枚目になってくると、何を書けばいいのか全然わからなくなってきて、無理矢理に書き進めるという日も増えてしまっていた。
それでも、奇跡的に質の方も落とさず、自分でも満足できるデキの日が結構あった。そうして、その確率も段々と上がってきていたのだった。
以前に悪魔から言われた「全部アタリに変えろ!できることならば、全部を大アタリに変えろ!」という目標に、1歩ずつ近づきつつあったわけだ。
さすがに、まだ現時点では、「書く小説、書く小説、全てを大アタリにする」などという芸当には程遠かったが、それでも昔の僕に比べれば、この能力に関しても格段にレベルが上がっていた。
明らかに小説全体の質は上がり、“大ハズレ”という部分は激減していた。まだまだ不安定さも残してはいたが、それすら「自分の持ち味なのではないだろうか?」と思えるくらいだった。
この不安定さを完全になくしてしまったら、逆にツマラナイ小説になってしまうかもしれない。“全てが高レベル”でも、逆を言えば、それは常に平坦な作品となってしまう。
それよりも、ある程度の欠陥があり不安定さがあった方が、作品全体としては起伏に富んでいておもしろいのではないだろうか?
僕は、そのコトを悪魔に伝えてみた。
すると、こんな答が返ってくる。
「確かに、そういう作家は存在する。小説だけではなく、絵画でも彫刻でも、巨匠と呼ばれるだけの実力を身につけながら、とんでもない大穴を空けてしまっている作品がある」
「だろう?」と、僕は自慢げに言う。
鏡の中の悪魔は、続ける。
「人間だって、そうだろう?何もかもが完璧すぎると、逆に魅力を失ってしまう。恐れ多くて近寄りがたくなり、人は離れていく。小説もそれと同じ。総合的にはレベルの高い作品でも、あちこちに穴があった方がいい。そういった小説の方が親しみやすくなる」
「フム。そういえば、聞いたコトがあるな。将棋の棋士でも、トップレベルまで登り詰め名人にまでなった人が、なんでもない場面でよくポカをやっていたと。あまりにも高度なレベルに思考が行き過ぎると、目の前の些細なモノが見えなくなってしまうんだって。それが逆にその人の魅力になってるとも」と、僕。
それに対して、悪魔はこう答える。
「ただ、それを狙ってやるというのは、どうだろうか?わざとらしくはならないだろうか?そういうのは、意識せず、自然とにじみ出てくるからよいのではないか?」
「“わざと”ってコトは、ないけど。半分わざとかな~?意識して穴を作るわけじゃないんだけど、そういう欠点があっても、あえて放置するというか…」
「まあ、好きにするがいいさ。それが本当にお前に必要な行為ならば、誰が強制的に止めようとしても、自然とそちらに流れていってしまう。降り注ぐ雨を止められぬよう、大河の流れをせき止められぬようにな。そうして、それは個性となり、才能となっていくだろう」
僕は、その悪魔の言葉を糧にして、さらに小説を書き進めていった。




