しだいに切れ味の増していくナイフ
“1日も休まず小説を書き続け、1作完成させた”という経験は、僕に大きな自信を与えてくれた。
わずか原稿用紙で300枚かそこら。世の“長編”といわれる小説に比べると、まだまだ量は少ないだろう。それでも、中身はビッチリと詰まっている。普通の小説2~3作分にも負けないくらいの自信はあった。
“1日も休まずに”と言ったが、正確には“1日も休めなかった”と表現するべきかもしれない。
もちろん、「決して休むなよ」と悪魔から忠告されていたというのもある。「1日に書く量はわずかでもいい。1日1枚でもいい。その代わり必ず書け!」それが、悪魔からの忠告だった。
だが、それ以上に自分自身の問題でもあった。
「1日でも休んでしまったら、続きが書けなくなってしまうのではないだろうか?」という不安が、常に心に巣くっていたからだ。
以前の僕は、そうだった。
「1日くらい休んでもいいか。その分、明日、倍の量を書けばいい」
そう思い、ゆったりと1日を過ごす。すると、どうだろう?翌日は、もっと書けなくなる。書くのが辛くなる。厳しくなる。
さらに翌日はどうか?もっと辛くなる。厳しくなる。もっともっと書けなくなる。
そうやって何日も書けない日が続き、やがては何週間も何ヶ月も書けないまま、無為に時を過ごしてしまっていた。
毎日書き続けることで、それがなくなったのだ。
また、もう1ついいコトがあった。
それは、“文章力の向上”である。
1日の執筆量を減らし、1話を短めに終わらせることで、心にゆとりができた。毎日、その日に書いた原稿を見直せるようになってきた。これにより、誤字脱字は極端に減り、日本語としておかしな部分もかなり減ってきた。
もちろん、完全にゼロにすることはできない。わざとおかしな文章にして、独自性を出そうと工夫する時もある。だが、それ以外の“意図せぬ文章的欠陥”は、ほとんどなくなったと言ってもいい。
毎日、原稿用紙2~3枚ずつ。ちょっと書いては、ちょっと見直す。ちょっと書いては、ちょっと見直す。この繰り返しで、ミスを激減させることができたのだった。しかも、執筆原稿は毎日着実に溜まっていく。いいコトずくめに思えた。
さらに、もう1つ。
僕は根本的な意味で“小説を書く”という行為の意味を理解し始めてきた。
「そこか!これか!これが、小説を書くってコトなんだ!」と、開眼する瞬間が何度も訪れた。
それと同時に、こうも思った。
「なんてこった!これまで僕がやってきたコトはなんだったんだ!?あんなものは、とても小説とは言えない。ただ単に奇想天外なストーリーを展開したり、奇抜なキャラクターを登場させたり、目の前のおもしろさばかりを追い求めてしまっていた!」
もちろん、それも小説のおもしろさの1つではある。だが、“根本的なおもしろさ”ではない。“表面上のおもしろさ”に過ぎない。
小説には、もっと深みがある。重みがある。人の心の底にドスン!と響くような衝撃がある。そういった、心の底からわき上がる“魂”とでも言うべきもの、それを込められなければならなかったのだ。
昔の僕には、それができていなかった。だが、今の僕にはそれができる。まだ、ちょっとだけだけど、キッカケをつかみ始めている。このまま、この能力を伸ばし続けていけば、いずれは本当に“史上最高の傑作”を書けるかもしれない。
僕は、鏡の中の悪魔に向ってこう語りかける。
「君が言っていた“毎日小説を書き続ける”という言葉の意味をようやく理解し始めてきたよ。その大切さを!一流のピアニストは、1日もピアノを弾くことを欠かさないと聞く。1日サボれば、元の能力を取り戻すのに3日はかかる。1週間もサボれば1ヶ月はかかるという、アレだな」
「そうだ。小説というのは、一時にまとめて書くようなものではない。どんなに量は少なくとも、毎日コツコツと書き続けるものなのだ。まるで、ナイフを研ぐようにな」
「ナイフ?」
「そうだ。戦場で戦士が使用するナイフのようなものだ。毎日毎日、使い続け、手入れし続ける。そうすることでその切れ味はさらに増し、より強い敵を倒せるようになっていく」
「戦士、敵…か」
「逆に、道具の手入れをおこたり、戦場から長く離れてしまった者の書く文章は、地に落ちる。とても、読めた代物ではなくなる。書いている本人にはその気はなくとも、確実に切れ味は落ち、腕は鈍ってしまっている」
「なるほど」
「お前は戦士だ!ここは戦場だ!戦え!戦場に立ち続けろ!1日も欠かさずにな!!」
よっし!わかった!
書こう!書いてみせよう!1日も欠かさずに!
だが、あせらず、あわてず、確実に。毎日、着実に1歩ずつ。
僕は、あらためてそう決心し、再び原稿用紙に向い始めた。